それぞれの事情 3
多分風邪をひいたのだろう、私には珍しい発熱で二日続きの欠席の後、まだだるさの残る身体を引きずって登校すると、授業開始前の教室で新顔が一人ジムと話しをしていた。
その新顔が、黒海で船員をしていたというセルゲイだった。
 
彼を際立たせているのは、長身でスッキリと整った体つきとノーブルでハンサムな顔立ちだ。
しかしそれよりも誰もの目をひくのは、彼の左薬指にはめられた、ピッカピカのプラチナと思われる指輪である。
この午前中のクラスを採ったということは、アメリカ人と結婚して間がなく、まだ労働許可も降りていない人なのでは、と考えるのがおそらく当たりだろう。

授業が終わると素速く姿を消す彼は、決して無愛想ではなくそれほど寡黙でもないのだが、クラス・メートたちとの距離の取り方を、微妙に計算してるように見受けられた。
そして、誰でもがチラリと目をやってしまう、彼の真新しい結婚指輪。絶対にあるはずの、それにまつわる話にはジムも関心があるらしく、時折ふっと話をふるのだが、その度に上手に他の話題に持っていってしまうのだ。

しかしそこは色々な個性が集まっている我がジム・クラスのことだから、本人は小出しに小出しにしているつもりでも、小さな情報の持ち主が二人集まり自分たちの知り得たことを繋ぎ合わせ、そしてまた次へと、情報の繋ぎ合わせは加速されて行くことになる。
決して噂好きが大勢集まっているのではないけれど、それぞれがそれぞれの事情で此処に居る訳だから、自分以外のクラス・メートの此処に居る理由は何かが、どうしても気になるのである。

ほとんどの場合、ジムが巧みに誘導することもあるが、簡単な自己紹介や授業中の発言、休み時間の雑談などで、なんとなく、お互いの状況を知り合って行くことになるのが常だ。
 
そうしたことが、多分セルゲイの場合は希薄すぎたのかもしれない。
だから、ちょっとした話の端々に出てくる、どうということもない話であっても、彼と話す機会をもった一人一人にとっては何か意味ありげな情報として、強く印象づけられたことになる。
そしてその「情報」は、ポツンポツンと置かれたジグソーパズルの1ピースではあったけれど、そしてまた結果として、完成品には程遠いものにしかならなかったけれど、ある程度セルゲイという形を見ることが出来ることにはなった。

ロシアからアメリカへやって来たセルゲイは、ここレドンド・ビーチに来るまえはマイアミにいた。
そのマイアミでは、ESLの学校に籍を置いていたが、その学校の教師と恋におち、結婚したという。出会いから結婚までは数ヶ月、結婚を機に二人してこちらに移って来たらしい。
 
教師と生徒の結婚はこの学校でも、私が在籍する少し前にあったとかで、伝え聞くところによると、女性教師はこの学校を去り、生徒も転校を余儀なくされたということだ。
しかし此処は何といってもアメリカ、それもカリフォルニアだ。そして、この学校自体が青少年を受け入れているわけではないから、大の大人が教え子に手をだした、破廉恥な行為だ、などという非難は起こらないはずである。結婚もしかり。

だが、多分、と私は思う。
結婚によって生じる生徒のステイタス、つまりアメリカ滞在の根拠の変更それ自体が、何らかの問題を引き起こす可能性があるのではないだろうかと。
 
教師は当然アメリカ市民権保持者(つまりアメリカ合衆国国民)か永住権(通称:グリーンカード)取得者である。そして、そうした人と合法的に結婚した生徒は、例え学生ビザでの滞在であっても、当然の権利としての永住権を、容易に申請出来ることになる。
生徒の中には、永住権は欲しいし必要だが、その申請資格さえも満たせなかったり、申請はしたものの様々な理由によって未だ審査の順番にも至らず、不安定な立場で滞在している者も多い。はっきり云って、不法滞在の人だっている。

そうした人達にとって、教師との結婚で、突然グリーン・カード申請の資格を得た生徒はどのように見えるだろうか。
言葉を交わし合うクラス・メートである彼または彼女を祝福はしても、それは心からのものとは云えず、羨望や嫉妬といったものを孕んだ、形容しがたい雰囲気がかもし出されるのではないだろうか、と思う。
そういった雰囲気を事前に察知し、または起きたかもしれない何か具体的な不愉快なことに耐えられず、教師も生徒も別の所に移って行ったのかもしれない。
 
だからまあ、セルゲイ達二人がマイアミを離れたというのも、そうしなければならない何かがあったのだろうと、想像はつく。
 
さていつの間にか、セルゲイにも友人と呼べる級友が出来ていた。セルゲイと前後してこのクラスにやって来た、ドイツ人のフェビアンである。

フェビアンは三十路間近の医学生だが、アルバイトでお金を貯めると休学しては数ヶ月の旅に出る、ということを繰り返しているらしい。
今回は、平日の午前中はここで勉強し、午後や週末は800ドルで購入したというボロアメ車を駆っては、あちらこちらと飛びまわっている、サーフィン好きの男である。どんな話題にも一家言あり、大声で堂々と主張してやまないが嫌味なところはなく、陽気で開けっぴろげのとても気のいい奴である。

その彼が、セルゲイには自分の車が無くて不自由な思いをしていることを知るや、学校の帰りの足になるだけではなく、自分の午後の探索にも時々同行させるようになっていた。
教室でも二人は近くに席を取りあって、ほとんどはフェビアンが冗談をまじえて、セルゲイに突っ込むかたちではあるが、お互いの意見を云い合っていたりする。
その姿は、クラスの一人が云った言葉を借りれば、遠目には兄弟みたい、にも見えなくもない。
 
さて週末になると、気の合う連中が声を掛け合っては、ちょっとした持ち寄りパーティを開くことがよくあった。名目などはその日の気分で適当に、持ち寄る軽食には出身国の雰囲気が色濃く漂う、気楽なただの雑談パーティだ。

ある時、私も参加のパーティに、その日の呼びかけ人が、そんな仲間がまだいないだろうフェビアンとセルゲイに、声をかけた。
勿論、セルゲイには「よろしかったら、ぜひ奥さんも御一緒にどうぞ」と誘ったのだ。彼の答えは、「彼女が忙しいからその晩は出かけられない」。
私たちはその答えを聞いて、週末に忙しいはずはないだろうから、きっと新婚さんは二人だけでいたいのだろう、気の利かないお誘いをしてしまったね、と云い合った。
 
そのパーティに、フェビアンは元気一杯に登場した。
そして豊富な話題で、皆をさんざん笑いに誘い楽しませてくれた後、ちょっと心配そうに、セルゲイにまつわる話をし出したのだった。
 
セルゲイはフェビアンに、妻は身体的に重大な問題を抱えており、いつも自分が側に居なければならないので大変だ、と話したというのだ。
セルゲイの語った内容から推察するに、どうも心臓に関係のある病気ではないかと、フェビアンは考えたという。
「しかし」と一瞬の間をおいて、フェビアンは続けた。

親しくなってもセルゲイは、決して彼の妻に関してそれ以上のことは口に出さないし、彼の家の正面に車を停めても、一度も「ちょっと寄らないか」とは云わないという。
セルゲイはいい奴だし、人それぞれ、他人に知られたくない事情もあるだろうからと、気にはしないようにしている。しかし最近のセルゲイの愚痴の多さには、少し気がかりなものがあるというのである。

自分の車が欲しい、自分で自由に使えるお金が欲しい、彼女は中途半端な(多分、労働許可無しにという意味だろう)仕事はするなと大反対するが、とにかく仕事を探さなければならないと、しょっちゅう愚痴っているのだという。
しかしそれもこれも、病身の妻の側にいつも居なければならないことから来る、気分的な疲れから逃れたいからかな、そう思っていたそうだ。

つい先だってのこと、授業の終わった昼過ぎから、今日は時間があると云うセルゲイを車に乗せ、彼が行ったことのない近場をあちこち巡って、彼を家に送り届けた。挨拶を交わし見送り、車をスタートさせようとした正にその瞬間、ちょうどセルゲイがドアを開けたのだろう、家の中からの大声が聞こえた。
「こんな時間まで何をしてたのよ!」。
 
フェビアンは云った。
「すんげぇ怖かった。子供じゃないんだぜ、9時前だよ、9時前。病人の出せる声じゃないよ、あれは」。
それが病人の出せる声だったかどうかは、私たちには判断のしようがないが、フェビアンのその時のショックは想像がつく。
何か問題を抱えていたにしても、とにもかくにも新婚数ヶ月の甘い生活を送っているものだと思っていたのだから。

私たちは、それはセルゲイが約束の帰宅時間を守らなかったからじゃないかとか、予定時間より早く彼女が帰っていて待ちくたびれていたのじゃないかとか、いくら病気だといっても働いているんでしょとか、思いつく限りの、それもどうでもいいような理由を、口々にフェビアンに向かって云った。
それが気休めとは解っていても、フェビアンの友人を思う気持ちは、充分過ぎるくらい理解できたからだった。

きっとフェビアンは気分を無理に切り変えようとしたのだろう、突拍子もない大声で、冗談めかしてこう云った。
「きっとセルゲイのワイフは、僕たちに見せたら驚かれるような老婆かブスなんじゃないの。ハッハッハッ」。
その時、私の頭に浮かんでいた言葉、それは老婆やブスではなく、「グリーンカード?」だった。

それ以上のことはセルゲイには何も起こらなかったかのように時は過ぎて行き、フェビアンの帰国も迫って来た。
セルゲイはクラスの雰囲気にもまあまあ溶け込んで、時には冗談らしきことも云うようになっていた。
例えば、笑えない話としては、こんなものがある。

「僕のことスパイだと思っている?」
「何それ? どういう意味よ」
私は笑ってそう云いながらも、多分きっと表情は一瞬変わったはずである。

彼の説明によると、ロシアから来たことが分かると、彼が出会った何人もの白人のアメリカ人が、「スパイじゃないだろうな」と真面目な顔をして云ったそうだ。
冗談じゃないよね。
でも、共産主義国や社会主義国からやって来た人に対して、そんな風な目を向ける人がいるのは本当だと思う。

どこの国から来た人でも、めったやたらに自分を語るというのも、なんだかちょっと怪しく感じてしまうものだけれど、セルゲイのように何事かを隠していることを感じさせると、それもまた怪しげに見えてしまうものだろう。
 
あと数ヶ月滞在しようかどうかと最後まで迷っていたフェビアンだが、秋学期が終わると、やっぱり家族と一緒にクリスマスを過ごしたいと云って、帰国した。
そして、セルゲイもその学期を最後に、学校から去った。

しかしセルゲイは冬学期のある日、突然、授業中に姿を見せた。ジムに急用があったらしく、私達への挨拶もそこそこにジムに小声で語りかけ、そして挨拶もなしに去って行った。

静かに課題のプリントをやっていた私の耳に入って来た、というより耳をそばだてた私がキャッチしたのは、「トラブル、ビザ、仕事、突然」といった単語だった。
セルゲイの身に何が起こっているのだろう。変なことに巻き込まれていないことを願うばかりだった。

その次の週にもセルゲイは休憩時間の始まりを狙って現れ、ジムを掴まえて何事か話していた。
彼の話を聞き、時々低い声で短く言葉を発しているジム。彼らの話は全く聞こえては来なかったが、ジムの眉間には、八の字が寄っていたのを、教室の片隅でコーヒーを飲んでいた私は見逃さなかった。
そしてその日を最後にその学期中、セルゲイが姿を現すことはなかった。

私の最後の学期である春学期も終わり近づいたある日の休憩時間、日溜まりでコーヒー片手に談笑していると、なんとセルゲイが、駐車場の方からやって来るではないか。
近くを通りかかったので、ただちょっと寄ってみた、とにこやかに云った。

そのまま私たちの仲間に加わり、お互いに近況報告。
セルゲイはロシア人が多い地域で働いていたが、ロシア語ばかりで嫌になって辞めたばかりで、また仕事を探していた。
何かないかなぁ、と訊かれても、残念ながらそういう情報には疎い連中ばかりだ。

「Chiroはいつ帰るの?」と尋ねられて答えると、「さよならパーティはやるんでしょ。僕も行きたいから連絡して」と云う。
連絡は、このポケベルの番号だったらいつでも大丈夫だから、と云いながら小さな紙切れに書いて渡してくれた。その時、私の目に入ったのは、彼の左手だった。
結婚指輪が消えている!

とっさに、「セルゲイ、指輪はどうしたのよ?」と無遠慮に訊いてしまった私に、彼は照れくさそうにニヤッと笑うと、右手に持っていたキー・チェーンを人差し指に通すと、クルクルと回した。
指輪は、車やその他何個かの鍵と一緒にチェーンに通されていて、他のものと一緒にチャカチャカと音をたてていた。

親友の一人であるドイツ人のコニィが音頭をとって、彼女夫妻の家で「Good-by Chiro! Party」を盛大に開いてくれたのは、誰もが時間の余裕がある、私の帰国前日である金曜日だった。
体調不良で入院し、二日前に退院したばかりのベッキーも嬉しいことには来てくれて、20人以上の友人達が、夕刻から深夜に及ぶ、飲むは踊るはの大パーティとなった。
でも、セルゲイはそのパーティに姿をみせることは出来なかった。なぜなら、私の不注意が原因で、彼に連絡をとることが不可能だったからである。
 
それは帰国が迫ったある日のこと。
別送の荷物は日本の宅配会社でと、地図を頼りに車でちょっと離れた地区にある、その会社の事業所に書類などを貰いに行った。
朝から風の強い日だった。

駐車場に車を停め降り立ち、電話で教えて貰い書き留めた入り口にあるインターフォンのナンバーを確かめようと、財布の中からそのメモを取り出したその時を待っていたかのように、一陣の強風。
同じ所に小さく畳んでしまってあったもう一枚の紙が、舞い上がった。
メモにくっついて、一緒に財布の中から顔をだしていたのに、私が気がついていなかったのだ。

そのままそれは風に巻き込まれ、クルクルと回りながら駐車場を横切り、広い道路の真ん中辺りに、嘘のようにポトンと落ちた。
そしてそれは、途切れることのない車に次々と跳ね飛ばされながら、どんどん遠ざかって行ったのだった。
必死に追いかけたが、道路を横断し、それを拾いに行くのは無理なことで、私は呆然と歩道に立ちつくした。
吹き飛ばされたその小さく畳まれた一枚の紙は、あろうことか、セルゲイがポケベル番号を書いて渡してくれたものだったのだ。
なんということだろう。セルゲイのポケベル番号をもらったには、私だけだったというのに…。
 

帰国後フェビアンに手紙で尋ねたが、セルゲイとは連絡がとれなくなったという、簡単な返事が来た。
今頃セルゲイは、何処でどうしているんだろう? 
約束を破ったかたちの私は、今こうして彼のことを書いていても、切なく申し訳ない気持ちになって、なぜか、胸の奥がキリッと痛む。





エッセイページのトップへ戻る



ホームページのトップへ戻る