ひとりおもふ
トップ 随想トップ
シルエット・ロマンス

 シベリアは一年中寒いというわけではないだろうが、シベリアという言葉を聞いただけで、極寒地であることを想像し、次の瞬間、ぶるっと震えがくる。

 地球上での最低気温は、1983年7月21日に南極で記録した−89.2℃だそうで、人間が住んでいるところで一番寒かったのは、やっぱりというかシベリアで1933年2月に記録した−72.2℃だそうである。

 
だから、シベリアは寒いというイメージがあるのだろう。

 ちなみに日本での記録は次のとおり。

 ○観測所(委託職員記録)

1931年1月27日 −41.5℃(北海道美深(びふか)町)

 ○気象台(公務員記録)

1902年1月25日 −41℃(北海道旭川市)

 ○戦後記録

 1978年2月17日 −41.2℃(北海道幌加内(ほろかない)町)

ちなみのちなみで申しわけないが、この3記録のうち、旭川市で記録したものが「公式記録」であるとのことである。

でも、どれにしたってどれも同じような気がするし、この3市町は、いずれも道北(北海道北部)内陸部の盆地に所在しているので、このあたりは寒いのだという認識があればそれで足りる。いわば、日本のシベリアなのだろう。

その日本のシベリアでさえも、本家のシベリアには到底及ばない。

 若いときに−30℃を千歳で体験したことがあるが、外へ出たとたんに鼻毛が「キーンと突き刺さるようなしばれ」を感じたし、朝だったのでクルマのバッテリーは上がってしまうわで大変だったことを覚えている。

 ダイヤモンドダストが朝陽にキラキラ輝いて見えたけど、優雅に眺めている余裕はなく、耳は痛くなるわ、吐く白い息でさえ凍結してしまうのではないかと思った。

 仕事の関係で、防寒衣と軍手を着用して−50℃の冷凍庫に、およそ10分の間、入ったことがある。

 夏だったので、その温度差が実に80℃・・・。

 最初は気持ちいいと思ったが、1分もしないうちにじわじわと指先と耳が「刺さるよう」に痛くなったし、そのうち膝から太ももにかけて震えがはじまり、ズボンの裏地が皮膚に接するたびに冷たい金属にでも触れたような冷たさを覚えた。しまいには、歯がガタガタと震えが止まらなくなった。

「入庫」したいとは二度と思わなかった。

 −50℃でさえこうなのだから、絶対に体験はしたくないが、シベリアの寒さって、いったいどんなものなのだろう。

★★★★★

 「ドクトル・ジバコ」という名作映画がある。

 製作は1965年で、監督は巨匠デビット・リーン。

 主人公はジバコ役のオマー・シャリフなのだが、どちらかというと彼の恋人ラーラ役のジュリー・クリスティがメインとなっていて、アカデミー賞を5部門(オリジナル作曲賞、脚本賞、美術監督・装置賞、撮影賞、衣装賞)受賞した。

 この映画は、革命前後のロシアを舞台に、医者のジバコとその恋人との切なさを描いたラブストーリーなのだが、四季のロシアの風景がいたるところに見事に描かれていて、その壮大なスケールにも感動させられた。

 もちろん、音楽もバラライカを駆使した「ラーラのテーマ」が風景に実によくマッチしていて、とても印象深かった。音楽担当は、モーリス・ジャール。

 映画は、ジバコが幼いときに亡くなった父親の葬式から始まるが、そのシーンがロシアの暗い風土とその時代を見事に反映しているように思えた。

プロローグのあとは、主人公がロシア革命の渦に巻き込まれていくシーンが延々と続く。

この映画を観ていると、何故、ロシア帝国が崩壊して社会主義のソビエト連邦が誕生していったのかがわかる。

革命が起こるまでは裕福だった「ブルジョア階級」のジバコ一家が革命によって家屋と財産を没収され、別荘のある田舎へ疎開するのだが、そこへたどりつくまでの夏の風景が実に美しく描かれている。

その風景にあこがれ、夏の季節にシベリア鉄道で旅をしたいと本気で思ったし、15年くらい前に札幌の近代美術館で開催されたロシア美術展の絵画を観たときにもその想いがまたよみがえった。

やがて、その田舎にも革命の波が押し寄せてきて、住んでいた別荘も没収されてしまう。

一家は使用人が住んでいたすぐ隣りの空き家へ移ることとなり、つつましい暮らしを送りながら、季節は木枯らしの秋から厳しい冬へと変わっていく。

ここまでは、ごく普通のストーリーが展開されているのだが、秋になると一転し、波乱の生涯の幕開けとなる。

ジバコは出かけた町で、恋人ラーラと再会し、奥さんに嘘をついて町に住む彼女へ会いに行くことが日課となる。

それもつかの間、ジバコは町はずれの林道で革命軍に拉致され、軍医として流浪の旅を強制される運命となる。

その流浪の旅もやがて終わるのだが、その間の四季の自然の風景もまた実に美しかった。

流浪の旅も終わり、家族の住む田舎へ戻るが、家族はすでに引き払ったあとで、ジバコは町のラーラのもとへ身を寄せることになる。

そして、ラーラとその娘との短くも充実した生活が、凍りついたあの別荘ではじまり、ジバコはラーラを主人公とした戯曲だったか詩集だったか記憶がないが、それを執筆することになる。

このロシアの真冬のシーンを観ていて、思わず震えがきそうな感じになるが、逆に一番印象的なシーンでもあり、おそらくは氷点下であろう深夜に、おおかみの遠吠えを聞きながら、ローソクをたてた机の上で執筆するシーンが僕は好きだ。

その後、ジバコとラーラは別離せざるを得なくなり、それぞれの人生を歩むことになるが、時は流れ、老いたジバコがそのラーラを街角で見かけ、その後姿を追いかけていくのだが、持病の心臓発作で倒れてしまうというくだりと、ラーラの娘をついに探しあてるジバコの弟とのやりとりでこの長編は終了する。

ジーンときて、思わず涙がこぼれるというシーンはあまりないが、見終えたあとに、なんとも言えぬ気持ちの良さを感じるのは何故だろう。

これでもか、これでもかというくらいにロシアの厳しい冬をスクリーンに映し出すこの映画は、冬にはちゃんと雪が降って積もる土地に住んでいる人たちでなければわからない寒さと景色と言ってしまったら、そうでない人たちから反感を招くことになるだろうが。

例えば、北海道でも函館に住んでいる人たちからすれば、真冬に富良野などの極寒地へ行きたいと思わない反面、一度でいいからダイヤモンドダストを見てみたいとか、早朝や夕暮れの積雪した白一色の冬景色を見てみたいと思うことがある。

その厳しさと美しさの両方をこの映画は見せてくれたのだろう。

★★★★★

 「さいはての雪に、ロマンなんてありゃしない。」

と、僕はこれまで何度もそう言葉にしてきた。

 今冬は、12月に入ってから毎日のように雪が降っている。

 が、冬期間の除雪契約で毎朝ブルドーザーが除雪してくれるので、雪かきは駐車場のみのため、非常に助かっている。

しかし、クルマを使うときはまずクルマに積もった雪を落とし、次に駐車場の除雪をして、はじめて運転可能となるが、用事を済ませて駐車場に戻ってきたときに雪が積もっていれば、再度、除雪することになる。

また、仕事場へは徒歩通勤なので、クルマに積もった雪落としを朝にしなくても良いが、その代わり帰宅後の日課となっており、毎日のように雪が降っていることから、日課とはいえ、いささかうんざりしている。

小樽や札幌のように深々と天から降ってくる雪であれば、多少のロマンは感ずるであろうが、横殴りの強風に飛ばされながら降ってくる雪にはロマンのかけらなんてありはしない。

 「ブリザード」

 「ホワイトアウト」

 どういう表現でもいいが、雪に怖さを感じるということは、到底受け入れられないということに通じる。

 「陸の孤島」

 「暴風雪シェルター」

 暴風雪のため国道が閉鎖されるということが、それがどういう状況なのか想像がつく方は、おそらく雪の怖さを知っている方なのだろうと思う。

 ♪なごり雪も降るときを知り♪

 とてもじゃないが、ここの雪は、そんな気分になるようなものでは決してない。