それぞれの事情 2




オリガの雰囲気は、見るからに意志の強そうなその顔付きに反して、黄色味が強い金髪からチラチラといつものぞく彼女本来の黒髪のせいなのか、とても疲れた感じを漂わせている。

身に付けているものは上も下も、必ずと云ってよいほど、下着の線がクッキリと見てとれる、ピタッと身体に貼り付いたようなもの。
時には、彼女のバストラインを横から目にすると、まるで円錐形の何かを二つブラジャーに詰め込んだのでは?と思うくらい、異常なまでにトンガッテいたりする。きっと、下から胸をコレデモカという具合に、キリキリと絞り込んで持ち上げているのだろう。
そんな時はブラウスの胸元から、乳房どころか乳首がこぼれ落ちそうで、コチラが目のやり場に困ってしまう。
そして彼女が大好きらしい短いスカート! ちょっと上半身を前に倒しただけで、本日のオリガのパンティが、これ見よがしにバッチリだ。
さすがに見かねたのか、クラスメートの男性が一人、「おい、見えてるぞ」と大声で注意を促したことがあったが、彼女はたった一言「Really?」。
何が、本当?だよ。嘘を云うはずがないじゃないか。

オリガは時々、思い出したようにジムのクラスに現れる。
そして決まって、周りに何ら声をかけることなく、私の場所よ、ここに決まっているのよ、といった塩梅で、彼女が勝手に決めているらしい彼女自身の定席にドカッと腰を降ろすと、おもむろに足を組むのだ。

ジムのクラスではしょっちゅうの、グループ作業。
そんな時、最初に必ず彼から出される指示は、出身国や出身地域、宗教が同じメンバーや同性だけで固まらないように、ということである。
私は、何度もオリガと同じグループになりましたが…。

彼女の口癖は、「私があなたに教えてあげましょう」。
最初、その言いぐさと教師が生徒を諭すような口調に、何だぁ?と思った私だったけれど、母国語ではない言葉を使っているのだし、私だってきっと自分では気づかずに、変な表現を使っているのだろうからお互い様、彼女のそれには特別深い意味はないはずと思い直し、その時は、気にすることは止めた。
勿論、そうした彼女の言い回しにムッとして、それが顔に出てしまう人が何人も居たのは事実だけれど。

オリガのそうした調子は、クラスメートに向けられる質問にも、当然のことながら表れる。
あなたは何処から来たのか、滞在のステータスは何だ、何のために此処にやって来たのか、どうしてこのクラスで勉強しているのか、このクラスへ来る前に英語の勉強はしたのか、それはどの位の期間だったのか、母国ではどういう学校を卒業したのか、どういう職業に就いていたのか、恋人はいるのか、結婚しているのか独身なのか、異性と同居しているか一人暮らしなのか、それとも家族と一緒に住んでいるのか、それはどの辺りなのか、などなど。今、思い出せる事柄だけでも、あーッ、書き切れない。
そういった事が、前後の話題とは関係なく、まったく脈絡なく始まるのだ。

親しい間柄同士では、当然ドウといった問題は生じないこうした問いかけも、時と場所と相手を間違えると、とんでもないことを引き起こすことさえ、儘ある。
まして彼女の場合は、彼女の言い回しとその口調のせいで、無神経で礼儀を欠いた質問、そう余計に受け止められても仕方がなかっただろうと思う。

そうした彼女の質問が、私に集中的に向けられた時には、さすがに唖然としたし、腹が立った。
英会話入門クラスで、テキストに書かれた会話例を一生懸命に暗記した余り、知らず知らずのうちに踏み込んではいけない領域の質問文を口にしてしまった、もしそうだというのなら、愉快ではないが、まあ許そう。
でもこのクラスは、残念ながら、そういうレベルではない。なんだか、突然の取り調べを受けているような、嫌な気分だ。

「ねぇ、オリガ、プライバシーって言葉、知ってるよね?意味も解るよね? 私、あなたのその質問に答えるほど、あなたとは親しいとは思っていないわ」。
語気を強めてそう云った私に、彼女は「私はロシアから来ましたが、あちらで高等教育を受けました」、そう毅然と云い放った。

ああそう、Higher educationね、ふーん。それにしては自分がした質問のオカシサには、全く気づかないというわけだ、とコチラもいささかムッとして、意地の悪い反応をしたくなった。が、しかし、ここでそれをやっても何も実りがない、疲れるだけだ。
例え、彼女と友人と呼べる間柄になる気がなくても、だ。

私たちのグループ全体が、気まずい沈黙に覆われようとした時、口を開いたのは当の本人、オリガだった。そして、これまた脈絡無く、自分を語りだした。

オリガを除く私たちは、その時、消化しなければならなかったプリントの存在がチラリとは気になったが、彼女の突然の告白劇に乗った。
「さあ、私たちに、あなたを教えてもらいましょう」という、小意地の悪さが潜んだ興味、ただそれだけだったはずだ。
躊躇なく淀むことなく語られた内容の真偽の程は分からないし、第一、なぜ私たちに語る必要があったのかも分からない。私たちは質問することもなく、相づちを打つこともなく、ただただ黙りこくって聴いていた。

ロシアの首都に近い都市で生まれ育った。両親はその地で今も健在で、父親はロシア貴族の血を引いている、非常に厳格な人物だそうだ。10代を過ぎても、父親の定めた帰宅時間に少しでも遅れると、激しく叱責された。いくら謝っても家の中に入れて貰えず、凍てつく戸外に数時間も立っていたことは、数えきれず。
そんな環境のなかで、全てに従順な性格に育った妹。それに反し、自分は常に反発していた。結婚もしかり。
妹は家柄も良く将来性のある仕事を持った青年と、年若くして結婚した。そして、オリガが結婚相手として選んだ男性は父親に気に入られず、結婚に至るまで大変だった。デートから帰ると、それこそ修羅場だったとか。
しかし、今になってみると、父親が自分の結婚に大反対した理由も理解できる。なぜなら、離婚をしたからだ。
そして、子連れで再婚をした後、アメリカにやって来た。
再婚する時の第一の条件は、子供達にとって父親として相応しい男性かどうかだけだった。セックスが良さそうかどうかは問題外だった。再婚相手の体つきから性生活は期待していなかったが、驚いたことには、新しい夫はセックスのテクニックに非常に優れており持続力も充分にある。性的には、満たされた生活どころか、毎晩毎朝の夫からの要求に疲れるほどだ。
でも、幸せな生活を送っていることには確かだし、今はグリーン・カードの申請も済み、結果を待っている最中だ。

これが全て。変だ。
いくらグループ4人全員が女性だったからとしても、この教室という空間で語られるものとして、個人的なセックスの話はそぐわないし、それ以上にオカシイのは、その話に突然転じた理由も、変、というよりは何かが歪んでいる感じがする。
初婚の相手との離婚原因の第一が、例え性的不一致だったとしても、話の流れがヘンなことには変わりがない。

そして彼女が語った内容をより奇異に感じさせたのは、具体的なこと、つまり、生まれ育った都市名や、彼女の受けたという高等教育の種類、そしてどんな仕事に就いていたのか、或いは就いてなかったのかなど、肝心のところがバッサリと抜け落ちている。
また、こちらとしては別に知りたくもないが、話の流れで語られた割には、なぜ離婚したのか、それに関して父親が結婚を反対した理由が、今はどう分かったのかなども、何も触れられてはいない。
それにこのクラスの性格上、どうして此処で学んでいるのか、つまり、どういう理由でこの学校にやって来たのか、という説明がなされるのが普通なのに、それもない。

さあ何か質問はあるかしら、とオリガが思ったかどうかは分からないが、とにかく、誰一人として質問なんてしなかった。
誰もがただただ呆気にとられたまま、そそくさと課題のプリントに目をやり、その中から私たちが話し合うべき要点を探そうと読み始めたかに見えた。
でも正直なところ、私たちの頭の中はそれどころではなかったはずだ。プリントを見つめるだけの不思議な時間は、授業が終わるまで続いたのだった。

その後もオリガは、今までと同じように、自分の肉体を誇示する服を身にまとっては、時々教室に現れた。
私は顔が会えば普通に挨拶はするものの、グループを作らなければならない時には、スーッと静かに席を移動して、彼女と同じグループにならないように気を配ったものだ。理由ですか? それは、あの時以上の、個人的は話は聞きたくないし知りたくもなかったから。
そして、ある日のこと、彼女が教室には全く姿を見せなくなっていたことに、気がついた。

オリガという名の、寒い国から来た女性のことを思い出しもしなくなった頃、何かの拍子に彼女の名前が出たのは、休憩時間のことだった。
そういえばこの頃見かけないね、どうしたのかな、という声に、「俺、見たんだけど」と、ちょっと離れた所から一人が云った。
 
話はこうだ。
ある日の休憩時間のこと、校舎の外で友人と話をしていた彼は、駐車禁止区域にここには場違いな、見るからに高価そうな新車が一台停まっていることに気づいたそうだ。話をしていても気になり、目は何度もそちらに行く。
休憩時間もそろそろ終わる頃、オリガがその車に向かって駆けていく姿を見た。するとその車のドアが開き、彼女は助手席に乗り込んだという。
少しの間があり、こんどは運転席から男性が降り立ち、助手席のドアを開けた。と、オリガが降りて来て、二人は熱烈に抱擁し合っていたのだという。
それも、濃厚な愛情表現には慣れっこのはずの、典型的なラテン男性の彼が見ても赤面するような、かなり際どい抱擁を。
その休憩時間後の授業中には、彼女の姿はもうクラスには無かった、と彼は断言した。
それに続けて彼は、男性は非常にパリッとしたスーツに身を包んだ白人で、遙かに彼女より年は若かったと付け加えた。

すると、こんどは別の一人が、それは彼女のハズバンドではないと、これまた断言した。
なぜなら彼女は、登校時に車で送られて来たオリガと出くわしたことがあり、運転席の男性の顔をハッキリと見たと云う。その時オリガは、ハズバンドに送ってもらった、そう彼女に云った。彼女が目にしたその男性は、間違いなく、中年を遙かに過ぎた白人だったそうだ。
 
一瞬でも、良からぬこと、妄想じみたことを思い描いたのは、私だけだっただろうか? 
噂が噂を呼び、信じられないような話になって耳に届く様々なこと。でも、ただのバカバカしい噂と簡単には云い切れないのは、その話の元をたどっていくと、その話の核心は嘘ではなく、まるで小説や映画の題材になるような出来事が多いのだ。
そんなことが、この学校の中では、現実に、日々起こっていることは、多分、在籍する誰もが充分認識していることだろう。

ちょっとした沈黙の後に、高級車を目撃した方の彼が、遠慮がちにポツリと呟いた。
「普通の人っていう雰囲気じゃなかったんだ、その男。ロシアン・マフィア……」。
南米出身の、かなりの皮肉屋ではあるけれど、真面目な彼の一言に、誰もがさもありなんと、小さく静かに、頷いた。 



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