ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 幼稚園のころから、僕の楽しみはテレビだった。

 チャンネルは、なつかしのガチャガチャダイヤルのVHF12チャンネルで、もちろん「白黒」。

 電源スイッチのつまみを引くと、しばらくしてからでないと画面がブラウン管に映らない。それも声だけが先行して。

 テレビ局も、NHKの総合と教育の他に、TBS系のHBC(北海道放送)と日本テレビ系のSTV(札幌テレビ)の4局のみ。

 参考までに言わせてもらえれば、フジテレビ系のUHB(北海道文化放送)とテレビ朝日系のHTB(北海道テレビ)、テレビ東京系のTVH(テレビ北海道)は、もっともっとあとの時代に開局された。

「老舗」に対して敬意を表しているわけではないが、地上波を観る場合は、昔からHBCとSTVを優先的に選択している。そう決めているところは、さすがにA型と言われそうだが。

ただ、最近はスカパーばかりを観ていて、地上波にかなり疎くなっているが、全国ネットの番組では、バラエティでもドラマでもフジテレビが断然おもしろいと思う。

一方、ローカルでは老舗のHBCが個人的に好きだ。
 
番組作りへの姿勢というのだろうか、余裕という表現が適切かなと思うくらい懐の深い印象を受ける。ローカル局に一番大切なことは、全国ネットに追随しない独自性だと思うが、それが見事に実践されているような気がする。

もう一つの老舗STVは、反対に全国ネットをそのままローカルへ継承した内容が多いので「飽き」がくるし、なにせアナウンサーのキャラが強くて、そして、やかましすぎる。テレビにラジオの語りは不要だと思う。

UHBもフジテレビのローカル局だけあって、特に女性アナウンサーが目立ちすぎて、そして、うざい。張り切るのは勝手だが、何か勘違いしているようで、とにかく、うざい。

HTBはほとんど観ないし、TVHは稚内では「映らない」のでコメントはできない。

放送法という悪法のもと、受信料を執拗に納めさせようとする地上波で唯一の有料チャンネルである日本放送協会は、その体質が嫌いなため観ていない。故に「パス」。

なんだか、話がだんだん脱線していったので、もとに戻そう。

昔のテレビは、電源スイッチのつまみを引くと「ON」で、戻すと「OFF」になるのだが、「OFF」にすると画面が奥のほうへと引き込まれるようにだんだんと小さくなっていく。そう、「タイムトンネル」のようだ。

反対に「ON」にすると、最初は声だけが出てきて、しばらくしてから画像が飛び出てくる。だから、急いでテレビを観るときなんぞは、もう大変だった。「早く映れよ!」と、意味もなくテレビの横を一生懸命叩いたりした記憶があって、そんなエピソードがすごくなつかしい。

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 テレビの歴史には必ず出てくる定番が力道山のプロレス中継。

 そのプロレスに長嶋と王のプロ野球、そして大鵬と柏戸の大相撲が国民的番組で、当時のその視聴率は非常に高かったと思う。いわゆる「巨人・大鵬・玉子焼き」の時代に僕は育った。

でも、子供の僕には「鉄腕アトム」や「エイトマン」、それに「鉄人28号」などの漫画か「月光仮面」や「怪傑ハリマオ」「隠密剣士」などのアクションものしか興味がなかった。

特に「隠密剣士」に登場した伊賀忍者「霧のとん兵衛」は主人公よりも人気があったように思え、手裏剣を手のひらでスライスしながら投げるポーズはいまだに覚えているからたいしたものだ。でも、あのスライス投法では絶対に手裏剣に手が刺さって、飛ぶはずがないんだけどねえ。

 また、遠い記憶では、朝、幼稚園へ行くときに、小学館提供の「ぴっきいちゃん」を必ず観ていたし、夕方はNHKの「チロリン村とくるみの木」という人形劇を観ていたことをおぼろげながら覚えている。

 ここまで書くと、同年の明石家さんまが言うように、『僕らの世代はテレビで育った元祖「テレビっ子」やでえ。』というセリフが当たっていると僕は思う。

 でも、これらの子供番組は、僕が「だだをこねて」勝ち取った番組ではなくて、兄や姉が観ていたからという理由のほうが大きいような気がする。

 だから、僕が自分でほんとうに観たいと思った番組は、おそらくは「ひょっこりひょうたん島」と「ウルトラQ」くらいではなかったかと思う。

実際、兄姉たちが観ていた番組の影響は大きく、「シャボン玉ホリデー」や「ザ・ヒットパレード」などの歌番組が、その後の音楽好きへの第一歩だったのかもしれないと今思えばそんな気がする。

 そして、「ララミー牧場」「ローハイド」「ライフルマン」「コンバット」「逃亡者」「宇宙家族ロビンソン」等々のドラマから「ポパイ」「トムトジェリー」のアニメまで、アメリカ製番組を観て育った子供時代の影響は今でも見事に引き継がれているような気もする。

 こうして、子供時代のテレビ番組を挙げていくときりがないくらいのエピソード話に花が咲くことになるので、このへんにとどめておきたい。

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 テレビを娯楽の宝庫として位置付けをしていた子供時代の番組は、同世代の方々とは通じるものがあるので、知らない場所での飲み会などでは、それが楽しい会話のきっかけになることが多い。

 その娯楽一辺倒のテレビを根底から揺さぶる出来事があった。

 「東京オリンピック」

 小学校3年生だったと思うが、オリンピックの競技もそうだが、日本全国を縦断した「聖火リレー」風景も放送され、僕にはそれもセンセーショナルであった。

 東京オリンピックは映画にもなったが、ここはやっぱり、「東洋の魔女」と「アベベ」、「ショランダー」に尽きる。

 その4年後には、メキシコオリンピックが開催され、僕にとってその後に深い影響を与えた「釜本」がヒーローとなった。

 この釜本と杉山との名コンビが、サッカーを日本国内に普及させた立役者だったし、のちのミュンヘンでの松平監督率いる大古、森田、横田に猫田のバレーボールと、スポーツが野球だけではないことをテレビが紹介してくれたような日本の高度成長時代だった。

 スポーツだけでなく、「兼高かおる世界の旅」、淀川長治さん解説の「日曜洋画劇場」からコント55号の「野球拳」、そして、親の目を盗んでこっそり観ていた「11PM」など、やっぱり、昔のテレビはおもしろいものばかりだったような気がする。

 また、適切なジャンルかどうかわからないが、ニュースでの「よど号事件」や「あさま山荘事件」は、「ドキュメンタリー」のような感じで観た記憶がある。

特に「あさま山荘事件」のライブ映像にテレビの前で釘付けとなった人たちがかなりいたのではないかと思うし、この後に発生した「たてこもり事件」や「ハイジャック事件」などの映像を考えると、同事件の映像はバイブル的役割を果たしたのかもしれない。

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 『現地との衛星回線がつながったようです。現地の○○さん、そちらはいかがでしょうか。』

 テレビが飛躍的進歩を遂げたのは、「衛星中継」だという。

 今ではそれが当たり前のようになっているが、初の衛星中継となった「ケネディ大統領暗殺」はあまりにも有名だし、オリンピック開催の都度飛躍を遂げてきたように思う。

 昔は夜中に衛星中継を観ることもなかったが、オリンピックやワールドカップを含め、スポーツ放送では今や常識となっている。

『今朝4時起きだよ。でも、対ブラジル戦はそれだけの甲斐があったよ。あ〜あ、眠い。』

オリンピックも、特定の国のゴールデンタイムにライブ放送するための駆け引きが多く、そのために、開催時刻もその契約した国のゴールデンタイムに合わせた時間となることも珍しくない世の中になった。

おもしろい現象として、テレビ番組でも「26:30」と表示されることもある。詳しくはわからないが、通常の午前5時・・・つまり29:00までカウントされるのだろうか。

そういう変な世の中になりつつあるが、では、あいさつはどの時点で「おはよう」となるのだろう。

「また、あした」という別れ言葉も、一体、どの時間帯までそれが通用するのだろうか。