ひとりおもふ
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単身生活
 日本のてっぺん、稚内市中心部から隣町へ南下するには3本の街道がある。

 日本海オロロンラインの「道道106号線」。

ほぼ中央部を流れる天塩川沿いの「国道40号線」。

宗谷岬を経由するオホーツク海側の「国道238号線」。

それぞれの街道にはそれぞれの特色がある。

例えばオロロンラインでは、日本海と利尻富士を延々と眺めることができるし、オホーツク海側では、はるか彼方まで続くオホーツクの海を延々と眺めることができる。

そして、天塩川沿いに旭川まで延びる国道40号線では、酪農地帯〜原生林〜畑作地帯〜田園地帯が入れ替わり延々と続く。

この3本の街道には、共通した特色がある。

「朽ちたサイロ」

北海道開拓者精神(フロンティア・スピリット)のシンボルであり、はるかノスタルジイがそこにあるような哀愁にかられる。

おおよそ「朽ちたサイロ」のそばには、倒壊または半倒壊の木造民家が野ざらし状態となって放置され、その年月の経過に、自然の厳しさというものをあらためて感じる。

それらのサイロのほとんどが円柱レンガ造りで、屋根は錆び上がったトタンである。だから、レンガ自体は朽ちてはいないものの、屋根が抜け落ちた状態となっているものが多い。

北海道に住む我々の世代の多くは、これらのサイロが北海道酪農を物語っていると思っているので、その朽ちた光景を第三者的に眺めることはできないだろうし、逆に揶揄(やゆ)する人がいれば、北海道開拓そのものを汚すものとして、「軽蔑」という言葉を突きつけることになるだろう。

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稚内のある方が開設されているサイトに、周辺の朽ちたサイロの写真が数多く掲載されていて、それらを拝見するたびに、いてもたってもいられない衝動にかられる。

それらの朽ちたサイロに刻まれた北海道開拓の喜怒哀楽をこの眼で確かめたいという気持ちが強くなる。

その地で、そのまま酪農を続けておられる方もいれば、離農して都会へ出て行かれた方もいるのだろう。

また、一番悲しいのは、後継者に恵まれなかった主と奥様が年老いて他界され、そのままになっている場合もあるのだろう。

いずれにせよ、「フロンティア・スピリット」を抱いた酪農一家のその地での過酷な暮らしを、幾年もの四季を通じて見守ってきたサイロ。

サクラ咲く春には、子供たちのピカピカの入学姿に微笑んでいたのだろう。

果てしない青い空が拡がる夏には、酪農に汗を流す日焼けした一家の姿を見続けていたのだろう。

紅葉の秋には、神に感謝し、笑顔で囲炉裏を囲む一家の夕食風景を窓ごしに眺めていたのだろう。

そして、過酷な冬には、吹雪で孤立する一家に希望を抱かせ続けようとして、敢然と冬将軍に立ち向かったのだろう。

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 函館生まれの函館育ちである僕は、こういった「朽ちたサイロ」と対面する機会に乏しかった。

 同じ北海道でも函館周辺の農家では、稲作や畑作並びに果樹園が多いので、酪農はあまりおめにかかることはない。

 まして、10年くらい前に単身生活した根室周辺では、大規模酪農で有名な「パイロットファーム」と言われる別海(べつかい)町や中標津(なかしべつ)町がお隣りにあり、歴史は浅いものの稚内周辺とは規模(ケタ)が全然違うし、近代化された酪農経営を見せつけられていたので、こうした「朽ちたサイロ」を見ることがほとんどなかった。

 故に、郷愁というか憂愁というか、そういう想いが北海道酪農の歴史に対して人一倍強いのかもしれないので、こうして敏感になってしまうのだろう。

北海道は、本州のように長い歴史があって歴史的な建造物があるわけではなく、開拓されてまだ140年くらいの歴史しか持ち合わせていない若い大地である。

従って、歴史的な建造物はほとんど明治時代に入ってからの開拓以降のものばかり。

 では、そういった歴史的建造物が札幌や函館、小樽などの都市部を除けば、いったいどれくらいの数が存在するのだろう。

 過疎化が進む大地では、廃校となった木造の学校は次々と取り壊され、かつての道民の「足」であった国鉄時代の線路も駅舎も今はない。

 人が住んでいたという形跡が無くなりつつあるこの現実は、ほんとうに辛くなる想いでいっぱいだ。

 朽ち果てる美学というのだろうか、だからと言ってはなんだが、さいはてのサロベツ原野の可憐な花たちを夏に眺めて、秋にはその朽ちていく姿をこの目に焼き付けて、白一色となる厳しい冬に耐えている姿を想い、そうして、また来るであろう春に想いを馳せるのが好きになった。

 秋という季節のなかで、どんなに朽ちた姿を見せても、花たちには来年がまたあるのだ。

 来年には、また、この原野で、きれいに咲くことができるのだ。

 でも、過疎化には来年を見つけることができない。ただ、滅びていくだけの光景があるのみだ。

 そういった想いが交差して、サロベツへ足を運ぶたびに、近づくたびに、自然と僕の眼から涙がこぼれ落ちてくるのだろう。

 そのサロベツへ足を運ぶたびに眼に映る、道路沿いでひっそりとその余生を過ごす「朽ちたサイロ」たち。

 滅びゆく美学とは言い切れぬもの悲しさというものが僕の脳裏をかすめていくが、しばらくすれば、果てしなくどこまでも続くサロベツが眼前に拡がってくる。

 そのサロベツまでの道のりには、ナベサダの「マイ・ディア・ライフ」が、とても良く似合う。