警察官が、逃亡者に発砲してはいけない
読売新聞(平成16年1月28日朝刊39ページ)に掲載されていた記事ですが、警察官が呼び止め職務質問したら、この人物は逃走した。何かしら後ろめたいことがなければ、逃げる必要はないし、先ず普通の者なら逃走はしない筈です。そして、警察官の静止を振り切り逃走し続けた為、警察官は発砲した。ところが、この警察官は訴えられ、630万円の支払いを命ずる判断が下されました。(1月27日東京地裁、綿引万里子裁判長の下で。) この様な判断が主流をなせば、警察官の士気にも影響します。馬鹿馬鹿しい例ですが、仮に逃走しようとした人間が、短距離選手で、世界記録を持ったもので有れば、どんな有能な警察官でも絶対に捕まえられないことになります。 不審者に対して職務質問することは、犯罪の抑止力にもなっていることで、その職務質問から逃走しようとするものは当然犯罪者ではないかと考えるのが当然であり、その者が逃走するのに対して静止を促し、それでも逃走を図る場合に発砲するのは当然である様に思われます。 この事件の逃亡者が、外国人であるからと言うことではないのですが、日本には『郷に入らば郷に従え。』という言葉がありますが、日本に入国した外国人は日本の風習・作法・法律等に従うべきで、それに違背すれば当然報いを受けざるを得ません。 日本では人質になった方の人権を守ることを先ず求めますが、諸外国では、警察官が追いつめた犯人或いは容疑者を取り逃がした場合、やがて社会に及ぶであろう、より大きな被害・災害を未然に防ぐ為に、気の毒ではあるが人質を盾にしても意味がない様な処置を取るとのことです。(要するに人質になった時点で、人質の生命はなくなったものとみなして、行動すると言うこと。…人質は運が有れば助けられますが、一般的には助けることを主眼には置かない様です。) この様な判断が正しいとすれば、現在の何倍もの警察官が必要であることは明らかですし、現在でも財源不足が言われている今日、どこにその財源を求めるのかについても聞いてみたいものです。この判断を下した裁判官の浮世離れした考え方こそが、現在の司法そのものの姿である様にも思えます。一般社会・国民生活から隔絶された世界に居ては、一般社会・国民生活などわかる筈もなく、一般社会・国民の常識から遥かに隔たった判断がなされるのは当然の様に思えます。一般常識のない者が裁判官になっているという一例ではないでしょうか。 |