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         沼津市・原 臨済宗 長興寺住職

               松下 宗柏
      

 臨済宗(禅宗)中興の祖・白隠禅師は貞享(ていきょう)2年(1685)12月25日、沼津市原の長澤家(沢瀉屋・おもだかや)に生まれました。白隠には多くの墨跡が沼津にも残されていますが、これらをたどり白隠紀行をしてみましょう。


         自画像(沼津市原・松蔭寺蔵)
 南無大自在天満天神
  幼名は岩次郎。母親は出産の前後、信仰していた伊勢神宮の神が家の屋根に降りる夢をよく見ました。さらに出産した日が丑年、丑の月、丑の日、丑の刻であったことから、西念寺(さいねんじ)の菅原道真公をまつる丑天神に宿縁があると信仰を深めました。そのため白隠は「南無大自在天満天神」の絵をよく描いています。

        南無大自在天満天神(三島市・佐野美術館蔵)
 南無地獄大菩薩
 11歳の時、岩次郎は母に連れられて原にある昌原寺(しょうげんじ・日蓮宗)で地獄絵の法話を聞き、恐れ驚きます。この日以来、「どうしたら地獄に落ちないか」を求める日々が続き、日親(にっしん)上人が足利幕府からの迫害をお題目を唱えて逃れた芝居「日親鍋冠(にっしんなべかぶ)り」を見て出家を志し、愛鷹山山麓の柳沢村の山中にある赤野観音堂(あけのかんのんどう・廣大寺)に出かけ一人修行に励みました。今でもその坐禅石(ざぜんいし)は残っています。
 14歳になると原の徳源寺(とくげんじ)の釣首座(ちょうしゅそ)(後の東芳祖均和尚・とうほうそきんおしょう)から『禅林句集(ぜんりんくしゅう)』を学び、松蔭寺(しょういんじ)の単嶺(たんれい)和尚について出家得度(とくど)し、
名を慧鶴(えかく)と改めました。その後、大聖寺(だいしょうじ)の息道(そくどう)和尚のもとで修行、19歳で諸国行脚に出立、難行苦行、ついに信州飯山(しんしゅういいやま)の道鏡慧端禅師(どうきょうえたんぜんじ)(正受老人・しょうじゅろうじん)の法を嗣ぎます。時に24歳。さらに修行を積んだ後、33歳にして松蔭寺住職になりました。
 「南無地獄大菩薩」、それに「南無妙法蓮華経」と添えた墨跡があります。また、大塚の清梵寺(せいぼんじ)では、7月に修行される地蔵尊祭に未完の大作「地蔵極楽変相図」が掲げられます。これら「脱地獄」が白隠の出家のテーマであり、生涯のテーマでもあったのです。

      南無地蔵大菩薩(沼津市原・松蔭寺蔵)

      地獄極楽変相図(沼津市大塚・清梵寺蔵)
   白隠の庶民教化
白隠は各地に招かれて法縁を結ぶ一方、全国から松蔭寺に集まる修業僧の指導にもあたり、宝暦(ほうれき)11年(1761)、76歳の時には三島に専門道場・龍澤寺(りゅうたくじ)を開きます。そして、公案禅を体系化して現在の専門道場(僧堂)の形態を確立、「五百年間出の大善知識」「日本臨済宗中興の祖」と今日まで讃えられています。また、「駿河には過ぎたるものが二つある。富士のお山に原の白隠」と讃えられ、修行僧のみならず、大名、武士、商人、農民にいたるまで一般大衆に禅の教えを広めました。仮名法語や俗謡・はやり歌も取り入れ、神号、お題目、念仏はもちろん戯画にも軽妙な筆をふるいました。
  
おふじさん かすみの衣 ぬがしゃんせ
  雪のはだえが 見たふござんす

  (沼津市原・徳源寺蔵)
 白隠墨跡の謎
 
内浦の浄因寺(じょういんじ)、多比の龍雲寺(りゅううんじ)、桂林寺(けいりんじ)、西浦の禅長寺(ぜんちょうじ)、泉龍寺(せんりゅうじ)、航浦院(こうほいん)など三浦(みうら)方面(沼津市西浦・江浦静浦)の寺院には白隠の優れた墨跡が数多く残っています。しかも、83歳と記されているのですが、なぜか「年譜」には行脚の記録はありません。
 この点について禅長寺の今杉康道(いますぎこうどう)和尚は次のように推測しています。
 「長澤家に養子に入った父・権右エ門の実家が江梨の杉山家にあり、白隠にとって三浦は故郷としての親しみがあり、故郷の人々の書の求めには快く応じていたのではないか。特に禅長寺の江国和尚とは親交が深く、山号の額や頂相(ちんそう・和尚の肖像画)も白隠の書である」 
            隻歴の達磨(沼津市多比・桂林寺蔵)
  よしあしの 葉をひつ布いて 夕涼み

              (沼津市多比・龍雲寺蔵)
 「晩年、湯治のため長岡温泉に通い、三浦をよく往来した。私的なことは年譜に記さないのが慣例なので、墨跡の年号と”年譜”の記録とが一致しないのではないか」と。
 今後の研究、検証が待たれるところです。
 白隠は明和5年(1767)12月11日、84歳にて松蔭寺にて示寂します。残された墨跡は今もその心を伝えています。
(まつした そうはく・長興寺住職)