「超」

 「チョー面白い」「チョームカツク」「チョーサイテイ」などなど…。

 近年、何かにつけて「チョー」を頭にもってくることで、物事を強調して表現する若者が多い。

 価値観が多様化している現代において、単に「凄い」と頭にくっつけるだけでは、

 自分の気持ちを相手に表現しきれないといった風習が後押ししているせいなのかも知れない。

 しかし、今まで、少なからずこの若者が発する「チョー」というコトバに

 不快感を覚えたことはなかっただろうか…?

 自分はというと、当然かのごとくその不快感を覚えたうちの1人である。

 しかし“ある真相”を知ったきっかけで自然と自体は収拾された。

 その“ある真相”とは…。

 恐らく他の不快に感じるという人もこれを知っておけば、ある程度は解消されることだろう。


 さて、この「超」という語句。

 実は「完全なさとり」を意味する仏教語なのである。

 つまり、このことから導かれる真相といえばただひとつ―。

 そこいらじゅうの若者がことあるごとに「完全なさとり」を開き、

 この「超」という仏教語を乱用している訳なのである。

 なので「面白い」にしても「ムカツク」にしても「サイテイ」にしても、

 冒頭に挙げたような一例は「完全なさとり」を開いたという証なのだ。

 よって、その都度「チョー」と発音する度にいちいち悟りを開き、

 相手にその悟りを説いているという図式が成立する。

 いやはや何とも滑稽。

 下記サイトでは「超」の他にも様々な仏教語が紹介されているので是非とも参照して頂きたい。


 「えっ!仏教語だったの?」

 
http://www.tomo-net.or.jp/sermon/word/word.html

もどりゃんせ。