大地も空も空気も太陽も、そのすべてを白一色に覆われ、深くやすらかな眠りについていたサロベツに、遅い春が、もうすぐやってくる。
4月になれば、太陽の光をさえぎるかのように覆っていた厚くて硬い雪が融けはじめ、それが雫となって大地へ還元されていく。
やがて、やわらかな陽射しを浴びたキミは、春風に運ばれる清々しい大気に目覚め、深い呼吸をしはじめるのだろう。
その呼吸を感じるとき、僕はキミとの再会を、今年も神様に感謝する。
そして、その再会に涙しながら、サッポロ・クラシックで乾杯したいけれど、それは無理だろうから、ミネラル・ウォーターを口にして、キミにもわけてあげよう。
キミは、この長く厳しかった冬の季節から解放され、さいはての遅い春の季節に育ち、そして、短いけれど輝く夏の季節に全国から訪れる巡礼者たちへ、その可憐なその姿を今年も見せてくれるだろう。
僕は、そのころ、撮りためたキミの四季の姿を、あらためて全国の友だちへサイトで紹介したいと思う。
それが、僕が唯一できることだろうし、それで、さいはてのキミを自分の眼で確かめたいという巡礼者が増えてくれれば、キミはもっと永遠になれるだろう。
エゾカンゾウが咲き乱れるキミの輝く夏を、めくるめくどの季節のなかでも僕は、いつもこころに描いている。
キミは、このときのために、さいはての大地にしっかりと腰をすえて、誰よりも根強く生きているのだろう。
ただ、僕や同じさいはてのキミの友だち、そして全国からの巡礼者の誰もがおそらく危惧していることがある。
人間の造る水路などが原因とされる自然破壊や、弱肉強食の自然界が造るササの繁殖など・・・。
キミのエネミィはたくさんいるだろうけど、負けることなく、しっかりと生きてほしい。
そして、キミのすばらしさを、もっとみんなに知ってもらいたい。
ひとつ残念なことがある。
僕は旅人だから、いつかはキミの前から、突然、姿を消すだろう。
好きなときに、いつでもキミを観にくることができなくなるだろう。
もう、いつでも語りあうこともできなくなるだろう。
キミの姿を、いつでもカメラに収めることもできなくなるだろう。
でも、厳しいさいはての冬を共に越してきたことは決して忘れない。
どんなに遠く離れても、どんなに年月が経とうとも、僕はキミを決して忘れることはないから。
だから、キミも僕を決して忘れないでいてほしい。
何年先になるかわからないけれど、僕は、おそらく巡礼者に姿を変えて、キミとの再会を果たしに、この大地を訪れることになるだろう。
キミは、僕のこころの支えなのかもしれない。
だから、キミは永遠でいてほしい。
いつまでも、いつまでも、キミは永遠でいてほしい。