ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 気がつくのがもう少し遅かったら・・・と、冷や汗ものだった。

 いいわけにはならないだろうが、2年以上も単身生活をしていると、自分の日常生活を中心に世界がまわっているので、ここから遠く離れた場所で暮らしている母娘のことまで考える余裕がなくなってきていることはたしかだ。

 「母の日」が5月の第二日曜日だということはわかっていた。が、今年は娘の誕生日とダブっていたとは・・・。

 気がついたのは、「母の日」の新聞広告を何気なく見た連休明けの5月8日。

 そうか、そうか、来週の日曜日だったよなあ。

 で、来週の日曜日って、何日だっけ。

 と、カレンダーを見る。

 え〜っ 13日! ともみの誕生日じゃないか!

 と、いった具合い。

 それで、あわてて、稚内空港の知人へ電話して、北海道のおみやげランキングのベスト3に堂々と輝くカルビー『じゃがポックル』を予約した。

 ちなみにベスト3のあと2つとは、石屋製菓の『白い恋人』とロイズの『生チョコ』。

なお、これに引けをとらないものとしては、六花亭の『マルセイ・バターサンド』『ホワイトチョコ』があるが、どれもうなずけるおいしさだと思う。

 『じゃがポックル』は、スティックタイプのポテトチップと表現したほうがイメージがわくと思うが、でも、サクサクの感触が市販品と全く違うし、味もツボを心得たような憎い味付けとなっていて、従来のスティックタイプとはおいしさが全然違う。

 なんでも、JALのキャビンアテンダント(昔の「ステュワーデス」)の間でそのおいしさが噂となり、それが口コミでどんどん広がったとのこと。

 しかし、この製品はメーカー側の説明によれば、製造工程でかなりの手間ひまがかかるようなので、生産が追いつかない状態が慢性化しているため、いつも品切れか、「お一人様1箱限り」という制限措置となっている。

 だから、空港などのおみやげ店へ行って、この製品があればそれはほぼ奇跡に近いという状況なのだそうである。

 今度の誕生日で21歳となる娘と女房殿の母の日のリクエストは、北海道でもなかなか手に入らないこの『じゃがポックル』と、評判がなかなか良いロイズの『マシュマロチョコ・ホワイト』であるが、空港の知人からは当然のごとく『じゃがポックル』は完売していて、いつ入荷するかわからないと返答があった。

 稚内から相模原への宅配は翌々日となることから、おそらくは5月13日までのお届けは無理となったものの、「食べる」ご両人は遅れてもいいとのこと。

 が、入荷した旨の連絡はまだない。

★★★★★

 このまま波風たたずに平穏無事に行けば、来年の1月に結婚25周年を迎える。

 世間では「銀婚式」ということであるが、ここまでこられたのも女房殿のおかげと感謝している。

 が、その記念すべき日は、おそらくは単身生活が解消されないままの状態での「めでたい記念日」ということになるだろう。

 家庭の都合で単身生活をしていると、誕生日や記念日をうっかり忘れがちになる。

 それはおそらく一人暮らしで、日々に余裕がなくなっているからだと思うので、単身者を責めることはかわいそうだとつい同情してしまう。

 生活のスタイルというか1日のサイクルとしては、仕事を持つ共稼ぎ夫婦の奥さんと条件は同じで、仕事のほかに炊事・掃除・洗濯・買い物等の主婦業もしなければならない。

 僕の場合だと、平日は午後9時〜10時くらいになってやっとリラックスタイムとなるので、その時間帯でやっと落ち着くことができて、家族のことを含めたいろんなことについて「脳内検索」をかけ、その確認をする作業を始めることになる。

 ところが、弱気には全然なっていないものの、長引く単身生活の影響から、このごろどうもマンネリ化しているようで、力が入らないリラックスタイムとなっているような気がする。

 女房殿と娘の誕生日を忘れないように努めてはいるが、平穏な日々にどっぷり浸った暮らしのなかでは、ただ、一週間が過ぎていくのをカレンダーで確認するのみのマンネリ化現象が、思考を後退させているのかもしれない。

 それが今回の母の日と娘の誕生日とが重複していることを直前になってはじめてわかったという事実で、端的に見えてきたのかもしれない。

 こんな状態で、来年1月の結婚25周年を迎えるわけにはいかないと思った。

 離れ離れに暮らしていると、こういったなんでもないことに対して妙にこだわってしまうことが恐ろしい。

 だが、実際にどうしようという考えが僕にあるのだろうか。

それさえも漠然として見えてこない。

★★★★★

 世界でも類を見ない飛躍的な経済の発展を遂げたニッポンでは、仕事優先によりその反動で失ったものも大きかったと言われる。

 飛躍的な発展を遂げたその屋台骨を支えたのが、いわゆる「団塊の世代」を中心とした企業戦士であったというが、その「団塊の世代」層が定年を迎え、今、社会が大きく変わろうとしている。

 その「団塊の世代」が活躍していたのと並行して、仕事優先に対して何らかの危機感を抱いていた昭和30年代生まれは、仕事よりも家庭優先をと余暇を家族とともに過ごすことを最優先とした。

 『なにを、そんな「あまっちょろい」考えを持っているんだ! そんなことではニッポンに未来はないぞ!』

 極端な言い方かもしれないが、ニッポンという国自体に未来がなくてもいいと思う。だが、そこに住む子供たちのための未来は絶対に必要だと思う。

 「団塊の世代」は既におじいちゃんやおばあちゃんとなり、何不自由ない物質社会で育った「団塊の世代ジュニア」も30代に達し、その子供らも順調に育っている。

 そんなライフサイクルのなかで、経済発展の陰で失われたものが少しづつではあるが、次第に修正を図りながら戻りつつあるような気がする。

その失われたものとは、いったい何であろうか。

「温かみ」と「思いやり」

それは、相手を想うこころではないだろうかと、僕は思う。

家族とどんなに遠くに離れて暮らしていても、ケータイという頼もしい味方がいるかぎり、腰を重くしないで、こまめにその「絆」を大切にしていきたいと、僕はそう考えている。



 ※ 「母の日と娘の誕生日」用の菓子類は5月18日に届いて、さっそく食べてしまったようです。そのときに新発売のロイズの「チョコかりんとう」を同封したら、「おかわり」だとさ。