市内のスポーツジムで、アクアビクスを一緒に習っている「社長」が、一人用の簡易登山テントを1週間以内に手に入れたいと、言ってきた。
彼の趣味は登山であり、来週末に予定している登山で仮眠する際に使いたいということだった。
その単純明快なお話に、ズルズルと引っ張られていくことになろうとは・・・。
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プロローグは、ネット通販の詐欺から始まった。
その社長が、北海道の中央部を縦に走る「日高山脈」の一つである「幌尻岳」を登ろうと計画したとき、行程上、どうしても野宿しなければならなく、一人用の簡易テントを市内ホームセンターで探したのだが、一人用はあいにく販売されていなかったとのこと。
でも、どうしてもテントを必要としていたので、会社へ訪問にくる営業マンに相談したところ、ネット通販で購入できることを知った。
社長は、その営業マンにネットで購入できるサイトを紹介してもらい、そのサイトの指示に従って銀行振込みをした。
銀行振込みをしてから1週間たち、そして2週間がたった。
変だと思った社長は、たまたまこれも会社訪問していた保険外交員へそのことを話した。
インターネットに詳しいその女性外交員は、能力を駆使してそのサイトが詐欺であることを確認し、社長にその旨伝えた。
『社長、「銀振り」は詐欺師の常とう手段だし、クレジットカードならもっと危なかったかもしれないよ。ネットで品物を購入するなら、「代引き」が無難だよ。だいたい、相手がどんな人物なんだかわからないでしょ。「振り込めサギ」と同じ手口だよ。』
アクアビクスの前にあるウォーキングタイムで、水中歩行しながら僕は、落胆した社長にそう話した。
『なに、その「代引き」って。』
『販売者と購入者とが宅配業者を通じて、品物と現金を交換することだよ。宅配はヤマトや佐川がなっているから、その宅配業者が介入しているんで、まず間違いないよ。』
『このまえパソコンで探して同じテントがあったけど、そこは「代引きはしておりません。」とあったんだよ。その代引きか。』
『代引きしないサイトは、どんな理由かわからないけど、かなり怪しいと考えたほうがいいよ。』
『・・・。』
『わかったよ。明日の午前中、都合ついたら、社長のとこへ行くから。』
『休みなのに、悪いねえ。』
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翌日の土曜日、僕はその社長の仕事場へ行った。
『社長、昨日話していたサイトはどこさ。』
「履歴」でわかるのだが、プライバシーを考慮し、あえてそうたずねた。
『ここにあるよ。』
そのサイトは大阪に本社があるホームセンターで、東北までしか店舗がないので、北海道では全くの無名の会社だった。
社長が欲しいとテントをチェックして、注文画面へ進むと、注意書きがあった。
つまり、理由は明記されていないのだが、事情により「代引き」は行っていない旨の注意書きがされていたのだった。
そして、悪いことに、ネット通販は土曜と日曜は休みということであり、しかも商品お届まで1週間かかるということであった。
『社長、テントはいつ使うの?』
『来週の金曜の夜に出発するから、金曜の午前中までに届けばいいんだけどさ。』
『代引きもしていないから、申込みは来週の月曜日からだから、時間的に無理だわ。』
『困ったなあ。なんとかならないの?』
『他のサイトで探してみるかい? 例えば「L.L.BEAN」とか。』
『なに、そのエルエル・・・。』
『昔からあるアメリカの通販会社だよ。日本にもあるし、値段は少し高めだけど、品物はいいよ。』
『そんなに高くなくてもいいんだよ。1回だけ使うものだから。』
『それじゃ、「Yahoo」のショッピングで探してみるわ。』
社長のリクエストで、僕はそのサイトで検索してみた。
「一人用テント」が写真入りでカタログ化されていて、定価22,000円が大特価の4,800円と表示されていた。
『ほう〜、値段も手ごろだし、重さも1.2キロならちょうどいいわ。』
『社長、それじゃ、これにするかい?』
『うん、頼むわ。』
その品物を「カート」に入れてレジ画面へ進んだ。
『社長、品物は5〜7日で届くけど、土曜日曜もカウントされるから、早くて水曜日、遅くとも金曜日には到着するみたいだよ。どうする?』
『金曜まで届くんだったら、注文してよ。』
『あいよ。送料が500円で、代引き手数料が315円だから、合計で5,615円、宅配はヤマトになってるわ。』
『良かったよ。また騙されたりしたら、ほんといやだからね。ありがとう。』
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水曜夜のアクアビクスで、社長がニコニコしていた。
『テント、今日の午前中に届いたわ。中国製だったけど、重さもちょうどいいし、ほんと良かったわ。ありがとう。』
『ほんと〜。早く着いたね。代引きが確実だから、次もこれを利用したほうがいいよ。』
『買うものがあったら、また、頼むよ。』
『いいけど、バイト料は高いよ。』
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その翌週の水曜夜がやってきて、アクアビクスにあの社長がいた。
『やいや、まいったわ。』
『社長、どうした?』
『テントさ、使えなかった。』
『え〜?』
『登った山が国立公園にあったから、登山事務所の人にテントは使用禁止だと言われてさ、下山するまで「没収」されちゃった。』
おあとがよろしいようで。