恋する女は 夢みたがりの
いつもヒロイン つかの間の
鏡に向かって アイペンシルの
色を並べて 迷うだけ
窓辺の憂い顔は 装う女心
茜色の シルエット
来生えつこ作詞、来生たかお作曲の「シルエット・ロマンス」は、北海道夕張市出身のシンガー大橋純子が、81年11月に発表してビッグヒットした永遠の名曲である。
ちなみに、彼女はこの曲で翌82年の日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞している。
大橋純子は、77年に発表した「シンプル・ラブ」という曲でメジャーの仲間入りを果たしたのだが、それまでは売れない無名のシンガーだった。
その売れない無名時代の彼女を、函館で催された某企業主催のミニコンサートで聴いたことがある。もちろん入場無料だった。
150センチくらいの小柄な身体なのに、声量があって日本人ばなれした歌唱力がすごく印象的だったが、なんせ観客が極端に少なかったためか、聴いていて気の毒だったし、彼女も殺風景な観客席に、今にも泣きそうな顔をして歌っていた。
ああ あなたに恋心ぬすまれて
もっと ロマンス 私にしかけてきて
ああ あなたに恋もよう染められて
もっと ロマンス ときめきを止めないで
彼女のプロフィールによれば、名門の夕張北高から札幌の藤女子短大を経て、1974年6月にデビューしている。
ちなみに、夕張の実家は食堂だったと、彼女と同郷の後輩が話していた。
彼女がどんなかたちでデビューしたかは知らないが、どちらかと言えば「遅咲き」の部類に入るだろうから、テレビに出るまでにはそれなりのご苦労があったのだろうと察する。
無名時代の彼女の歌を聴いてから、北海道出身ということとバツグンの歌唱力の印象もあってか、しばらくは頭の片隅に彼女の名前がひっかかっていた。
数年が経過して、テレビでその名前を聞いたとき、「ああ、あのときの彼女がとうとうメジャーデビューを果たしたんだ。」と、どういうわけか安堵したし、すごくうれしい気持ちにもなった。
「シンプル・ラブ」はテンポの良い曲で、小柄な身体に反比例したエネルギッシュな歌い方に、多くのリスナーは驚いたことだろうと思うし、バックバンドを務めた「美乃家セントラルステーション」の演奏もすばらしかった。
その次に発表したのは、「たそがれマイ・ラブ」(78年発表)という、これまた彼女の歌唱力を如何なく発揮した素敵な曲で、この曲が大ブレイクするきっかけとなった。
リズミカルな曲からスローな曲まで幅広く歌いこなす彼女は、たったこの2曲で実力派シンガーとしての地位を一気に築き上げた。
その後、79年発表の「ビューティフル・ミー」のヒットを経て、その地位を不動のものとしたのが、冒頭でも紹介した名曲「シルエット・ロマンス」だった。
あなたのくちびる 首すじかすめ
私の声も かすれてた
無意識にイヤリング 気付いたらはずしてた
重なり合う シルエット
ああ 抱きしめて 身動き出来ないほど
もっと ロマンス 甘くだましてほしい
ああ 抱きしめて 鼓動がひびくほどに
もっと ロマンス 激しく感じさせて
この曲は、メロディも良ければ、詞のフレーズひとつひとつが恋する女性の繊細さを見事に表現していて、それを彼女が感情豊かに歌いきっている。
この曲は、日本ポップス界では後世に語り継がれるであろう1曲のひとつだと僕は思っている。
発表されてから既に25年も経過しているのに、その年月を感じさせないほどみずみずしい曲だと思うが、これをカバーして歌えるシンガーは現在のところ、ジャンルは違うけど、おそらく「MISIA」くらいしかいないだろう。
それくらい歌唱力と声量を必要とする曲なのだと僕は思う。
大橋純子のピークはこの頃だったと思うが、現在もコンサートを中心に活動しているようであり、その元気な姿をステージで確かめてみたいと思っている。
おりしも故郷の夕張市は、財政破綻による再建計画の嵐が吹き荒れている。
何かと話題が多い故郷のためにも、持ち前のバイタリティで歌いつづけてほしいと願っている。