ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 かつては「炭鉱のマチ」と呼ばれ、最盛期の1960年(昭和35年)には約11万7千人が住んでいた夕張市が財政破綻し、全国にその衝撃が走った。

 人口も減り続け、最盛期から46年後の昨年9月末でわずか1万3千人にまで落ち込んだ。

 夕張(ゆうばり)という地名は、道産子(どさんこ)なら誰もが知っている歴史あるマチであるが、全国的には「夕張メロン」人気が先行していて、「炭鉱のマチ」というイメージは遠い過去の話となっている。

 石炭が「黒ダイヤ」と呼ばれていたころ、夕張をはじめたとした北海道の炭鉱マチは、すごい景気であったといわれている。

 炭鉱マンの家庭は羽振りがよく、札幌や函館にないものが夕張にはあったらしく、特に最新の高級車がバンバン走っていたと聞いたことがある。

 しかし、日本が高度成長期に入ると、エネルギーがそれまでの石炭から石油へと交代し、数多くあった国内の炭鉱が相次いで「閉山」していった。

夕張も同じ運命をたどることとなり、最後に残った三菱系の「南大夕張炭鉱」が1990年(平成2年)に閉山した。

 その夕張に、僕が生涯忘れることのできない想い出がある。

1981年(昭和56年)に発生した三井系の「北炭夕張新鉱」のガス突出事故で93人もの犠牲者を出し、マチ全体が悲しみに沈んでいたのを、僕は目の当たりにしたのだ。

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 僕が夕張を一度訪れてみたいと思ったのは、山田洋次監督・高倉健主演の映画「しあわせの黄色いハンカチ」がきっかけだった。

 健さん扮する主人公が刑期を終えて網走刑務所を出所し、たまたま北海道旅行をしていた武田鉄矢・桃井かおりと出会い、倍賞千恵子扮する奥さんの待つ夕張まで旅をするという単純なストーリーなのだが、当時20代前半の僕は、そのラストで不覚にもオイオイ泣いてしまった。

 この映画は、日本映画の古典的名作であり、ご覧になった方もかなりおられるはずで、おそらくは僕と同じ場面で皆さんも不覚にも泣いてしまったと、僕は信じている。

夕張の住み慣れた「炭住街」(炭鉱マン一家が住む「長屋」)に健さんらはたどり着くが、やっぱりやめると引き返そうとするのを武田鉄矢に諭される。

そして、我が家のほうを見ると、青空いっぱいに、たくさんの黄色いハンカチがなびいていた。

人と人とが約束をして、そして信じあうというテーマを、これほど見事に表現したラストはなかった。

観終わって、照明がつくと、皆の目が涙で光っていて、しばらくの間、誰一人として席を立つ人はいなかった。

ちなみに、アメリカの「ドーン」というグループが歌った「幸せの黄色いリボン」の詩を、山田監督が映画化したとのことである。

 「今でも愛しているのなら、家の外に黄色いリボンを飾っていておくれ」

この映画で舞台となった夕張の「炭住街」を、一度でいいからこの目で見てみたい、と僕はいつも思っていた。

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 『先輩、私が案内しますから、夕張へ行ってみましょうよ。』

 今からおよそ25年前のちょうど、北炭夕張のガス突出事故直後のこと。

 当時、僕は千歳空港で仕事をしていて、職場の後輩に夕張出身者がいたことので、彼からその夕張の素晴らしさをいつも聞かされていた。

 『でもさ、ガス突出事故でマチが沈んでいるときに、ノコノコと行けるわけないでしょう。』

 『だから、あえてその光景を先輩の目に焼き付けてほしいんですよ。僕にとっては見慣れた光景だけど、それを知ってほしいんですよ。』

 『・・・』

 『世の中で、一度に100人近くも死亡するのは、航空機事故と炭鉱事故くらいしかないんですよ。炭住街に住む主がほとんど死んでしまうっていう悲惨さを、先輩の目に焼き付けてほしいんです。』

 僕は、その後輩と南夕張(紅葉山)のほうからクルマで向かった。

 あいにくの小雨模様だった。

 道路沿いに濁った川が流れているのが見えた。

 その濁った川を横目に、運転する後輩が話した。

 『ガス事故を拡大しないためにと坑内へ流した水が、この濁った川に流れ出ているんです。遺族は、「もしかして生きているかもしれないのに、何故、注水なんかするんだ!」って・・・』

 『注水する合図のサイレンが炭住街に鳴り響くと、すすり泣く声が混じって聞こえてくるんですよ・・・』

 市内に到着すると、マチのいたるところで喪服を着た市民が歩いていた。

霊柩車も見えて、うつむく人たちの姿を窓越しに見ていると、僕はもう自分が耐えられなくなっているのを感じた。

一度に93人も、それも一家の大黒柱が一度に・・・。

残された家族はどうするのだろう・・・。

 『もう、勘弁してくれ。炭住街は、この次でいいよ。早く帰ろう・・・』

 後輩に、そう伝えるのが精一杯だった。

 『炭住街の朝食って、いつも正月のように豪華なんですよ。何故だかわかりますか? 朝、家族が主を送り出して、その主が夕方に必ず帰ってくるという保障がないからなんです。』

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 昨年の暮れに、夕張の成人式実行委員らがカンパの呼びかけをしている映像を見た。

 夕張市が財政再建団体となり、成人式予算が従来の60万円から1万円に大幅削減されたためだという。

 『たった1万円なら、「いらない!」って投げ返してやれよ!』と、僕はテレビに向かって文句を言った。

 約600億円以上の借金をかかえて、夕張市は「倒産」した。

 2010年度までに、市職員を220名から70名に削減する。

 市内唯一の高校(夕張高)が来年度から生徒の募集を停止する。

 2010年度までに、市内小・中学校を各1校のみとなる。

 2008年度に、養護老人ホームが廃止となる。

 ・・・

 こんな暗い話ばかりのなかで、成人式は1月7日に開催され、新成人91名が出席した。

 実行委員会へ全国からカンパされた金額は、実に237万円になったそうだ。

女性リーダーで新成人の土屋さんが、涙しながら挨拶した映像に、25年前に見たあの悲しい光景がオーバーラップして、僕はものすごく感動し、そして思わずもらい泣きした。

全国からのカンパ金の額はともかく、日本人には、まだ優しいこころが残っているんだよ。捨てたもんじゃないぞ。

夕張に深い想いがある僕にとって、久々にこのことを書かずにはいられなかった。

カンパ金は、来年度以降に引継ぎされるとのこと。

良かったね。そして、がんばれ! 夕張!