「新渡戸稲造(再録)」
2003年8月。彼のもとへ突然の戦力外通告が下される事態となった。
改めて今振り返ってみると、弐千円札による危惧は杞憂に過ぎなかった。
ただ、まさかこんなにもあっけなく事実上の「解雇通告」を受けることになろうとは、
本人もそのときまで夢にも思っていなかった事だろう。
新紙幣の切り替えについては、彼の知らないところで着々と話が進行していた。
候補者には、男女共同社会の観点から樋口氏を押す意見が挙がった。
しかし、問題なのは彼女をどの紙幣に登場させるか、ということである。
ここで仮に千円札にしてしまうと、一番価値の低い紙幣に女性…という、
「男尊女卑」の図式が成立しかねないとの意見が挙がった。
そうなってくると、必然的に彼、新渡戸氏以外の候補者はいなかった訳である。
しかし、今回この件の裏では「新渡戸氏自身から身を引いたのではないか―?」
とする説も浮上している。真摯な彼の性格であればその可能性も否定出来ない。
真相はどうであれ、その事実を知った夏目も黙ってはいなかった。
「新渡戸さんが辞めるなら私も身を引きます。」
そして、事態は急変し、急遽野口氏の電撃採用が決まった。
「青天の霹靂。」
野口が会見で記者たちに対し、こう答えたのも頷けよう。
ただ、一連の流れの中で取りまとめ役であるはずの諭吉だけが終始無反応だった。
そして、何故か弐千円札の続投も決まった。
結果的に、彼に明るい未来はなかった。
紙幣であったにも関わらずいまいち影が薄かった新渡戸。
しかし、めがねをかけ、どこか人懐こい感じのするキャラクターは多くの人に愛された。
ありがとう、新渡戸稲造。私は決して忘れない。
中学生の時、お年玉が漱石から昇格したときのこと―。
高校生の時、諭吉を期待して中を確認すると申し訳なさそうに顔を覗かせていた時のこと―。
今はひとこと「長い間、お疲れ様でした。」と彼に云ってやりたい。
もちろん、漱石にも。
プロフィール=新渡戸稲造【にとべいなぞう】(1862-1933)
思想家・教育者。岩手県生まれ。
札幌農学校(現北海道大学)に学び、卒業後、米・独に留学。
その後、京大教授・一高校長・東大教授・東京女子大学初代学長を歴任。
「私は太平洋の架け橋になりたい」
そう云い遺した新渡戸は、国際連盟事務局次長を務め国際社会に大きく貢献。
キリスト教徒として世界平和のために尽くす。
また、奥さんもアメリカ人で国際結婚のはしりでもあった。
1933年10月15日、急性膵臓壊疽の為71歳で永眠。
著書である「武士道」は、日本人の「精神文化」の過程を説き明かし、
世界的にも「BUSHIDO」としてその名が知れわたった。