ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 いったいニッポンは、どこへ行こうというのだろう。

 地元紙の記事を読みながら、ふと考えてしまった。

 障害をもつ人たちが、札幌や函館のスーパーなどで店を構え、おいしそうなケーキやパンを販売していることは昔から知っていた。

 函館に住んでいたころ、スーパーでその姿を見ると、「頑張っているなあ」と、ついパンを買ったこともあった。

 だが、場所も変われば、仕事も変わる。

 今朝の新聞では、地元の障害者が、ホタテのミミを珍味加工するための分別作業を、彼らが通う学園内の水産加工施設で行っていることを写真入りで紹介していた。

 僕は、その写真を見て、ショックを受けた。

 別にホタテの分別作業をどうのこうのと言いたいわけではなくて、函館のパン屋とあまりにもギャップが大きいのではないかと、率直に思ったからだ。

 たしかに、北海道内では、若い中国人女性が「研修」という名のもと、水産加工場で「出稼ぎ」している現実が存在するけれど、何故、障害者たちの手まで必要としなければならないのだろう。

 何故、そんなに辛い仕事をさせなければならないのだろう。

 僕の考えが甘いのかもしれないけれど、その新聞記事の障害者が作業している表情を見て、涙が出そうなくらい胸が痛んだ。

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 若い中国人女性が「研修」という名の「出稼ぎ」で、北海道のいたるところへやって来て、水産加工場で、カニやサケ、それにホタテなどのいわゆる「水仕事」を、地元の「かあさん」から引き継いだかたちで請け負っていることは事実である。

 例えば、道北では、稚内市は言うまでもなく、日本海側の天塩町、オホーツク海側の猿払村、浜頓別町、そして枝幸町と、若い中国人女性の姿が最近目立っているという。

 その若い中国人女性が休日に街中へショッピングに出かける姿を見かけることがあるが、これが「酪農のヨメ」の第一歩だそうである。

 宗谷管内では昔から酪農業が盛んであるものの、こんな日本の片隅にさえも「少子化」「大都市集中」の波が押し寄せているというのである。

 つまり、酪農を継ぐべき息子たちに「ヨメ」の成り手がおらず、その「ヨメ」に「研修中」の中国人女性も対象となっているとのこと。

 ひと昔は、東北地方を中心にフィリピンから嫁いでくる女性がいたが、今度は中国からである。

 そのため、酪農後継者である息子たちは休日となると、「ガールハント」をしに街へ出かけてくるとの話を聞く。

 「研修」で来日する中国人女性には当然「世話役」がいて、絶対に日本人男性と仲良くしてはいけないことを口うるさく言われているようで、また、噂では直前に中国で徹底的に「反日教育」を受けてくるとのことである。

 それでも、やっぱり年ごろの男と女。言葉の壁があったとしても、なにかの拍子に意気投合してしまうのだろうし、女性もホームシックがかっている状況もあるだろうからなおさらであろう。

 はっきりした数字はわからないが、酪農家へ嫁いだ中国人女性はそれなりにいるようである。

 酪農での「ヨメ不足」同様に、宗谷岬付近の「ホタテ漁」と「タコ漁」を営む漁業では、逆に「ムコ不足」が深刻化していると聞く。

 ただし、こちらは「ムコ」なので、まさか外国人と養子縁組するなんてことがあるかどうかわからないものの、今後どうなるのか想像もつかない。

 こういう話になってくると、「少子化」とか「大都市集中」とか今のニッポンがかかえている問題が表面化してきて、それがボクシングでいう「ボディブロー」のように、じわじわ効いてくるということなのであろうか。

 都会に住む人たちの食生活の一部を支えているさいはての第一次産業層の現状は、悲しいかな以上のとおりである。

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 今年の3月ころから、郊外の大沼という湖へ、シベリアへ戻る白鳥群を撮りによくでかけた。

 宗谷岬行きの国道を脇へ入り、湖へ延びる道路をしばらく進む。

3月のまだまだ寒いその道路わきを、ハイティーンと思われる5〜6人の男女の集団が歩いていた。

でも、すれちがった表情とその歩き方を見た限り、知的障害者だとはっきり認識できた。

カラフルな防寒衣と毛糸の帽子をかぶり、誰もがほっぺたをまっかにして白い息をはきながら歩いていたが、楽しそうな笑顔がそこにあった。

そのほのぼのとした光景とすれちがいながら、僕はその近辺に障害者施設があるのを思い出していた。

さいはての厳しい冬はピークを過ぎたけど、太陽が照り付けるくらいお天気が良かったので、いてもたってもいられずに、みんなで散歩にでかけたのだろう。

そのほのぼのとした光景を、バックミラーで微笑みながら見送った。

その楽しそうな笑顔の彼らが、ホタテの分別作業を、慣れない手つきで挑んでいる新聞写真を見て、僕は胸が痛んだ。

ここであえて触れておきたいが、これはあくまでも個人的な受け止め方であって、的をはずしている可能性もあると思われることを了承のうえ熟読願いたい。

新聞記事にはこのように書かれていた。

「同学園利用者と職員約30人が働く喜びを胸に作業に励んでいる。同センターは、障害を持つ利用者の就労先の確保、生活訓練の場として同学園が運営。冬季間はコンブのパック詰め、タコ串つくりの作業を受注。春のホタテ漁スタートと同時に今月から、ミミの分別作業を再開したもの。〜略〜 利用者たちはこれらを丁寧に、ミミからウロと卵を取り除き、乾物等加工用のホタテのミミとして商品価値を生み出す。利用者たちの手つきも慣れたもの。施設内にはラジカセで歌謡曲が流れ、明るい雰囲気。いきいきとした利用者たちの表情が印象的だった。この作業はホタテが水揚げされる10月末ころまで続く見込み。」

作業の内容はどうあれ、この作業は立派な仕事であって、中国人女性の研修となんら変わりはない。

この記事どおりだと、4月から10月までがホタテの分別作業、11月から3月までがコンブのパック詰めとタコ串つくりの作業と1年中受注による作業があるということになる。

いったい、どのくらいの「手当て」をもらっているのかわからないが、そういうふうに割り切ることは可能なのだろうか。

また、ホタテの分別作業を依頼している企業側の言い分も、同学園側の言い分も経済の原則とやらに順応した模範回答を示してくるのだろうし、そんな言い訳はもう聞き飽きた。

この新聞記事を読み流すことはできるかもしれない。
 
だが、書いた記者は、この現実をどのように考えているのだろう。

世の中、きれいな表現ですむ場合とそうでない場合とがあると思う。
 
こんな美談のような記事内容、誰がまともにうなずいて納得するというのだろう。

水仕事のそれも悪臭立ち込める作業場内での分別作業風景の、その掲載写真を見ているかぎり、「いきいきとした表情」には到底思えない。

彼らの「いきいきとした表情」は、3月の寒空の下を、誰もがほっぺたをまっかにして白い息をはきながら楽しそうに歩いていた、あの表情だと僕は思う。