ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 板橋文夫のピアノソロを久々に聴いていたら、無性に海が見たくなった。

 だから、明日、海を見に行こうと、思う。

 4月になったというのに、さいはての海は、まだ、つめたい。

 想像の域では、沖縄のエメラルド・グリーンより、さいはてのマリン・ブルーのほうが、飲んだことはないが、たぶん、「うすい塩味の海水」だと思う。

 というのも、厳冬期に港内結氷するほどであるから、他の海よりは「塩かげん」がうすいのではないかという理由による・・・、あてにならないようだ。

 「宗谷の塩」という製品が発売されているが、この塩は、いったいどこの海水を原料としているのだろうかと、このごろ考えてみた。

 「宗谷」という地名では漠然としているが、的を絞っていく要素としては、「宗谷支庁」または「宗谷岬付近」のいずれかになるのではないだろうか。

 まさか、中頓別とか内陸部の「岩塩」というわけではないだろうから、これは「クリーンな塩」というイメージの対象外とさせていただくが、内陸部が決してクリーンではないという誤解をされないでいただきたい。

 たしかに宗谷支庁には、およそ7万5千人くらいしか居住していないし、さいはてという言葉が示すとおり、「海が汚れている」という現実はほとんど見受けられないだろうし、まして、これが「宗谷岬付近」ということになれば、ますます「透明感」というイメージが先行してしまうのであろう。

 宗谷の海は、日本海とオホーツク海の接点でもあり、その境界は宗谷岬からサハリン・クリリオン岬を結んだ直線なので、境界から東がオホーツク海、西が日本海ということになる。

 ということは、稚内港はいちおう「日本海」に属するということになるが、稚内市は宗谷岬を越えてオホーツク海側の猿払村と接していることから、市としては2つの海に面するということにもなる。

 ところで、なり手がほとんどいないと言われ、いつも人選難となる稚内のキャンギャルこと「ミス流氷」、それと、以前紹介したことのある迷?物「流氷まんじゅう」もそうであるが、市中心部の港周辺にはほとんど流氷がやってこないのに、何故「流氷」なのかということを地元の人に聞いてみた。

 結果としては、「流氷」は、ひと昔は宗谷岬を越えてかなりの率でやってきたそうだ。でも、ひと昔っていつのこと?

 僕のような「旅人」からすれば、稚内に「流氷」というイメージはなく、むしろオホーツク海を南下した紋別(もんべつ)や網走(あばしり)のほうが全国的に定着しているのではないかと思うし、実際、「ガリンコ号」らしき観光船も稚内にはない。

 おそらく、「さいはて」イコール「厳しい冬」イコール「流氷」というイメージの結果なのであろう。

★★★★★

さいはてにやってくるまで、海はどこでもおよそ同じ色をしていると思っていたが、微妙に違うことに気づいた。

 おそらく、澄み渡った空の色の影響もあるのだろうし、海が太陽とは逆方向の北側に位置しているから、輝きが海に吸収されていないという好条件も重なって、海の青さがいっそう鮮やかなのであろう。

 また、さいはてでは、太陽の輝きを吸収してキラキラ光る南側に面した海は、船で洋上へ出帆しないと眺めることができない。

 南側に面した海・・・つまり、太平洋や津軽海峡とは「暖かさ」という点では、その海を見て受ける印象が全く違うのだろう。

 しかも、境界のない日本海とオホーツク海とを同時に眺めることができるぜいたくさは、ここでしか味わうことができない醍醐味だと思う。

 はるか43キロ先の外国であるロシア・サハリンの山並みが見える穏やかな日に、その青い風景を眺めていると、自然とこころが癒されてくる。

 浜辺をさすらう春の風はまだ冷たくて、暖かい服装と手袋を装備しなければならないが、5月になればそれらも要らなくなるだろう。

 5月になったら、オホーツク海に沿って、紋別へ南下してみようと思う。

 オホーツク海沿いの南下は去年計画していたが、結局はできなかった。

 実は、達成しなければならないことがある。

 「北海道の海岸線をクルマで全走破すること」

 ほぼ達成しているのだが、枝幸町から雄武町までの約60キロの海岸線がまだ残っている。

 この区間を走ることによって、完全走破ということになるのだ。

 自動車運転免許を取得したのはちょうど20歳になる直前だったから、苦節30年ちょっとで達成ということになる。

 北海道の海岸線のどこが一番素晴らしいかという「愚問」はさておき、完全走破が達成されたときは、記念に何をしようかなと考えている。

 海岸線を走破することも夢があっていいかなあと思う反面、fuuさんのように、時が経つのを忘れるくらい海を眺めていることも、あくせくしないという生き方としては必要なのだろうと思う。

まして、さいはての海であればなおさらのこと、そういうゆったりしたときを過ごすことがその景色への「礼儀」かもしれない。

 できることならば、よく晴れ渡った日に、無風状態の宗谷岬へ小舟を出し、その「青の世界」を眺めながら、ゆらりゆらりと「うたた寝」をしてみたい。

 海に抱かれるという感触を、そういったなかで味わってみたい、そんな気がする。