ホームページの別館として、ブログによる音楽日記を開設してから、そろそろ1年になろうとしている。
プロバイダは「ぷらら」を利用しているので、「湘南マリリン」さんのアドバイスから「ぷらら」のブログサイトをそのまま利用することとした。
当初の考えでは、ホームページの使用容量が限界に近づいてきたことにより、その緩和策として既存のページをブログへ移設することを想定していた。
が、ブログでのイメージが浮かばないまま契約したこともあって、見切り発進せざるを得ない状況となってしまった。
それじゃあ仕方ないということで、とりあえず日記形式で日々の記録を書き綴ることとしたものの、統一されたテーマがないことから生じる素材のなさが原因となって、最初の意欲はどこへいってしまったのか、散々な幕開けとなってしまった。
『いいや、どうせ「別館」なんだから、そんなに派手にやることはないんだ。』
そう思うと、書き綴る意欲の低下になおさら拍車がかかるような状況となった。
書いたり書かなかったりして、どうでもいいような日々が続き、あっという間に3〜4ヶ月が過ぎた。
高田純次的ないい加減さをそろそろ反省しなければならないと感じはじめ、今までの日記を振り返ってみて、その傾向を分析してみた。
すると、おもしろいことに、音楽ネタが半分以上占めていることがわかった。
『そうかあ、それじゃ音楽を紹介するブログとして位置づけしてみようか。』
しかし、そのためには何か個性的なものを考えなくてはならない。
さんざん考えたすえに、ひとつの結論が浮かんだ。
つまり、曲を単純に紹介するよりは、紹介した曲に「You tube」の動画を添付して直接聴いてもらおうと考えた。
そうすれば、ブログ訪問者とのイメージの共有が図られるにちがいないはず。
しかし、音楽といっても邦楽、洋楽、ジャンル別などがあって、これをどうやってまとめていこうか迷いに迷った。
そこで、やはり高田純次的ないいかげんさが再度登場したので、とりあえず自分の好んだ音楽を登場させていくこととした。
その方法が現在のブログの出発点であり、今現在ではどうにか軌道に乗っているような気がする。
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実は、僕は「ぷらら」ブログのほかに、もう1つブログを開設している。
これは秘密のブログであって、ここではあえて触れないことにする。
ブログはホームページと違い、それぞれの個性が光るから不思議だ。
ほとんどが日記形式なので、トップページというものがなく、日々更新した写真と文章とがいわば「生命線」となる。
ブログのなかでアクセス数が多いのは「料理」モノだと言われている。
主婦層の『今日の晩ごはんは何にしようかな。』という悩みを解決してくれる点では大人気だと思うが、実際に料理するかどうかは別問題だろう。
次に多いのは「旅行」モノだと言われているが、興味がわくもうひとつの要素である「グルメ」モノも同様にネットではかかせない「キーワード」なのかもしれない。
ブログの場合、例えば「ぷらら」では、「ぷらら」全体のブログの目次みたいなものがあって、そのトップメニューによって、サーフしてくるケースが多い。
目次で何かの言葉を検索条件として記せば、それに関連したブログが出てくるし、更新したばかりのものであれば、それなりに表示されている。
また、キーワードも掲示されているので、自分のお気に入りが探せるかもしれない。
ブログをサーフしていると、ものすごい数のブログが登録されている現状にあらためて驚いてしまう。
なかには芸能人のブログもあり、この手はアクセス数が1秒ごとにカウントされるような驚異的な数字のブログも存在しているので、その芸能人の人気バロメータが反映されているようにも思える。
ただ、ここで気になるのは、日記形式であるブログが、実は誰のために書いているのだろうかということ。
まぎれもなく、これは自分のためにではなく、誰かに読んでもらいたい日記なのだろうと、僕は思う。
もしくは、最初から日記ではなく、日記的なホームページなのだろう。
だから、「コメント」記事が掲載されるのであって、そうでなければ設定されているわけがない。
人間、割切ることも必要であるから、「人目に触れる前提での日記」ということでこれは解決したい。
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「きたくらぶ」を開設して4年が過ぎようとしている。
平成18年3月に大幅リニューしてからもう1年半以上が経過しているため、そろそろ「模様替え」しようかなと考えていたので、日々少しずつリニューしている状況である。
4年も過ぎると、写真1枚1枚に愛着があって、ホームページ上から削除することにすごい抵抗を感じてしまう。
でも、大ナタをふるって決断しなければならない。
人間、思いきりも必要だろう。
それと、今までのスタイルに固執したいので、新ゴーナーは考えていない。
ブログを「音楽生活」の単体として位置づけすることによって、幅が出てくるはずだ。
また、「素顔のままで」は、リニューする必要はないだろう。
リニューは、容量が大きい「季節のなかで」がメインとなる。
要するにスリム化を図るのだが、どういった手術をすればいいのか見当もつかない。
ただ、「さいはて」は僕の財産だから、縮小しても残すことに違いはない。
「サロベツ」と「礼文島」は、どんなかたちになっても残さなければならない。
いつか、また訪れるその日までの「あかし」として。