地球の痛みがわが痛み   松下 宗柏


三島の竜沢寺では毎年十一月二十三日(勤労感謝の日)、「観楓祭(かんぷうさい)」
が開催される。
いつもは専門道場として門を閉ざしているが、この日ばかりは、一般市民に開放され、
開山の白隠禅師、創建に尽力された東嶺禅師の墨跡をはじめ二百本余りの軸物が虫
干しを兼ねて展覧される。裏山の野天席では抹茶の接待があり、来訪者は洗心の一碗
をいただく。
私が修業させていただいた二十年前には、十一月も二十日過ぎになると初霜が降りて
満山が紅葉におおわれていたものだが、今は、暖冬のため十二月にずれ込む。
参観の人々が去り、静けさが戻った黄昏時、中川宋淵老師が、裏山の舞い散るもみじ
の中に佇み、「寂滅減前」と静かにつぶやかれている姿を今も忘れることができない。

さて、その日、毎年の恒例として、本堂の本尊前に掛けられるのが東嶺禅師の画賛
「出山の釈迦仏」である。
お釈迦様がお悟りを開かれた日、十二月八日には、全国の禅寺では成道会(じょうどう
え)という法要が営まれる。竜沢寺では、この軸を掛けて勤行するのが習わしである。
釈尊像の上には、次のような賛が記されている。

希なるかな、希なるかな、一切衆生 如来の智恵徳相を具有す
因甚(なんによってか、なぜ)、知らず覚せず、迷倒の衆生と作(な)る
畢竟如何(けっきょくのところはどうだ)、十月(旧暦)の清霜、満地の銀

これは釈尊のお悟りの内容にほかならない。「衆生」とは、『白隠禅師坐禅和讃』にある
「衆生本来仏(ほとけ)なり」と同じく、「生きとし生けるもの」の意。人間はもちろん、一切
の動植物、自然を示す。「近代化」という現代文明には、人間の限りない欲望を満たすた
めに工業化、経済第一主義により、ひたすら自然を破壊していくというマイナス面がある。
科学者は以前から、地球の温暖化、オゾンホールの拡大、大気や水土の汚染による
人類の危機に警鐘を鳴らしてきた。
浮島ヶ原の生態系保存や貨物ヤードの原地区移転阻止に寄せる私の願いの源も、こ
こにある。
そして今、先進国では「近代化」への反省がなされ、「地球の環境保護」「自然との共生」
が二十一世紀の国際的課題となっている。
ここ沼津でも、政済界もろともに、市民の皆さんが立ち止まり、発送を転換して、「環境
にやさしい町づくり」をお願いしたいものである。

最後に、宋淵老師の絶唱とも言うべき、晩年(昭和五十三年)の句を紹介させていただ
きたい。

色葉散り 人もちりちる 日の光

天地と同根、万物と一体の「われ」なるが故に

師走風 地球の痛みが わが痛み。


(平成16年12月4日 沼津朝日 言いたいほうだいより抜粋)



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