「ア○パ○マ○について考える(再録)」
今さらではあるが、少し「○ン○ン○ン」について考えてみたいと思う。
まず、原初に顔の簡単な取り外し。
これとはやはり、まずい点の決定的とも云えるべき点であろう。
「昨今の凶悪犯罪の危険性すら孕んでいる!」
との見解を示す大馬鹿者が仮に現れたとしても
「それは違う!!」とは断言出来ない。(真っ向から“何処ぞの王様”の如く…)
なので劇中ではそれを必要最小限である顔の入れ替え時のみ
(と云ってもこれも根本的に間違ってはいるのだが)
ちょうど旧顔を横にシフトさせる事で新顔(文字通りの新しい顔)
をそれと隣接させるコトにより、胴体のみと云った視覚的タブーを
どうにかクリアーしてはいる。
(と云っても許容範囲ギリギリでは在るが)
この際、注目して頂きたいのはバ○コさんorジャ○叔父さんの
コントロールの良さもしくは100発100中顔面正面セットアップであるが、
この件に関しては第7感ギャラリーのコマ4において
すでに図式化されてあるのでそちらを参照頂くと解りやすいことだろう。
また、基本的にこの世界においては時間の流れと云う概念が存在していない。
(まぁこれは著者の独断と偏見によるものでもあるが)
だってしょっちゅう真っ昼間だし。
ただ、第1話目のア○パ○マ○生誕の回では、
深夜から翌早朝にかけての概念が存在していた記憶もかすかに残ってはいるが、
実際のところ今となってはもう判断が出来ない。
さて、次に水の警戒に繋がる説も有力な説の1つである。
これでは水を恐れ、満足に洗顔も出来ない大人が増えてしまう事だろう。
ちなみにこれとは、奴は顔が水で湿るとたちまち力が衰えていくと云った
致命的欠点を持っている点による。
そしてまた何事にも
「顔が汚れて力が出ない」と云った発言からは、
1つの同じ云い訳を何度もリフレインすると云う悪い反省材料として
リンクしてしまう点も見逃せない。
これでは何事にも「手が滑った」と発言する悪い大人になってしまうことだろう。
さらに1つのターゲットを的に
ただひたすら懲らしめることだけを継続する劇画と云うのは
今時これくらいのものである。これには仮に
「集団のいじめ問題すら孕んでいる!」
と抜かし始める愚か者が現れても、正直文句は云えないだろう。
“奴は何故、いつも悪事を繰り返すのか…?”
そう考えるとおのずとみちは拓けてくるはずである。
にもかかわらずその猶予すら与えられない。
何とも哀しい事だ。
以上の事より「○ン○ン○ン」は後世に残すべく素晴らしくも憎く、
かと云って嗅覚や味覚をもそそう、典型的現近代型御伽草紙であり、
思わず自分も小踊りしてしまう大容量8メガバラエティアクション
と云って相違は無いだろう。
やなせたかし氏に敬意を表しつつ今回はこの辺で。
関連:「ネオ・アンパンマン」
http://neonightlife.seth.jp/diary/pan/01.htm