ひとりおもふ
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単身生活
 日本国内で、ご家族と離れて単身生活を送られている殿方は、一体どれくらいいるのだろう。

 単身赴任と言えばすぐ男性を想像しがちであるが、最近は女性も見受けられる。例の「男女雇用機会均等法」という法律が制定されてから顕著になったらしい。

 単身生活を強いられるのは、簡単に言えば、「自宅から通勤できない」という物理的な理由によるものがほとんどであり、要するに交通アクセスと通勤時間といった条件がクリアされるのであれば、単身は解消されるということにもなる。

 だが、こういった条件にはほとんど該当しないような自宅から遠く離れた場所での勤務が多いのが現状であるから、仕方なしに単身生活を送ることになる。

 自宅を所有しないいわゆる「転勤族」は、基本的には家族同伴ということになるし、仮に子息の就学事情や身内の世話をしなければならない等の問題がある場合に限って単身生活という場面になるのだろう。

 また、自宅を所有する場合は、当然「自宅から離れられない」という状況なので、自宅を購入したときから、単身生活をすることは覚悟できていることになる。

単身生活を強いられる多くのパターンは、自宅購入の見返りに亭主が単身するということがほとんどではないだろうか。

 単身生活となれば、食事付きの下宿を利用する場合を除き、「かまど」を二つ持つことになるので、当然、生活用品を別にそろえなくてはならない。

 食器類だと、自宅にある「お客」用を2セット程度持ち出せばいいが、いわゆる「家電品」は調達しなければならない。
 
家電品を新しく購入するということは単身赴任期間にもよるが、潔癖症でなければ、最近は「リース品」も結構出回っているし、洗濯はコインランドリーで済ますという考え方もある。

 また、テレビもパソコンで観られるようになったので、あらためて購入するということもなくなった。

 となれば、エアコンやストーブを除けば、最低でも洗濯機、掃除機と冷蔵庫、それに電子レンジがあればいいのかなと、物質面での問題はあまりないだろうということになる。便利な世の中になったものだ。

 が、それよりも一番大事なことがある。

 単身者自身、掃除・洗濯・炊事ができるかどうかということ。

 独身時代に自炊していた人であれば問題ないものの、奥さんがいないと家はほこりだらけ、汚れ物はほったらかし、メシは食べても後片付けはしないというすべて奥さんにおまかせコースにどっぷりと浸った人にはまず無理だ。

 こういう人の場合には、奥さんが定期的にその単身宅へ赴き、「汚れ」を洗浄しなければならない。そして、手作り料理を冷凍保存していく必要もあるし、何よりも肝心なのは「浮気」の物的証拠の有無を探る必要もある。こわ〜。

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 『うちのダンナはだめよ。な〜んにもできないんだから。だから、食事はコンビニ弁当、食器も使い捨ての紙容器を宅配便で送っているのよ。スーパーなんか入ったことないんだから、自分で買えないのよねえ。』

 『家にいればいて邪魔なときもあるし。この間、母の日のプレゼントって言ってさ、ケーキ買ってきてくれたんだけど、ほんとに気がきかないよね。こっちはダイエットと運動で必死なのに。太れっていうんだろうか。仕方ないから子供に食べさせたけど、○○のケーキだったから誘惑にグラッときたわよ。』

 『だったら、イアリングやネックレスでいいのにさ。単身赴任でいないほうがせいせいするわよね。』

 ジムで、エアロバイクを漕ぎながらの主婦の会話ってこんなもんである。

『そういった会話も知らずに、単身赴任のダンナは自宅に残した家族のために必死に仕事して、必死に主夫しているんだぞ! わかってんのか! そこの養○場のおばんたち!』

と、声を出して代弁してやりたかった。

 若いころに自活を経験されたのであれば、「主夫」の部分は申し分ない。ただ、その当時と比して体力の衰えや成人病のキャリアなどヘルス面での課題が発生している場合が多い。

 ということは、食生活をコンビニや外食でカバーすることは避けなければならず、毎日、バランスの良い食事に努めなければならない。

 僕も単身生活を送っている一人であり、食料品等の買出しにスーパーへ行くと、背広姿にかごを持ったいかにも単身者という感じの殿方が買い物している。

 ただ、そういった方たちは、「主夫」を必死にがんばっているという気がするし、特にこの稚内という土地には多い光景のような気がしないでもない。

 こういった方たちのほとんどは、旭川や札幌にご自宅があって、週末になれば自家用車、JR、あるいは都市間バスで、「やれやれ、単身もしんどいわい。」と自宅へそそくさと戻るのであろう。

 そして、そのわずかな帰省のひとときが終われば、重い足取りで再び単身先へと戻る?のであろう。

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 1972年以来30年以上も稚内で単身生活を続けておられる方がいる。

会社社長の役職にあり、ご自宅は横浜。

その横浜へ帰省するのは、正月とお盆と、そして会社が所属するグループの会議があるときくらいだそうである。

ここまでくればすごいと驚嘆するほかないが、それにしても30年以上も稚内で単身生活をしておられれば、むしろ稚内が本拠地のような気になりはしないだろうか。

 単身赴任した当初は、社長になって30年以上もこうして住み続けるとは思わなかったそうだ。

近々、勇退されるという話を聞いているので、これでやっと単身生活が解消されそうであり、ほんとうにお疲れサマと見送ってあげたくなるほどのキャリアだと思った。

単身生活をしていて、たまに家族と顔を合わせると、どうもよそよそしくなるのは僕だけだろうか。

加えて、2・3日もいると、早く単身先へ戻りたいという気持ちにかられるのは何故だろうか。

単身生活をしていると、それが自分の現在の生活リズムであり、そのリズムがかみ合わなくなる一時帰省については、イレギュラーであると自分の身体が示すのだろう。

でも、なんだかんだと言ってみても、結局は我が家に「居場所」がなくなっていることに対しての「気持ちの反応」なのだろうが。

単身生活のリズムは単純明快だ。

朝、目覚し時計に起こされても、し〜んとしているなかを、「よいしょ」と起きなければならないし、「おはよう」の一言を言う対象もいないので、カーテンを開けながら見慣れた景色に、「おはよう」と区切りをつける日課。

当然、「行ってきま〜す。」という対象もいないが、とりあえず玄関で言う。

夜、帰宅しても「ただいま」をいう対象もいないのに、蛍光灯をスイッチオンして、「ただいま」とポツリつぶやく。

テレビを観ながら、自分で作った夕食を「いただきます」と一人で食べる。フロに入ってから、発泡酒を口にして、「ふ〜う」とためいきひとつ。

パソコンを開いて、ネットサーフィンを楽しむ。が、無口の空間が寂しいので、BGMあるいはテレビをつけっぱなしにする。

夜も更けてきたので、ベッドへもぐりこみ、読みかけの小説に目をとおす。
 
が、まぶたがくっついてくるので、就寝する。目覚ましをセットして。

その積み重ねで月日が流れて行き、1年、2年が何事もないように過ぎて行く。

こういった実態を書き記せば、単身生活なんてしたくないのは当然のことなのだが、帰省して家族と過ごしていても、何故、むしょうに単身先へ戻りたいと思ってしまうのだろうか。

その答えは、「単身赴任の悲しい宿命がそうさせるのだ。」と結論付けるしかない、か。