長者の家の子となりて      松下 宗柏


「駿河には過ぎたるものが二つある、富士のお山と原の白隠」と親しまれている白隠禅
師は、ここ原の地で生まれ、十五歳で松蔭寺で出家。行脚修行の後、三十五歳で松蔭寺の
住職となった。

専門の修行者を指導する一方、近在や東海道を往来する人々に教えを説いた。庶民への
説法にあたり創作した「坐禅和讃」は現在、全国の臨済宗の寺院、また全世界の禅センタ
ーで「The Song of Zazen」として読まれている。

それは、「衆生本来、仏(ほとけ)なり」と始まる。ここでいう「衆生」とは、人間だけ
ではない。生きとし生けるもの、生命を持つ全てを言い、「All the being」と英訳されてい
る。動物も植物も、水も空気も命の尊厳を有する。人間性の尊重、環境保全、自然環境の
視点もここにある。本質において同様と見るからである。

そして、「衆生近くを知らずして遠く求むるはかなさよ、例えば水の中にいて渇を叫ぶが
ごとくなり、長者の家の子となりて貧里に迷うに異ならず、六趣輪廻(迷い)の因縁は己
が愚痴(愚かな考え)の闇路なり…」と続く。

今、沼津市当局が躍起になっている沼津駅高架事業の前提となる「貨物ヤード」移転の
予定地(原新田、一本松、桃里地区)は、沼津市の観光パンフレットに「富士八景」の一
つとして紹介されている景勝の地。

そして、「貨物ヤード」の弊害は、今までの「迷惑施設」よりはるかに深刻である。貨車
の通行による騒音、振動、開かずの踏切による交通渋滞など、進入路である片浜、大塚、
原地区の東海道線沿線の住民の生活環境を直撃するからである。

「長者の家の子となりて貧里に迷うに異ならず」今まさに、生活の実感を忘れた人々に
よって、巨額の税金を投じ借金を残し、市民の生活、市民の命が破壊されようとしている
のである。恐ろしくもあり罪作りでもある。

東洋の智恵に、「身は天地の小なるもの、天地は身の大なるもの」という言葉がある。人
の体・人の心は、宇宙・自然と一体である。だから、自然の破壊は人の肉体や精神、情緒
の破壊となる。

自然の破壊が進むと、やがて自然の営みも人間の営みも正常ではなくなっていく。親の
子殺し、子の親殺し、少年少女による猟奇事件は、その極限の証である。

「樹は気を養う」と言われるように、自然や景観には人間の感性や情緒、生命力をいや
し養う力がある。コンクリートやアスファルトで覆われつつある現代生活では、なおさら
命を養う自然の恵み、自然環境は必要になってくる。これは先師・鈴木宗忠老師(三島・
龍沢寺)の教えでもある。

道に迷ったら出発点に返るより他ない。多くの市民にとって、年間計画扱い高四十万ト
ンという貨物ヤードの移転を伴う沼津駅高架事業は、どうしても納得ができない。また、
自然と歴史が豊かで、風情ある「白隠の里」を破壊し、鉄道の町にしてはならない。


(沼津朝日新聞「言いたいほうだい」より。平成16年6月13日掲載)



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