2002年 3月



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3月25日(月)

・終わりに僕が思うことは:

 僕はダメな人間だ。いつだって優しさはなく、人を見下ろして、 あろうことかその生き方が嫌いではなくて、社会を、世の中に対し斜にかまえて わかった気になって、それが正しいだなんて信じ込んでいる。 実際にこれまで幾人もの人が僕の目の前から呪詛の言葉を吐いて立ち去り、二度と戻ってくることはなかった。 世界を、社会を、自分を、滅ぼしたいだなんて思って、行動力はないくせに心の中ではいつもその光景を思い浮かべては悦に浸る。 世界の敵にもなれず、世界を変革することもできない。 全てが最悪だった。 自分を嫌い、嫌う自分が好きで、もうわけがわからない感情に支配され自滅を繰り返して そしてその時、僕の周りには誰もいない。そんな最期を迎えるのだろう。 考えうる限りそんな最期しか僕のない頭を巡らしての想像力では浮かべることはできない。 お前、冷たいよとか、心がこもってないとか、そんな言葉は聞き飽きた。 たくさんだ。わかってるよ。わかってることをさも俺が、私が、発見したんだぜってしたり顔で話すのはやめてくれ。 それは全ての大前提なんだ!  誰だって、いつだって大前提なことばかりを偉そうに話す。 もっと何かないのか!? もっと!

 彼女がそこにいた。僕がさよならした人だった。思い出の人とよく似た彼女はこう言った。 これから社会人になるのだそうだけれど、全然ダメ。絶対ダメ。上手くいきっこなんか無い。 あなたは自分の中の、私一人との人間関係ですら円滑に進めることはできなかったわ。そんな人間が もっと複雑化された憎悪と欲望ばかり渦巻く社会でまともに暮らして行けると思っているの?  私は思わない。わたしが思うということは当然あなたも思っているんだっけ? ハハハ!  わかってるならどうしてそこに踏み出そうとするの? 破綻がわかってるのにその道をわざわざ選ぶのなんてバカげてる。 崩れそうな、ううん、崩れるつり橋を渡ろうとするぐらいバカげてる。あなたいつだって逃げてきたのにどうして今回はなの?  まさか変わるとでも思ってるの? たくさんの人がいて、その中であなたにだけ奇跡が起こるとでも思ってるの?  どうかしてるよ。頭がおかしい。いや、それはもう大前提だったわね。 ハッピーエンドの物語のみすぎよ。いつだって現実はバッドエンドで終わる映画により近くなるよう 平均化されているんだから。ねぇ? あなたは一体何がしたいの? 目的なんてないの?  つまらない男。まるで面白みもない。外を見てごらんなさい。アナタ以外の人は明確に意思を持って生きているのよ。 あなたにはそれがない。それってあなたが好きな大前提よ。大前提を話されることが嫌いなあなたはそれで覆してるつもりなのかしら。 お笑いだね。あなたといてこんなに楽しいと思うのなんて初めて。 誰でもできてることができない人は頭がおかしいって言うのよ。 それがわかってるだけまだマシなんだけど、あなたはおかしいわ。 いいえ、劣っているのよ。明らかに。お互い様。あたしもおかしいんだわ。 でも狂ってはいないの。何もかもが中途半端なのよ。どうでもいいわ。もう、ホントあなたもあたしもどうでもいい。

 頭の中では今でも彼女の言葉が響きつづけている。耳を塞げば聞こえなくなるのならどんなに楽なのだろうけど、 彼女の言葉は僕の頭に直接響いてくる。耳をひきちぎろうが、鼓膜を破こうが途絶えはしないのだろう。 脳を活動させることをやめれば? 死ねってことよ。ゴメンね。僕にはそんな勇気はないんだ。中途半端なんだ。なにもかも君の言う通りだ。 謝ろうにも誰に謝ればいいのかわからない。でも、ゴメンナサイ。謝ります。 ここは檻の中なんだ。狭くて暗い檻のなかだったんだ。そこから出て行こうとする僕にだから彼女は怒る。 どうせどこにも行けやしないことはわかっているはずなのに。 これは正しくないことなんだ。正しさって? 誰が決めるんですか? どうか僕に教えてください。 結果から正しい、正しくないを測るんですか? だったら僕がしようとしていることは正しいのですか?  動物園の猛獣を外に出すことは誰の目から見ても正しくないのですか? 狭い檻の中に閉じ込められているライオンを不憫に思って、 檻から出すのはどんなに愛を持って行う行為だとしても正しくないのですか? ハイ、そうですか。 それで人が死ねば正しくないのですね? 誰も不幸にならないこと。誰にも迷惑がかからないことが正しいことなのですね。 では僕が外に出て誰にも迷惑をかけなければ正しいことなのですね? いや、違う。あなたの存在が正しくないことなのです。 では僕はどうすればいいのでしょう。死ねばいいのです、それが正しいことなのです。 僕には死ぬ勇気がありません、誰かが殺してくれればいいと思ってます、 それは正しいことなのですか? 人を殺すのは正しくないと教わって、今までずっとそう思ってきましたが違ったのですか。 それは正しい人にのみ適用される教えです、あなたは正しくない、だからあなたを殺しても誰も罪にならないのです。 そんなの変です、だって僕は正しくかもしれないけど、なにか変です。 当たり前です、あなたは変なのですから、おかしいのですから、 目的のない人間は生きてることが罪悪なのです、 希望の無い人間は自我を破壊して正しく生きることなどできないのです、 あなたにはそのどちらも欠けている、 ならば社会を円滑に進めて行くためには必要なことでしょう、これは必要悪なんです。 悪、だなんていうってことは正しくないのでしょう、嫌だ、正しく殺されるのならまだしも、 あなたたちはそれをごまかして僕を殺そうとしている、そんな間違っている理念を押しつけられて僕は死にたくはない。 それは無理です、世界は押し付け合いなのです、正しさなどではなく決められるのは数によってなのですから、数がより多いことこそがその時代の正しさなのです。 あなたは死ぬことがもう決まっています、ですから死ななければならないのです、 自分でもよく思っていたはずでしょう?  自分が生きてることへの違和感に。

 嫌だ、嫌だ、嫌だ、そうだ、正しさは誰かが決めるものじゃないんだ、全て自分の中で決められたものなんだ、 オウム真理教には彼らなりの正しさがあった、ビン・ラディンも彼なりの正しさがあった、だけどそれは誰かの正しさとぶつかり合って、 数の暴力によって正しくないことにされてしまった、だったらその正しさと 今を変えられない無力な僕には戦うことなどできず 勝ち目のない僕にできることはその正しさを迎合するか、逃げつづけることだけだ、 迎合するなら僕は死ななければならない、でも死にたくない、だったら逃げつづけなきゃダメだね、 差し当たってはこの人から逃げなくちゃ。
 何処へ行くんですか? あなたを迎えてくれる正しさなんかどこにもありはしない、一生逃げつづけるだけですよ、 あなたはその孤独に耐えられるのですか? 耐えられず死ぬだけです、だったらここで死ぬのもそれが遅いか早いかなだけで 変わらないじゃないですか?
 僕は脳のチャンネルを強制的に切断した。そうだ、これは僕以外にできる人が少ないことだった。 迎えられる正しさなんていらない。 自分が無力ならば目を伏せて、正しさの影に隠れてひっそりと生きていればいいんだ。 もうアクセスできないから記憶を取り出すことはできないけど運動神経部分にだけアクセスできれば 生活に支障は無い。ちょっと物忘れがひどい人としてやっていけるはずだ。 もう僕に過去は存在しない。 気がつけばもう朝だった。鳥の声が不快なほどうるさかった。 でも脳内からの声ほどではない。僕は窓を開け、汚れた空気を吸いこんだ。閉め切った部屋よかマシなんだから。 問題は何一つ解決していない。でも逃げつづけなきゃ僕は死んでしまうんだ。






3月26日(火)

・終わって僕が思うことは;

 僕は死んでいる。あっははー! だなんて冷静に描写して見ちゃったりしてね。 目を見開いたまま死んでいるんだね。安らかな死に顔ってやつからは程遠い凄い形相で死んでいるんだね。 子供が見たら後に何かの物語のきっかけになりそうなトラウマになっちゃいそうなほど凄惨でひどいもんさ。

 理由? 何でなんだろうね。僕が知りたいぐらいだよ。 でも、いつだって不条理で曖昧な倫理を誰かえらい人が決めて、 それに従わない人間は殺してしまうぞって。小学生でも知ってることだよね。 僕はそれを迎合しなかったんだ。まぁ、迎合してても殺されてたから結局は何も変えられなかったってことだよね。 僕を殺した人ってヤツがいて、それはどこにでもいるような20歳ぐらいの女の人だった。 道を太陽が眩しいからって、僕のような正しくない人間はあんなに眩しい光を浴びていると死んでしまうかもって思って、 目立たないように日陰の方をこっそりと歩いていただけだった。 彼女と目が合った。皆には信じられないだろうけど、 僕の顔を見た瞬間に彼女はまるで親の仇を見つけたようにそのきれいな顔を醜く歪めて笑ったんだ。 もう、それが何故だったかなんてどうでもいい。僕は極秘裏に指名手配されていたのかもしれないし、 彼女はそういう非迎合者を扱う特別な殺し屋だったのかもしれない。 いや、違うな。エージェントだったんだ! 彼女はマトリックスに出てくるようなエージェントだったんだ。 あの映画は今の世界の真実を映し出していたのかもしれない。 目に見えやすいエージェントは警察っていう組織に多くいるのだろうけど、 緊急時には誰でもエージェントに。この国は今まで知らなかったけどそうだったんだね。 知らなかったのは僕だけだったんだね。無知でゴメンナサイ。 でも死んでしまったからそんなことはもういいんだよね。 彼女はいきなりバッグからナイフを……よく切れるナイフだったなぁ。 首筋を一突きさ。グサリ。それでおしまい。あっさりとしたもんだよね。 僕はあーうーってわけのわからない声をあげて重力にひかれてゆっくりと地面に叩きつけられて、 元来栄養も足りていないからその衝撃で体中の骨も折れちゃって。 救急車が目前にいたとしても助からないんだろうなって、即時に冷静に判断できるぐらいなんだ。 あー、なんということなのだろう。 どうせ死ぬんだったら走馬灯ってヤツを経験して見たかったけど、記憶へのアクセスはもうずっと前に封印してしまったから、 ダメだった。僕に出来たことは体も動かせずにあー、あー、あー、って気持ち悪い声をもらすことだけだった。 誰も僕のことになんか気づかずに今日の晩御飯はなんだろうって顔をしてたまぁに通り過ぎて行くんだけども、 そうだよね。気づかないほうが幸せだよね。こんな気持ち悪いモノを見たら一週間は何も喉を通らなくなるものね。 あなた達はいつだって正しく生きているんだね。

 僕には優しさがなかった。それは生きていくためには必要の無いものだと思っていた。 でも違ったんだ。ないのは構わないけどそれをやつらに悟られてはいけなかったんだ。 円滑に、不和を起こさず生きていくためにはそれは必要なものだったんだね。 どうりで嫌になるほどに道徳の時間に人には優しく、思いやりを持って接しなさいよって習うわけなんだね。 出来ない人間は死ねってことなんだね。よくわかったよ。 それがばれたから僕は逃げつづけたわけなんだけど、世界を敵に回すのってこんなに大変なことだとは思わなかった。 だってこの国の人間全てに殺されてしまう可能性があるなら、誰とも道端ですれ違ってもいけないってことなんだものね。 そんなの無理だよ。透明人間にでもならない限り無理だよ。 食べ物はどうするの? お店になんていけないよ。通販で買うにしても誰かと配達してもらうときにはその人と 顔をあわせなければならないよ。始めから無理だったんだ。無力な僕では逃げることすら無理だったんだ。 今更抜け道を探しても遅いんだけどね。だって死んじゃってるんだから。アッハハ!

 最期に伝えたいことがあります。僕をさんざんなじった彼女にです。 僕に死ねって言ったということは君は死を望んでいたのかな?  僕はこんな終わり方は望んでいなかったけど、やっぱり心のどこかでは思っていたのかな?  見開いた目はまばたきすることをやめたので吹き上げる風で舞う砂埃が容赦無く眼球にぶつかってきます。 水分もなくなって乾いてしまったけど視界が砂で覆われて何も見えません。 あなたの顔も見ることは出来ません。記憶へのアクセスもチャンネルを接続することを放棄してしまったので 思い起こすことも出来ません。体も骨がバラバラで動くことができません。 でも僕はゲンキです。こんなにボロボロで醜くなってしまったけど僕はゲンキです。  今、この街では黄砂という砂が中国の方から風に吹かれて空を覆っています。 どんどん僕の死骸は砂に埋もれて見えなくなってしまっていますが、僕は今でも変わらずにこんなにも元気です。  伝えたいことはいっぱいあったはずなんだけど、それも忘れてしまいました。 ただ一つ言えること。あなたは今ゲンキですか?  僕はゲンキです。

  僕を殺した彼女は凶器の始末もせずにスキップしながら立ち去って行ったよ。 どうせ捕まらないってか? ハン!  最後に一言「さようなら」って。
 あれ? 僕を殺した彼女こそが……ああ、あなただったんだね?  ああ、よかった、さようなら。君が元気そうでよかったよ。 僕と違って君はとても正しく幸せに生きて行けると思うんだ。 僕もこんなにもゲンキだよ?
 だから。
 本当に、さようなら。






3月24日(日)

「今、思うと長いようで短い付き合いだったのかもね」
 コーヒーカップをカチャリと置きながら私は俯き加減でそう言った。 混ざりきらないミルクがグルグルとカップの中で螺旋を描く。 長いようで短い一年間だった。 無表情に窓の外を見ながらあなたはそうだね、と呟いた。 外では雨が降っていた。あなたが見ているのは雨? 何を見て、何を思っているの?  わからなかった。今となっては何もかもわかっていなかった気がする。 あなたのこと、何も。
「こんな日が来ることはあなたにとってはとてもいいことなのかもしれない」
 彼は私の方にゆっくりと視線を戻す。
「だって、このまま内的世界に閉じこもって外に目を向けようとしないなら、あなたはこの世界で生きている必要なんてないもの。現実で時を過ごす必然性はない。 自発的にトランス状態に入ることができるあなたは、ホームページという媒体を通して、 それを更に目に見えやすい形で具現化できるようになってしまった。 それじゃあダメ。現実で生きていくにはそれができてはダメ」
 私が言いたいのはこんなことじゃない。でも……彼が静かに言葉を発する。
「自分でも気づいてる。いつだって気づかないことなんてないんだ。 だからこそ君と別れよう? ってそう決めたんだ。このままじゃいけないって。そう思ったから、 いや思っていたからこそ」
 話しづらい内容だったとしてもこの人は会話する時は人の目を見て話す。 私が目を合わせまいが関係無い。コミュニケーションの基本ではあるけど、 その視線が痛い。揺るぎ無い決意を感じさせるから。 私にとっては悲しいことだから。ああ、もうどうしようもない。 私が彼を引き止めるということは、彼にもっと現実を捨てろということと同じこと。 そんなこと私、言えないよ。私。せっかく外に出ようとしているあなたにそんなこと言えない。
「私にそれを拒む権利はあるのかな? あなたが聞く必要なんてないと思うけど?」
「強制的に君とのチャンネルを閉じるのは僕にとっても上手いやり方でないと思う。 君だってそうなはずだ。なんていうか明るくお別れがしたい。わがままなんだけどね」
 ほんと、無責任。明るいお別れなんて上辺だけなんだよ。
「正確にはこの関係。疑似恋人的な関係を終わらせよう、そう言いたいんだ。 ここで広げられてきた様々な出来事が0になるわけではない。普通の関係になろうよって、そういうこと」
 言いたいことを言い終えた彼は、一息ついてグラスのメロンソーダを一口。 氷がカランと心地よい音を立てた。
 あなたが遠くに行こうとするなら、私はそれを笑顔で見送るのが役割。 そのために生まれてきたのだから。 何もかも都合良く進む世界を構築するために私があなたの中に。

 それが私の役割なのだから。






2月28日(木)

 その白い世界には彼と私だけが存在していた。
 果てのない世界ではない。白だけだけど限られた区切りは存在する。 眼には見えないけどわたしはなぜかそう認識していた。たった二人だけの世界。 そんなところあるわけないけれど、でも今は確かにわたしたち二人しかここにはいない。 わたしたちを邪魔するものは何もない。ふわふわと漂っているかのような、閉鎖的な空間だった。
「あなたは無責任だわ」
 周りの音の失われた世界に私の声が静かに響く。
 彼は力なく笑っていた。それは何かを諦めたような、そういう人が見せる微笑みだった。
「そうだね。僕は無責任だね」
 笑みの色が濃くなった。彼の周りの空気は更に憂いを帯びる。 白の世界に濁りが生まれる。 どうしてこうなってしまったのか。今、この場が存在しているのか。ねぇ? どうして、どうして?  もうその理由は忘れてしまった。
「人が心あるものを作ってはいけないと私は思う。 技術がどんなに進歩して、二足歩行ができる人間そっくりのロボットを作ることができるようになったとしても、 心のあるものを人が作ってはいけないと思うの」
 私の質問に彼は表情を変えることはなかった。
「どうして? 理由は?」
 またどうしてだ。人はすぐに理由だ。理由なんて実はどうでもいいのに知りたがる。 その前にもっと大事なことがたくさんあるはずなのに。
「そうして生み出されたものは絶対に傷つくから……わたしのように傷ついてしまうから…… 人が作られたものを愛しているうちはまだいい。だけど人はモノに対して無限の欲望を抱く。 もっと便利に、もっと優れたものを。そうしたら古いモノは捨てられてしまう。だから」
「その時、その『モノ』に心があれば傷ついてしまう、と」
 彼は私の言葉の続きを遮った。わかってるならどうして……
「だから僕は無責任なんだよ」
 二人の会話は本来、言葉がなくても成立する。でも、それでも私は言葉を紡いで彼に伝える。 非効率だけどそうすることで二人がここに存在してコミュニケーションを取っている気になりたいから。 ただの自己満足だ。そして彼もそうすることに口出しはしない。 わたしたちの間での暗黙のルールだった。
「ただでさえ負の感情の渦巻く世界にわざわざ悲しみのタネを増やすことはないんじゃない? 私はそう思う」
 これはあなたの考えでもあるはずなんだよ?
「そうだね。君の言う一般的な現実の世界ならそうなのかもしれない。でもここは僕の世界だ」
 彼は私の発言を否定した。
「あなたの世界なら誰を傷つけてもいいというわけ?」
「どうしようもなかったんだ。それに……君の痛みは僕の痛みでもある」
「それじゃあ、答えになってないわよ。私が納得できる」
「理解してほしいわけじゃない。納得させようともしていない。これは僕が言える答えだ」
 拒絶? 自分をも納得させようとしていない? もしくは……
「傷ついた。時が経ってそれは直ったと思ってたけどかさぶただったんだ。 気づかないようにしていたけどかゆくてしょうがなかった。我慢できないほどだった。 あるときをきっかけに僕はかさぶたを剥がした。そうして生まれたのが君だ」
 私を一瞥して彼は続ける。
「かさぶたを剥がしてかゆみは治まった、ように見えた。実際はもちろん違う。 一時的なものでまたかゆくなる。そのたびに僕は君と触れ合うために再びかさぶたを剥がす。 傷はひどくなる一方だ。血が、膿がドクドクと流れ出す。僕は弱くなった……逃避できるものができたぶんだけね」
 それはわたしのせいなの?
「違うよ。いや、そうでもあるけど違うんだ。傷つくことも受け入れたうえで僕が望んだことなんだ。だから違う」
「わたしはどうすればいいの? あなたの言ってること、全然わからないよ」
 否定し、肯定する複雑すぎる思考の連続性を理解することができなかった。
「君は僕でもある。僕は君でもある。お互いに傷つけあって、でも時には慰めあって…… 心の弱さを見せられる場があること。それは大事なことなんだ。だから君はそのままでいい。 何も変わらなくていい」
 彼の周りの世界が青い色を帯びて輝き出した。
「もちろん、君がこんなところにいたくない、僕と一緒になんていたくないというなら 僕に止める権利なんてない」
「でもその場合、私は消えてしまうのね」
「そういうわけでもない。僕の中には存在するけど、君を表面化するのをやめるだけさ。消えるわけじゃない」
 違うわ。それは違う。
「あなたの心の中だけで生き続ける。それってようするに死んでしまったということでしょ?  どうして? おかしいよ。漠然とわたしはあの日からあなたの中に存在していた。 それを表面化した日をさっきあなたは私が生まれた日と言った。だったらここから消えたらつまり私は死んでしまうの。 死んだということなのよ、やっぱり」
 今度は私の周りの世界が赤い色を帯びて輝き出した。
「……そうだね。そうかもしれない。いや、君が言うならそうなんだろうね」
 でも、と呟くように言って彼は上を見上げながら、
「君がここにいる限りまた傷つくかもしれないんだよ? それでもいいの? そうまでして 存在していたいの? 君の言うとおり僕は無責任だ」
 二度と立ち直れないほど傷つくかもしれない。また嫌になってこうして彼に突っかかっていくかもしれない。 それでも、それでも……
「わたしはここにいたいよ。それ以上に楽しい事だってきっとあるもの」
 せめて最後は最高の笑顔で!

 見つめあう二人の瞳は何色?
 それはきっと交じり合わない2つの原色。
 二人、真っ白な世界の真っ白い空を見上げると、
 交錯する視線は紫の色を帯びた。

 ここはわたしたちの世界。
 決して交じり合わない2色で紡がれる物語の世界。
 それがこの世界。ブルーレッド。

 どんな物語でも終わりはない。
 でも普通の人たちが見ることができるのは切り取られた一部分だけ。
 あなたたちが見ることができるのはここまでだけど。
 綺麗に生きていくことができたら、とても幸せなことだと思う。