尽きせぬ涙      松下 宗柏


 六月のある日、お寺に青い外交ナンバーの車が訪れた。下りてきたのは、ヨーロッパ
某駐日大使館の公使と友人。二人とも女性である。公使の彼女は、日本の中世文学研究
のため東大に留学中、三島市の龍沢寺で坐禅修行に起居したことがある。私にとって修
行仲間との二十数年ぶりの再会である。
 白隠禅師のふる里であり、謡曲「羽衣」ゆかりの浮島が原の地、ここ原のお寺に私が
落ち着いたということを知って、自ら車を運転してやって来た。ヨーロッパ人の感覚
からは、沼津や伊豆半島は東京の圏内であり、気軽な保養地であると。
 お茶を一服した後、まず御用邸記念公園に案内した。宮内庁から招待状が届くという
雅楽の会のことなどを話題にしながら建物を参観したが、彼女が感動したのは「ヨーロ
ッパの風景に似ている」という駿河湾に面した松林であった。素足になって深呼吸し、
松の木が発する気と草の感触、そして浜風を楽しんでいた。このような贅沢は東京には
ないと。
 お寺に帰って、黄昏時、長興寺から松蔭寺へ続く「白隠道(はくいんみち)」を三人
で散策した。白隠禅師の墓所にお参りした時、たまたま、すぐ脇の東海道線を電車が轟
音を上げて走り抜けた。話はおのずから「このまま放っておけば、原が鉄道の町になり
そうだ」ということになった。
彼女は、自然や歴史的遺産を大切にするヨーロッパの町づくりを語り、「こんなに風
情があり、魅力的な原の風土を鉄道施設で壊すなんて信じられない」と驚き、「そんな
計画は許してはならない」と怒りを顕わにした。
 この四月より、私は、この欄を借りて「貨物ヤードの原地区移転計画」の見直しと中
止を訴え続けている。行政の既定方針に異議を唱えて変更を求めることは、勇気とエネ
ルギーがいることである。しかし、この計画を知った原の人々には、声には出さないが
深い悲しみと怒りがある。
 また、私は、四百年の歴史を有する寺々と、日本のみならず外国の人々からも注目さ
れている「白隠の里」を守り後世に伝えることが、原在住の禅僧としての使命であると
信じている。
 昼夜分かたず二百四十本余り上下する通過列車の「ガッタン、ガッタン、ゴーッ」
という騒音と振動、「カーン、カーン」という踏切の信号音、旧東海道のラッシュ時の
開かずの踏切による交通渋滞などに直面する時、そして、「今でも窓を開けると人の話
もテレビの声も聞こえない。苦労して作ったマイホームが駄目になる」と訴え嘆く檀家
さんの尽きせぬ涙に接する時、この原地区の生活環境を改善すればこそ、これ以上悪化
させてはならない、自然や歴史的遺産を破壊してはならない、それを生かした里づくり
をしなければ、という思いにつき動かされてやまない日々である。


(沼津朝日新聞「言いたいほうだい」より。平成16年8月1日掲載)



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