ひとりおもふ
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シルエット・ロマンス

 僕が映画を語るときに、どうしてもこの映画をまず語らなければならない。僕にとってはそれほど大切で忘れられない映画。

 「卒業」 アメリカ映画 1966年度作品。監督:マイク・ニコルズ 主演:アン・バンクロフト、ダスティン・ホフマン キャサリン・ロス

 主人公のベンジャミン(ダスティン・ホフマン)がロサンゼルス空港に降り立つところから映画が始まる。バックにはサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」が流れる。

 ここで、この映画のストーリーを簡単に述べてみたい。

 東部の大学を優秀な成績で卒業したベンは、なじみのロビンソン夫人(アン・バンクロフト)の誘惑を受け、不倫関係となる。

やがて、帰郷中の幼なじみであるロビンソン夫人の娘エレン(キャサリン・ロス)と恋に陥るが、ベンと母との不倫を知った彼女は傷心の身でサンフランシスコの大学へ戻る。

エレンが自分のパートナーであることを自覚したベンは大学へ行き求婚するが、エレンは両親の策略で違う男性と結婚をすることになる。

教会で式を挙げている最中に、ベンはエレンを略奪して逃避行する。めでたし、めでたし。

 この映画のテーマは、「マザコン(マザー・コンプレックス)」だと言われている。

大学は卒業したけれど就職先も見つけられず、とりあえず自宅待機のたいくつな日々が始まる。水槽を泳ぐ魚が映し出されて、それを主人公が眺めているシーンが映画のテーマを物語っているようである。

その後、ロビンソン夫人の誘惑になすがまま不倫相手となるくだりは観ていておもしろい。

 
特に親からプレゼントされ、皆の前で無理やりアクアラング姿を披露させられることになり、プールの中にこもるシーンは滑稽というよりは、水槽の魚をオーバーラップさせるので何故か物悲しい。

 その水槽をひっくりかえしたような天気雨の中で、夫人から自分の娘との交際を断ち切るよう言われ、断ち切らないのであれば不倫関係を暴露すると脅される。ここから、「マザコン」との戦いが始まる。

主人公はその天気雨の中をエレンのところまで走り、夫人との関係を彼女に悟らせるシーンは実に切なくやりきれない。

そのときのエレンの「裏切られた」という表情と、雨なのか涙なのか理由はわからないが、黒いアイシャドウが頬を伝って流れ落ちていく夫人の哀れな表情とが忘れられない。

父親のクルマで大学へ戻る彼女の姿を遠くで眺めたり、彼女を追ってサンフランシスコまで愛車で走るシーンには名曲「スカボローフェア」が惜しみなく使われ、実に印象深いものとなっている。この映画のなかで一番好きなシーンである。

クライマックスの結婚式場の教会で、エレンの名を叫び続け、それに応えるかのように、「ベ〜ン!」と叫びかえすシーンは何度見ても素敵だと思うし、「マザコン」を完全に打破し、教会の扉を十字架で封印して、路線バスに乗り込む姿に「良かった」と安堵する反面、二人はこの先どうなるのだろうかという不安も横切った。

観客のその安堵と不安というふたつの想いは、映画のなかの二人の表情にもあらわれていた。

続編が作られなかった分だけ、余計に「その後」が知りたくなるが、監督いわく「その後はご想像におまかせします」ということなのだろう。

この映画を初めて観たのは中学3年生であったが、その後のリバイバル上映やテレビ放映をくりかえし観ているうちに、この映画が「タダモノ」でないということを認識するようになった。

観た回数をカウントしただけでも20回は超えているだろう。観るたびに、また違った新鮮さが生まれてくるようで、去年にはDVDソフトも購入してしまったため、今では好きなときに観ることができるようになった。

この「卒業」という映画を含めて、当時は「ニューシネマ」という表現で数々の名作が生まれた。

その代表作としては、「俺たちに明日はない」「イージーライダー」「明日に向かって撃て」などが掲げられる。この3作には、主人公がいずれも死んでしまうという共通点が存在する。

ハリウッド映画には、最後は「ハッピーエンド」で終わるというパターンがそれまであった。

例えば、西部劇では「駅馬車」のように、インディアンに囲まれて危うくなると騎兵隊が登場するというように、「メデタシ、メデタシ」が最後に待ち受けていたので、観客もそれなりにストーリーを読み取ることができた。

しかし、「マカロニ・ウェスタン」というイタリア製西部劇が大ヒットしだしてから映画のパターンが変わってきた。

マカロニ・ウェスタンの基本的シナリオは、主人公が散々痛めつけられて再起不能の状態となるが、最後にはやはり勝つというパターンである。

どこが違うのかといえば、クライマックス前に主人公が極限状態にまで痛めつけられるというところである。ハリウッドの二枚目にはこういったパターンが存在しなかった。

こうして映画の波が変わっていったのだろう。

「ニューシネマ」のエンディングは、主人公が死んでしまうなど想定範囲外のシーンで圧倒された。

その延長には、傑作中の傑作「スティング」があった。詐欺師を題材にした映画であるが、劇場に足を運んだ観客までも騙してしまうこの映画のエンディングには、ただ、唖然としたし、「やられた。」と拍手を送った人も多かったと思う。

アメリカ映画は、その後は「スターウォーズ」や「インディジョーンズ」への娯楽作品へと移行していくことになるが、僕自身はどうしても「ニューシネマ」にこだわりたい。

たしかに、「ニューシネマ」以前のアメリカ映画は、「ベンハー」「アラビアのロレンス」「史上最大の作戦」などの巨大製作費を投じたスペクタクルものが多かったので、斬新な「ニューシネマ」の登場は、映画ファンを「釘付け」にしたことだろう。

「卒業」にはじまった僕と映画とのつきあいは、その後の「真夜中のカウボーイ」「明日に向かって撃て」へとつながり、僕が映画好きとなるきっかけとなった。

そういうことから、自身の映画遍歴を語るうえで、僕にとって「卒業」は避けてとおれないのである。