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ひとりおもふ
全国ワースト第2位
 
 
今から40年くらい前に、「幸福」(しあわせ)というフランス映画があった。

 
昨秋、ビデオテープの整理をしていてそのタイトルがふと目に止まり、なつかしくなって、早速テープをまわした。

 
幼い子供のいる若い夫婦が貧しくとも幸せに暮らしているが、郊外での仕事に出た夫が他町の郵便局に勤める女性と恋仲になる。

 
その後、家族でいつものように森へピクニックに出かけたときに、夫は愛人ができたことを妻に告白し、三角関係を認めてほしいと自分勝手な願いを同時に告げるが、妻はまるで容認するかのような感じだったが、実は放心状態だった。

 
それから、家族で昼寝をしている間に妻がいないのに気づいた夫は、森中を探し回るが、やがて沼で入水自殺した妻の姿をみつける。

 
妻を入水自殺で失った夫は悲しむことなく、今度はその愛人を妻として迎え、またいつものように森へピクニックに出かけるといったストーリーであるが、それが淡々と描写されているので、悲しいという感傷的なものに浸るといった感じがしなかった。フランス人と日本人との感覚の「ずれ」なのだろうか、しかも1960年代では珍しい女性監督の作品である。

 
先月のスカパー(衛星有料放送)で、クロード・ルルーシュ監督の「しあわせ」というフランス映画が放送された。同監督は40年くらい前に「男と女」という映画で一躍脚光を浴び、その後1968年の冬季オリンピック・グルノーブル大会の記録映画「白い恋人たち」を担当、最大のヒットは「愛と哀しみのボレロ」であった。

 
出世作である「男と女」は、さすがフランス映画というくらい素敵なタッチで、特に粒子の粗い映像なんかもすごく新鮮に思えた。前述の「幸福」はこの流れに沿っているんだろうか。

 
ルルーシュ監督の作品は、どちらかというとドキュメンタリータッチのものが多い。特に「愛と哀しみのボレロ」は第二次世界大戦を舞台に、フランス、ロシア、ドイツ、アメリカと各国毎に人物をそれぞれ「分割登場」させ、最後はパリの凱旋門でのボレロで一点集中して「つながる」のだが、こういった映画作りがほんとうに憎いほど素晴らしい。
 
 
たしかに主人公の一人を演じるジョルジュ・ドンの踊りは魅力的ですごいと思ったが、名優ロベール・オッセン演じるユダヤ系フランス人が赤ん坊のとき、ユダヤ人護送列車で生き別れとなった母親をついに探し出し、病院だったか老人ホームだったか定かでないが、その再会の光景をボレロのBGMとともに望遠カメラで延々と映写しているあたりは、やはり同監督らしいなと思わず拍手した。

 
そのルルーシュ監督の話題作である「しあわせ」をついに観ることができた。

 
原題は「偶然と必然」であるが、日本版タイトルがかなり気に食わない。なんで「しあわせ」なんだろうか。軽薄なタイトルだと思う。原題どおり「偶然と必然」で良いのではないだろうか。

 
映画のタイトルでその映画が左右されることが多々あり、一番の「適訳」は「風と共に去りぬ」だという。原題が「Gone with the wind」であるから、なるほどと思うが、このアメリカ映画は終戦後に封切りされた作品なので、当時翻訳した方の才能が十分に発揮された和訳だと思う。

 
気に食わないタイトルであるが、この映画のエンディングで、
 
「皆さんにこの映画をお見せできる『偶然』と『必然』に感謝します。」
といったような字幕を記憶しているが、この字幕でこの映画がなんだか救われたような気がする。

 
この映画もやはりルルーシュ監督らしい「作り」であり、「愛と哀しみのボレロ」同様、最初は「分割物語」となっているので、同監督の作品を初めて観る方にとっては、北極クマが争っているシーンから始まり、そうかと思えばビデオ映像と舞台とが一体化したような不思議な演劇や観たことがないトルコの踊りが映し出されたり、最初は何がなんだかわからないという心境に陥ってしまうだろう。彼独特の映画なので、僕はその映像がどうやってつながっていくのだろうかと、その時点でワクワクしてきたが。

 
おおざっぱなストーリーは次のとおり。

 
元バレリーナの主人公には8歳になる息子がいて、旅行先のベニスで知り合った画家と出会い恋に陥るが、その幸せもつかの間、その恋人と息子がヨットで海難事故に遭遇し、帰らぬ人となってしまう。

 
自殺まで考えた主人公は、その後、生前に3人で旅行するはずだったカナダやトルコなどを二人が残したビデオカメラ片手に一人旅をする。

 
カナダでの北極クマやメキシコのアカプルコでの飛び込み、アメリカはニューヨークでのミュージカル、そしてトルコでの民族衣装による熱狂的な踊り・・・。

 
世界を旅することによって、主人公は自分の人生を次第に取り戻すことになる。

 
しかし、旅行中のカナダでそのビデオカメラを紛失してしまう。
 
そして、それを偶然にも拾ったのがビデオ映像と舞台とを一体化した演劇の主役である大学教授だった。

 
このストーリーこそが「偶然と必然」であって、偶然に思える出来事が実はその二人にとっては必然的だったのだという不思議な人生のめぐり合わせが、最初の「分割物語」からどんどんシンプルになってきて、最後に1つの話としてつながっていくといった、涙がボロボロ出てくる優しい物語なのである。

 
ラストシーンではその教授が舞台出演しているのだが、その舞台に設営されたスクリーンに、観客である彼女のアップが突如映る。そしてそのスクリーンに映る彼女のきれいな瞳から涙があふれてくるのだが、それがたまらなく優しくて素敵で、やっぱりルルーシュ監督だなあと感心してしまった。映画のラストで思わず微笑むって、こういう映画なんだと何度も何度もそう思った。

 
「偶然と必然」は映画のなかでの出来事だけではなく、現実にあり得ることでもある。日本ふうに表現するならば、それは「赤い糸」であるし、ネット上でも偶然たどりついたHPの管理人とメール交換するようになることは、「偶然」でもあり、違う角度から見ればそれは「必然的」な人生のめぐりあいなのかもしれない。

 
そのめぐりあいがそれで終わってしまうのか、ずっと継続されていくのかはお互いの必要性の認識なのであろう。言い換えれば「一期一会」である。その人生での出会いというものに、常にこころをときめかせ、それぞれの人生を楽しんでいくこともまたおもしろいのかもしれないと思う。

 
以上がフランス映画の「幸福(しあわせ)」と「しあわせ」である。タイトルは同じでも中身は全然違うわけだし、およそ30年の間隔があるので、どちらが秀作だとかそういう次元の話でもない。

 
ただ言えることは、30年の間隔があるけれど、どちらの映画もフランス的なセンスのある作品に仕上がっていると思える。

 
僕がフランス映画やイタリア映画が大好きなのは、やっぱりこういった作品を観て感動している僕の映画履歴からなのだろうと思う。