育児放棄する親と、裁判所の判断

育児放棄する親と、裁判所の判断

 自由にのびのびと育てると言う事は、勝手気ままにさせる事とは別の事です。(『個人主義』、『自由主義』などの言葉がありますが、これらの言葉の底辺には、『他人に迷惑を掛けない。』と言う大前提があります。)ところが最近どこに行っても、子供の勝手気ままを放任している親を見かけます。一家族内での子供の数の減少による影響もあるのでしょうが、育児にほとんど関わった事のない者(せいぜい1〜3人程度の子供の養育者、あるいは、過去の文献等も充分読みそして参考にしていない者、にわか教育者)が書いた育児書をバイブルとして育児するのですから、当然かもしれません。かつて、日本の家庭には大勢の子供がおり、年かさの者が年下の者の面倒を見るような状態でしたから、必然的に子供同士で、『してはいけない事』、『他人に迷惑を掛けない事』などを自然に身につけたのですが、『一人っ子』、せいぜい多くて『三、四人子』程度では、かつて子供同士で身につけられた事も、親が教えなければならなくなっています。ところが、この親に大きな問題があります。『躾』がなされていない親が、子供を育てているのですからどうにもなりません。このたぐいの親は、せいぜい前出の程度の育児書か、低俗なTV番組程度しか情報源を持ちません。本を読むことはよいことですが、変な育児書は親にとっても子にとっても悪い影響を与えます。小学校入学時点で、既に授業が成立できない場合があります。教育以前の『躾』が出来ていない者に、教育など出来る訳がないのは当然です。これについても、責任は学校や教員にあるというのは、はなはだおかしな話です。…修学前に親が子供に対して何をしていたのか、疑問を持たざるを得ません。
 JRの電車に乗って上京する際、大騒ぎをしている子供がいましたが、親と思われる女(女性という言葉も承知しておりますが、ここでは単なる『雌』…出産しただけで、『躾』も出来ない意として。という意味で使用しました。)は、くだらない週刊誌から目を離そうとしません。じっと視線を投げ続けていますと、ようやく見られているのが判ったのでしょう、『おじさんが見ているから、静かにしなさい。』と言う声が聞こえてきました。…子供に注意をした事は、この女にとっては最上の処置と思ったのでしょうが、子供に対して、『周りの人々に迷惑が掛かるから、静かにしなさい。』とは言いませんでした。この子供は、こわい『おじさんが見ていなければ、静かにしなくてよい。』と、判断することでしょう。ここで『おばさん、子供に言っている事が違うでしょう。周りの人々に迷惑が掛かるから、静かにしなさい。と注意するのが本当でしょう。皆さんそうですよねえ。』と言われ、この女は下を向いたままになってしまいました。新聞記事には、この逆の立場で同様なことが掲載されていました。新幹線での帰省途中での出来事で、途中駅で降車した男性に、『サルを新幹線に乗せるな。』と言われたというのです。この新聞記事の投書者は、女(前述しましたように女性とは言い難いので、あえて『女』と書きました。)ですが、『いくらなんでも、他人の子供をサルとは何事だ。』との内容でしたが、恐らく途中駅で降車した男性は、この女の同伴した子供の低度(程度とも書けない低度の)と、この女の行動(対応)によほど腹が立ったのでしょう。恐らく動物園のサル以下だったのではないかと推察されます。…もっとも動物園のサルは、ボスザルを中心にそれなりの規律を保っていますので、サルの方が怒るかもしれません。この様に、自分の不手際が解らない者が親(の係)をしているのです。…言葉遣いは良くないのは承知の上ですが、『餓鬼(ガキ)が餓鬼(ガキ)を育てている。』という言葉がありますが、まさにそのとうりです。
 幼少時の『躾』をはき違え、欲しいものはなんでも買い与え、溺愛し(幼少時の子供の要求は、何とか対応できても年齢が上昇すれば、一般的には次第に対応できなくなります。…おもちゃ→バイク→自動車→女性→家→財産→名誉等々)、我慢の出来ない子供が大人になれば、犯罪に手を染めるのに、それ程の時間は必要有りません。
 そして、その片棒を担いでいるのが、世間知らずの裁判官による裁判所の判断であり、一部の過激な人権団体です。…人権屋とも言われ、それを生業にしているようです。(殺人事件での例を上げれば、殺された側(被害者)の人権は保護されないのに、殺した側(加害者)の人権に関しては異常なほど保護されます。…間違いなく犯人で有れば他人の人権を明らかに侵したのですから、犯人の人権が保護されないのは当たり前な筈のですが。
 よく聞く言葉ですが、『更生』という言葉があります。犯罪被害者が果たして犯罪加害者の更生を望んでいるのかに関しては大いに疑問を感じます。殺人を犯しても、せいぜい数年で加害者は出所してきます。法学の原点であるハムラビ法典には『目には目を、歯には歯を!!』との記載があるそうですが、錯誤によって発生した事件の救済の為の情状酌量を必要以上に拡大解釈している為に、それを悪用して犯罪を起こす者が増加しています。…『どうせ死刑にはならないんだから…。』『せいぜい**年の刑務所暮らし…。』ここに現在の日本の犯罪の温床があります。…TV出演していた反省ザル・ジローくん以下の芸でも、『反省したふり』をすれば、微罪になるようです。
 少なくとも十数年以前から、車輌内に幼児を放置した場合、熱射病等によって死亡する事は、新聞・雑誌・TV・ラジオ等あらゆる報道機関が取り上げています。にもかかわらず毎年この種の事件は発生します。そして、裁判所の判断は、いつになっても『殺人』ではなく、『過失致死』です。…馬鹿のひとつ覚えのようです。新聞・雑誌・TV・ラジオ等あらゆる報道機関から隔絶された所に生活していてこの様な事件を起こしてしまったのとは訳が違います。コインロッカーに捨てられる幼児の場合は、『遺棄致死』となります。これより『過失致死』の方が世間体は良いように思います。つい最近では、母親が車輌で自分の子供を積極的にひき殺そうとした事件もありました。…このような事件でも恐らく最長でも数年の刑期で、出所してくる事でしょう。最近の青少年の犯罪は、さらに、法の盲点を知った上での犯罪です。「神戸連続児童殺傷事件」の酒鬼薔薇聖斗の出所問題も報道されましたが、ご遺族の気持ちを考えた場合、何の落ち度もなかった自分たちの子供は殺されてこの世に生きて居ないのに、殺した者(やつ)は、のうのうと、この世に生きて居られる事に対して『本音』はどんなものなのでしょうか。
 私が仮に子供を殺されたとしたら、恐らく出所してくる酒鬼薔薇聖斗を追いかけ追いつめ、自分の子供が殺された時と同じ状況で、殺すかもしれません。この事件でも、酒鬼薔薇聖斗を育てた親の人権は保護され、殺された子供の親の人権が守られたようには思えませんでした。…自分達の育て方によって、子供を酒鬼薔薇聖斗にしてしまった親の責任は回避できない筈ですなのですが。人権屋は酒鬼薔薇聖斗を生み出した社会が悪いという言い方をします。しかし、社会が悪いとしても、全ての子供が酒鬼薔薇聖斗にならなかった事に対しては何のコメントもありません。
 昨今の凶悪犯罪の多発によって、いわゆる人権屋の『死刑廃止論』は、影を潜めましたが、ピンボケな裁判官による裁判所の判断は、現在も凶悪犯罪に対して微罪を言い渡し続けております。…これを(法害)公害と言います。
 欧米ではスーパーマーケットに託児施設を設けている所がけっこうあるようです。これは、『幼児を幼児のみで留守番させる。』とか、『駐車場の車輌内に放置する。』とかが厳しく罰せられる事から、なくてはならないサービスとの事でした。…この様に幼児だけで放置した場合、『育児放棄』とみなされ、子供の養育権の剥奪と子供の遺棄として重罪に問われるようです。…日本では日常茶飯事として、『育児放棄』がらみの事件事故の報道がなされております。これを異常とみなさない処に、大いなる異常を感じます。
 つい最近、幼稚園からの帰りの送迎バスから降車した園児が、この送迎バスに轢かれて死亡したとの報道がありました。幼稚園の送迎バスの運転手は直ちに『業務上過失致死』で逮捕されたのですが、この時、迎えに出ていた筈の、轢かれてしまった子供の関係者(親であるかさだかでありませんが。)は何をしていたのでしょうか。年寄りから、『幼児は親が手を離した時に、死んだものと思え!!』と、よく言われましたが、この言葉は、いつの世にも通じるように思えます。そして、子供は親離れする、せいぜい中学校の1,2年生頃までしか親とは付き合ってくれないのですから、それ迄の時間を大切に過ごさないと、取り返しは付きません。『後悔先に立たず。』です。
 親本人(自身)の責任を問わないで、他人(行政側も含めて)に責任転嫁する醜さは、やはり、ピンボケな裁判官による裁判所の判断に、その原因が有るように思えます。実情に合致した、法整備が必要な事は当然ですが、裁判官による裁判所の判断が、陳腐化したものである時、TV番組の『水戸黄門』『大岡越前』『必殺仕置人』等の番組が話題に上るように思っているのは私だけでしょうか。…お役人(司法・立法・行政)や弁護士を頼りに出来ないので。



2004.01.11