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7月に入ると、しびれはほとんどなくなったが、あいかわらず右肘のすじの痛みはとれなかったし、そして、気になることに、今度は右肩甲骨付近が痛くなり、右肩を下にして眠ることすらできなくなっていた。
当然、プールで泳ぐことはなかったし、ベルトコンベアでランニングしていても、右肩が痛くて十分に腕が振れない状態が続いていた。
『おいおい、今度は右肩かよ。ったく、いい加減にしてくれよな。』
と、思いながらも朝晩の温シップ貼付作業は続くし、右肘にはサポーターという半病人の暮らし。
『それは、「五十肩」ですよ。五十肩は肩甲骨付近が痛いのが典型的な例で、腕が上がらなくなってくるんですよ。間違いないですよ。だって、僕も五十肩ですから。』
40代半ばの部下も五十肩とのこと。
『そのうち、首筋が痛くなるので、痛くならないうちに整形へ行ったほうが無難ですよ。でも、ここで整形といってもねえ。あ、僕は札幌へ戻ったときにかかりつけの病院へ行ってますんで。』
8月の初め、女房殿と娘を週末に苫小牧へ迎えにいく週のことだった。
仕事をしていて、今までにない痛みを右肩に覚えた。
帰宅して、パソコン画面を眺めていると、今度は右クビすじが痛くなってきたので、パソコンをやめて就寝することにした。
が、だんだんとクビが痛くなってきたので、とりあえずサロンパスを貼って寝た。
翌日、決心して僕は、市内の整形外科の門をたたいた。
この先のことについては、「美学」というエッセイで紹介しているので、割愛させていただく。
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あれから、2ケ月が経過した。
痛み自体はそんなにないものの、右腕が今もちゃんとまわらないことに変化はない。
ネット上で、僕が「母親」的存在と勝手に決めている「羽村ばぁばさん」の「五十肩」というエッセイを読んで動揺した。
ばぁばさんも「五十肩」だ。
あまりうれしくない「似たもの同士」。
やっぱり、「以心伝心」の「親子」かと、勝手に思ってしまった。
ばぁばさんのお話では、6ケ月もすれば通常は治るということであるが、僕は、そんな期限を待たずに早く治ってほしいのだ。
つまり、3年以上もご無沙汰している水泳を思いっきりしたいのだ。
ジムでは、筋トレとランニングのあとにプールで泳ぐのが日課だったのだが、左肩を痛めてからは軽くしか泳げないし、右肩を今度は痛めてからは腕をまわすこともできないので、必然的に泳ぐのをやめて、水中ウォーキング専門にメニュー変更した。
コースで優雅に泳いでいる人たちを横目に、黙々と歩いている。
『今に、見ていろ。右肩が治ったら、思いっきり泳いでやるからな。』
「五十肩」の辛さは、日々の痛みもそうだが、一番いやなのは寝ているときに急に痛み出すという症状であり、寝ていてこれほど痛い思いをするのは今までに経験がなかったほどだ。
左肩のときは、医師から冷やすと痛くなるということで「温シップ」だったが、今度は「冷シップ」。そして、時間があれば温泉へ極力「足」を運ぶことにしている。
ただ、やっかないなことがある。
仕事でクルマの助手席に乗車するとき、シートベルト脱着の際に右腕が伸びないので苦労する。したがって、左腕でセットしなければならない。
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37歳のときに、運動で右アキレス腱を断裂し、救急車で救急指定当番の函館市民会館横の総合病院へ運ばれ、そのまま入院・手術となった。
生まれてこのかた救急車の世話になったことはないし、入院なんてしたこともなかったし、手術もはじめてだったので、6人部屋のベッドで寝ていると、心細さからくる恐怖感というか不安感というかそういった感情が脳裏を交差してくるので、かなりびくついた。
手術も無事終わり、車椅子から松葉杖に昇格?し、入院生活はリハビリメニューとなったが、整形外科の入院患者は、例えば骨折したとかそういういわば手術してリハビリして、入院する前の現状回復に向けて入院しているわけであって、あまり言いたくないが、例えば内科の入院患者のように悪くなるばかりの入院生活ではない。
まして、同室には、足を骨折した大工、板金工、漁師の勇ましい20代男性トリオがいたので、当然、病院での食事に満腹感を覚えることがなく、夕食はプラス1品を「出前」するのが常だったし、年頃の看護師をからかうのが日課だったので、ある意味では楽しい入院生活でもあった。
夜になると、差し入れで入手したウイスキーを、飲みほしたウーロン茶缶で「水割り」を作り、部屋で飲んでいるとにおいですぐわかるので、唯一たばこが吸える「ナースステーション」前で、みんなでちびりちびりやっていたが、当直の看護師がナースステーションから出てくると、赤い顔を見られないように一斉に下を向く動作が滑稽だった。
同室は満員御礼で、僕の他に足を骨折した前述の患者が3名、路上ですべって腰を打った老人が1名と右手を複雑骨折したトラック運転手が1名いた。
雑談のなかで、足の骨折と手の骨折とでは、どちらが「まし」かという話となった。
足の骨折は、どこへ行くにも松葉杖を使わなければ行動できない制約があるが、両手はいつもどおり使える。
具体的な不自由さとしては、ケガした足がギブスで固定されているため、かかとが地面に「着地」できないので、トイレでの「大」が不便・・・。
手の骨折は、行動に制約がないものの、手作業に不自由さを覚える。
具体的には、洗顔時のタオルが絞れない。
といったものだったが、典型的な例として、入院生活にも慣れたある夜の外来患者待合室にあるコーヒーの自販機での出来事が未だに印象に残っている。
コーヒーの入れたてが飲めるその自販機をリハビリのときに目撃したので、さっそく、その夜、飲みに行くことに決めた。
松葉杖で自販機の前に立ち、お金を投入する。
紙コップが出てきて、注水口に置く。
その紙コップに熱い湯気が出るコーヒーが注がれる。
ああ、いいにおい。これがコーヒーだよ。
完成。
それで、その紙コップに入った入れたてのコーヒーを待合室の長いすで飲もうと手にとった。
長いすまでの距離は、ほんの3メートル程度。
で、松葉杖を両脇ではさんだまま、しばらく考えた。
この紙コップを持って、どうやってその長いすまで移動したらいいのか。
ケンケンで行ったら、コーヒーがこぼれてしまう。
紙コップを口に加えて移動するには、熱すぎる。
自販機の前で立ち往生となった。
だが、神は僕を見捨てなかった。
運よく、看護師がこちらの方向へ歩いてきたので、コーヒーを持ってもらうことにした。それで、無事長いすに腰掛けて、入れたてのコーヒーを飲むことができた。
普段の生活では考えられない光景だった。
世の中、いくら身障者対策が進んでいるからって、基本はやっぱり五体満足の正常人中心に設定されていると思う。
五十肩もアキレス腱断裂も不幸な出来事であるが、その災いを汲んだ対策なんて聞いたことがない。
世の中、事件や現象が発生すると、いつも対策がささやかれる。そのことが実はいっそう世の中を複雑にしてはいないだろうか。
とかなんとか言ってみても、僕の五十肩はまだまだ痛みを伴い、そして現在進行形である。