ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 食べ物に関しては、意外と「保守的」である。

 だから、エスニックとかの「多国籍料理」といったわけのわからない味付けには全く興味がないし、そういったグルメ番組は見ているだけでハラがたってくるし、「大食い選手権」みたいな大食いを競う番組は一番嫌いだ。

 『食べるときくらい味わって食べろよ!』

『おまえら、それで優勝して何が楽しいんだい、おまえらの身体に悪いことするなよ。』と、思わず言いたくなる。

 また、マヨネーズをカレーライスにかけたり、ごはんにかけたりする「味覚」がわからないし、知りたいとも思わない。

 たしかに新しい味を発見することは、食生活がバラエティになるようで楽しいのかもしれないし、味覚に「タブー」とか「垣根」とかがあってはならないと思うが、「伝統」や「慣習」も当然守っていくべきものであると考える。

 ただ、最近の食生活をマスメディアで見るかぎり、なんだか「斬新」というか「氾濫している」というか、「どこへ行く!ニッポンの食生活!」という危惧を感じてしまう。

食文化の歴史を軽く見ているような、そんな気がどうもしてしまうし、そういう環境に育った人たちがやがて親になったときの家庭料理って、どうなっちゃうんだろうって・・・、そのときはそのときか。

 逆に、映画などを観ていると、アメリカやフランスでは「箸」を使って日本食を食べている光景がやたらと目につくので、日本人が欧米化して、欧米人が日本化しているのかという錯覚も受けてしまう。

 となれば、欧米人はとってもヘルティーな食生活を進めているということにもなるのだろうか。

 そして、日本人は日本人で、すべてがそうではないが、外食産業のファミレス、コンビニ、スーパーの惣菜の味付けが「おふくろの味」状態に陥っているような、そんな一抹の不安を覚えるし、聞くところによれば、小学校の運動会での昼食で、コンビニ弁当を食べている家族がいるとのことで、運動会の昼食くらいはお母さんの手料理という時代は終わってしまったのだろうか。

 そういった日本人の食生活に憂いを感じているのは僕だけなのだろうか。

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 日本人の味覚の基本は、大別すれば「味噌、塩、醤油」ということになるのだろう。

 単品だと、味噌汁、魚の塩焼き、煮物があって、これに漬物と酢ものが食卓を飾る。

 僕が食べ物に関しては保守的だと自己主張する理由のひとつとして、調味料が掲げられる。

 例えて言えば、フライものやハンバーグに何をかけるかということ。

 ウースターソース、中濃ソース、とんかつソース等のソースをかける方がほとんどだと思うが、僕は醤油のみである。なんにでも醤油である。

 ただ、ハンバーグをレストランで食べる場合は、あらかじめケチャップソースみたいのがたっぷりとかけられているのでいたし方ないが、家では醤油のみである。

 きゅうりだって、もろ味噌をつけて食べたら最高においしいと僕は思うし、漬物だってあっさり塩漬けが最高でしょう。

 日本人は、やっぱり「味噌、塩、醤油」だと、僕は信じている。

 (ふむふむ、だんだんとタイトルに近づいてきたような感じになってきたぞ。)

 そして、日本人は主食の「ごはん」のほかに、「そば、うどん、そうめん」などの麺類をよく食べる。最近はこれにスパゲッティが加わるか。

 (わざと忘れたように)おっとっと、それと、ラーメンを忘れてはいけない。

 地方色豊かな食べ物と言えば、これはラーメンにつきるのではないだろうか。

 (と、やっと本題に結びつくことができてほっとしている。)

 とにかく、僕はラーメンが好きだ。
 1日3食、1週間がぜんぶラーメンでもかまわない。

 函館生まれという理由からではないが、味付けは、やっぱり「あっさりの塩」。それがなければ「醤油」「味噌」の順。

 「醤油」は、どこもほとんど変わらないと思うが、「コーンバター」のブレンドが好み。ただ、去年食べた旭川のラーメンは、文句なくおいしいと思った。

そして、「味噌」は、いままで食べたなかでは、「ギョウジャニンニクみそラーメン」が最高に美味かった。

苫小牧で仕事をしていたときに、酒を飲んだあとの「仕上げ」で、いつもこの「ギョウジャニンニクみそラーメン」を食べていた。

豚ひき肉とギョウジャニンニクをバターで炒め、塩・コショウで味付けし、それを麺にのっけるといったものだが、「味噌」の本場である札幌にはない味だった。

ただし、ギョウジャニンニクの臭いが強烈なので、翌朝、いつも女房殿にこっぴどくしかられたし、当時、3歳の娘にも嫌われた。

『おとうさん、また食べたでしょ。朝からすごい臭いがするから、もう食べないでください。ともみも臭がっていますよ。』

『エジちゃん、また臭いの食べたでしょ。匂うから、チューしないで! プンプン。』

『・・・。』

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 「塩」はあっさり系が好みであり、「宗谷の塩」や「伯方の塩」などにはこだわらないが、まちがっても、「豚の背油」などは入れちゃいけない。

が、うまみをひきだす「茎わかめ」「魚介類」「ゴマ」は許しましょう。

 麺の太さも、どちらかと言えば「細くて、ストレート」が好み。

 札幌の「ウェーブ」系は、たしかに濃厚なスープがからまってくるというメリットはあるが、噛みづらくてシンプルにのどをとおっていかないから、どうも苦手だ。

 具材は、シンプルに「メンマ」「なると」「焼き豚」「ネギ」「麩」プラス「ほうれんそう」と「スライスゆでたまご」は、いちおう許す。

 麺にいきなり箸を入れるか、それともスープをまず味わうかは、それぞれ好みの問題であろうが、僕はまずスープを「れんげ」ですすることにしている。

 このスープをすすることで、目の前にあるラーメンに対する姿勢を決めることになる。

 好みの味だと、ただちに2回以上スープをすすり、スープが半分くらい染み込んだ麩をれんげでいただく。

 以上の「儀式」が終わると、箸で麺をスープにからめる作業を行い、そうして食べ始めることになるが、好みの味でない場合は、ものすごく投げやりな食べ方になる。

 れんげですすって好みの味でなければ、ためいきをひとつついてから、箸で無造作に食べだす。もくもくと食べて、スープをたいらげて、はい終了。

 好みはともかく、まずいと感じたラーメンでも、そのスープは全部飲み干すことが基本であり、これは店主に対する感謝の姿勢である。

 そして、箸は「器」の中央よりやや手前の位置で横に置き、れんげは器内左側にたてかけておく。

 これは、僕のラーメンを食べ終えたときの独自の作法であるので、参考まで。

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 去年の秋に、51歳生きた現在まででワースト1位か2位という信じられないラーメンと遭遇した。まさに、「絶句」した。

 ちなみに輝けるそれまでのワースト1位は、20代半ばに夜の千歳市内で食べた今でもはっきりと名前を覚えている食堂の「みそラーメン」。

 酒を飲んだ仕上げで入ったのだが、な、なんと「みそ」はみそでも「麺」を単純に「豚汁」に入れただけのこと。

 だから、具材は当然のごとく「豚肉、イモ、ダイコン、ニンジン、玉ねぎ・・・」。

 絶句どころでなく、酔いが一気にさめたという状態で、ひとくち食べてその店をでてきた。

 あれをラーメンとして食べさせる店のポリシーって、いったいなんなのだろうと疑った。

 その最悪の「ラーメン入り豚汁」にひけをとらないくらいのラーメン。

 いちおう「味噌」と表示があったのだが、「こげ茶色」のスープが見たからになんだかまずそうで、でも、やっぱりまずくて、しかも、まずいわりにはなんとなく気になるという「あと味」が変に残った。

 味はどうも「コンソメ」と「バター」が強すぎて、味噌の味がほとんどしなかったし、玉ねぎともやしの入れすぎで、いっそうその構図で食欲をなくしてしまう感じがした。

 また、スープの色が「こげ茶色」というのは、おそらく「八丁味噌」かなんかを使用しているからだろうが、北海道では「白味噌」が主体であることから、どうも「ビーフシチュー」のような「ごった煮」のイメージも先行した。

 でも、チャンスをもう1回与えることにした。つまり、「まずい」という味覚の確認作業である。

 結果は同じで、やっぱりまずかった。

 もう二度と口にすることはないだろうと思ったが、あまりにもまずかったからだろうか、そのまずさを二度も味わったくせして、もう一度そのまずさを味わってみたいという変な気持ちが僕の中で今も葛藤している。

 アブノーマルな味に、新鮮さを見出してしまったのだろうか。

 そ、そんなわけはない。僕は食べ物に関しては「保守的」である。
 味噌は味噌でなければ、レッドカードの一発退場である。

 でも、この気持ちって・・・。

 美味いきゃ美味いで、忘れられずに何度も足を運ぶことは、これは正常な考え方であろうが、まずいきゃまずいで、そのまずさをもう一度味わってみたいという欲望とは、一体なんなのだろうか。