▲見どころ、読みどころ▼

    (前回までのあらすじ)勇んででかけたのはよいけれど、父親とふたりきりになってし
   まうという前代未聞の事態に遭遇した息子はどうしたらこの危機を乗り越えられるかを
   模索するように、すきあらば泣こうとする。父親わたしはそこをなんとか泣かすまい、
   泣かすまいとして西船橋駅のホームをさすらう漂流者となり、あるときはだっこして歌
   を歌い、あるときは駅のベンチで体操をさせて気を紛らせ、どこかに和平へと至る小径
   が困惑の草むらのなかに隠されていないかとまさぐるのであった。
    さて、ここまで読んでいただいた「奇数の歯を持つ嬰児」もいよいよ後編を残すのみ
   となってしまいました。しょうもないような詩でも、ここまでつきあってしまうと結末
   を知らずにはいられないという、もう毒食らわば皿をのせたテーブルクロスまでつけあ
   わせにして食ってしまいたいという希求に支配されてしまったことでしょう。ふふふ、
   じつはそこがつけめだったりして。
    こんなに長い詩はこれまで書いたことはありませんし、これから書くこともないでしょ
   うから、おそらくわたしの全詩業のなかで(それほどのものかって)もっともたくさんの
   行をもつ詩となることは想像に難くありません。ひたすら長いということだけでも記念
   すべき代表作となるでしょう。では、どうぞ。


   ぼくらは親の常として
   どこかにこの子の非凡なところはないかと
   ぴんぴん耳を尖らせている
   たとえば母子手帳には次のような質問がある
   ○家族と一緒にいる時、話しかけるような声を出しますか。
   その回答欄はこうだ
     はい(  か月   日頃から)  いいえ
   このページは保護者の記録【6-7か月頃】となっているが
   きみの記録は3か月と記入されている
   じつになんとなんと標準の倍だ
   ということはこの子は
   周囲への関心がすでに形成されており
   認識力が大きいということではないだろうか
   ふうむ、末頼もしい
   次のような質問もある
   ○支えられて、立っていられますか。
     はい(  か月   日頃から)  いいえ
   これには4か月3日頃と記入されている
   ここは【9-10か月頃】のページなので
   いぜんとしてきみのペースはおちていないわけだ
   認識力もある(知恵の分野)
   体もいい(力の分野)となるとあとは
   行動力(勇気の分野)が問題なのだが
   きみの場合ここが弱点なのだ
   対人関係が結べない
   あるいは他者との接触を嫌う
   あるいは部屋を出て戸外にいくと
   そこでは一歩も動けない
   そんなことではどうするのだと
   思ったりもするのだが
   黄金時代が幼児期にあるということは
   どうみても不幸なことなのだ
   今でこそ大予言者とよばれている
   出口王仁三郎でさえ幼年時代は
   「八文銭の喜三郎」とはやされていたというではないか
   ということはどういうことかというと
   親としては黄金時代をはやく迎えさせたほうが得なのだ
   自分の子供をいばれるのは
   支配権が確立されているときだけだからな
   しかし子供としてはそうはいかない
   進学の時期に燃え尽きたのでは
   あとの半生を賭けるチップがなくなってしまう
   つまりは
   学校教育ってなにかという問題になる
   学習のためではないはずだ
   学習能率をあげるためなら
   スパルタの家庭学習の方が能率があがるもの
   友人つくりのためか
   下半身の仲になるほど親密にはならず
   協調性をもってだれとでもつきあえるようになるための
   しかしそうするとのれんくぐりばかりがうまくなるだろう
   結局のところ
   サラリーマンをつくりあげたいのか
   学歴が必要条件ではあっても十分条件ではないのが
   企業労働の職場なんだものな
   労働とはもっと多義的な言葉だったのだが
   ぼくらはしだいに痩せさせてしまった
   もっと自営業の精神を養うようにしなければ
   ぼくもきみも安易に滅びていくばかりだ
   教わるべきなのは
   企業家のたくましさであって
   企業労働の心得ではない
   だから、顕彰
   ぼくらはもうすこしあつかましくならなければならない
   知らない人のところへ行って
   自分のアイディアや考えを説明できなければならない
   こういうのを仕事にしている人でも
   自分のこととなるとできない人もいる
   あつかましくなるときに企業の仮面をかぶるからだね
   ぼくらは素顔であつかましくならなければならない
   それができないのなら
   ぼくらは思った通りに生きていく資格に欠けているのだ
   そう言い聞かせながら
   船橋西武百貨店の展覧会入口で
   ぼくはきみにミルクを飲ませようとしているのだが
   ははは、なかなかうまくいかないものだ
   脚をくみかえるときに衣服がすれる音さえ聞き分けられるのに
   きみの泣き声はここでは大音響なのだよ
   しかし、
   あつかましくならなければならない
   あつかましくならなければならないと
   乾坤を転がすほどに気迫はこもるが
   哺乳瓶のミルクはいっこうにへらない
   ああ、なるほどね
   これはだね、顕彰
   出の悪い方の乳首をつけてきてしまったのだよ
   下に行ってゆっくり飲もう
   と、子供の広場のベンチでもういちど試みるがうまくいかない
   ミルクがでないということは
   この子がけっして泣き止まないということではないか
   やっと事態の重大性に気付いたぼくは
   彫刻展どころではないとことにも考えが至った
   こんなところまで来てしまっているのだ
   西船橋から船橋までの一駅でさえ
   あれほど難儀したというのに、おうおう
   いまから
   いままで来た道を
   前略も中略もなく
   草々と早々にひきあげることもできずに
   ふたりで帰らなければならない、ならないのだ
   おい、おれとおまえとで帰るんだからな
   おれも覚悟するから
   おまえも覚悟しておけよ
   恨むんだったらな
   その相手はおれじゃないぜ
   幼いおまえに念をおしてもあれなんだが
   それはおまえの母親だ
   もとはといえば
   おまえの母親が悪い
   三つ子の魂百までっていうから
   かんでふくめて教えておくけどな
   出不精なおまえの母親が悪い
   三人で行きましょうって一声かけてくれればよかったんだ
   そうしたらこんな試練もありえなかった
   恋愛って魔物だよな
   結婚するまでは出不精が魅力だったんだからな
   わからないもんだよなひとのこころっていうのは
   おまえも恋愛で悩んだらおれに相談しろよ
   おれのアドバイスはきびしいぜぇ
   諸行無常の恋愛観だからな

   子・・・彼女がぼくのことをすきになってくれないんだけどどうしたらいいですか、お父上、なにかいい御案は。
   父・・・ふむ、そういうときにはな、顕彰坊待つのじゃ。じっと待っておればよろしい。
   子・・・そうかな。
   父・・・おまえに妙案はあるか。
   子・・・いや、べつにないよ。
   父・・・いいか、顕彰坊。わしはなんの理屈もなしでおまえにこう説いているのではない。いまおまえは彼女の気持ちが
   自分に傾いてくれないという現在の事実にだけ囚われすぎておる。あの松の木を見よ。
   (庭の松の木をじっとみつめるふたり)
   父(・・・しばしののちに)のう、わかったじゃろうが。
   子・・・なにが。
   父・・・なにがとはなんじゃ。
   子・・・ぜんぜんわかんないよ。
   父・・・ええい、その察しの鈍いところなどは母親譲りじゃのう。あれも女鉄面皮と呼ばれておったがのう。
    ほんとにわからんか。
   子・・・ちっとも。
   父・・・そのあっけらかんとしておるところなども母親譲りじゃのう。あれは歩くアパシーと呼ばれておったが。
    ほんとにわからんか。
   子・・・(ひるまず、朗らかに)ああ。
   父・・・ほんとらおまえは母親に似て散文の精神じゃのう。ふつうはな、庭の松の木を見たらなにもわからんでも
    わかったような気持ちになるんじゃ。それが風流というものだろうが。
   子・・・いいからはやく松の木シリーズやってよ。
   父・・・しかたがない。じゃあひとつずつ解説していくか。解説された詩はもうすでに詩ではないという言葉も、
   子・・・知らないよ。
   父・・・そうじゃろうて。(落胆から立ち直り)まず松の木があるな。
   子・・・あるある。
   父・・・あれのどこを見るかというのがひとつのポイントじゃ。
   子・・・どこみんの。
   父・・・すこしは考えてみい。
   子・・・じゃあ、はっぱ。
   父・・・口からでまかせをいうところがかわいくないが、おうとる。
   子・・・え、あってんの。
   父・・・ああ、おうとる。
   子・・・はっぱのどこみんの。
   父・・・だからさっきからいうとるじゃろう、すこしは自分で考えてみぃと。
   子・・・わかんないな。
   父・・・・
   子・・・ヒントちょうだい。
   父・・・・・
   子・・・ぼく遊びにいこうかな。
   父・・・(ひるむ)まあ、待て。じゃあひとつだけじゃぞ。いいか、いま枝にある松のはっぱはこのあとどうなる。
   子・・・落っこちんじゃないの。
   父・・・そうじゃ。じゃあなぜ落っこちてしまうかが問題じゃな。
   子・・・なぜって風が吹いたりするからじゃないの。
   父・・・そこじゃあ!
   子・・・ああ、びっくりした。どうしたの。
   父・・・風が吹けばはっぱが落ちるじゃろ。
   子・・・(うんうん)
   父・・・なんではっぱはそのまま枝についておらなかったのじゃ、なんではっぱは落ちてしまったのじゃ、
   子(ううん)
   父・・・そして最後に、だれかはっぱが落ちてしまうとそれまでに考えていたものがおったか、いいや、おらなかった。正座せい、顕彰坊。
   子・・・はい。
   父・・・つまり、な、自分に気持ちをよせてくれないはっぱが彼女なのじゃ。いやいや、ごめんまちがった,
       自分に気持ちをよせてくれない彼女がはっぱだとする。
   子・・・ふんふん。
   父・・・しかし、そのはっぱはどうなる。いつかは地面に落ちるじゃろ。
   子・・・ふんふん。
   父・・・その地面がおまえじゃあ、わかったか、顕彰坊。
   子・・・(納得してない)ふうん
   父・・・わからんか。
   子・・・うん。
   父・・・どこが。
   子・・・どうしてその地面がぼくだってことになるの。
   父・・・むむっ。
   子・・・落ちるはっぱまではいいけど、どうしてぼくが地面なの。
   父・・・それはじゃな。むむん。
   子・・・ぼく、地面でもいいけど、そんなに広くないよ。
   父・・・たじたじの太刀をはらいて、
   子・・・ね、パパ。だからさ、ぼくとしてはどうしたらそこの場所に彼女が落ちてくるかが問題なんだよね。
   父・・・なるほどねぇ。
   子・・・もしかしたら、パパ、あんまりもてた経験ないんじゃないの。
   父・・・(はっ)
   子・・・そのあまりといえばあまりな楽観論には、こうあるべき、いやこうあってくれたらいまごろ自分はという
   アドレッサンスの願望がこめられている気がするなあ。
   父・・・不思議だ。いくら親子とはいえ、なぜそんなことまで分かってしまったのだろう。

   やっぱりおれに相談するのはよくないな
   するんだったらおまえの母親にしろ
   おまえの母親もおんなじようなことを言ったあとで
   「だってわたしもてたもーん」と公言していたからな
   最近おれがひとりででかけると
   「いいなぁ、わたしももてにいきたいなぁ」って
   あてつけがましいからな、とっても
   おう、着いた着いた
   葛西だよ
   電話しような、
   「わたしです。
   帰ってきました。
   葛西です、顕彰が泣いてしょうがないので
   展覧会も見ずに帰ってきました。
   ケーキ屋の前で待ってますから、駆け足で迎えにきたください。」
   このときのきみの母親というひとはどういう返事をしたか
   忘れずにいることも決して無益ではない
   母親ということで過剰な期待をもちがちな自分を
   制御するための装置として作動してくれるだろう
   彼女はこう言った、
   「ええっ、
   もう帰ってきたの、
   まだなにもしていないわよ。」
   なにをしようというのだろうか、きみの親愛なる母親は
   鏡にでももてようとしていたのだろうか
   ぼくらはケーキ屋の前でひさしく待った
   風に吹かれているきみの横顔はりりしかった
   ぼくらが「立て髪」と呼んでいるきみの
   つむじのところからほとんど垂直に伸びている癖っ毛は
   風見鶏みたいにお辞儀を繰り返している
   きみは視線を動かさない
   ぼくはきみとともにいる
   きみは視線を動かさない
   ぼくはきみをのぞきこむ
   きみは視線を動かさない
   ぼくもきみの視線をなぞる
   きみは視線を動かさない
   ぼくらの視線に彼女はこない
   そうやって遠くを見るときの方法を
   きみはどうやって身につけた
   それはいけないやり方だ
   親子がいっしょにいるときには
   そういう見方をしてはいけない
   きみとぼくが親子であるのは
   こうしてここに立っていて
   きみにとっては母親で
   ぼくにとっては妻である
   共通の女性を待っているから
   ただそれだけの理由みたいだ
   それもただの思い過ごしか
   そうかもしれない
   きみが気づくとき
   すでにぼくは動かしがたく
   きみの父親として現象しているだろう
   ぼくは克行という名前を持ち
   克夫という名前の父親と
   サツエという名前の母親のもとで
   幸夫という名前の弟といっしょに育ってきて
   いつもどちらかが失職してて
   母親が心配していたことや
   きみが生まれてくることも知らず
   その母親が死んでしまったことや
   その葬式のときに父親が
   壷に納める母親の骨を割れなかったことや
   そんなことがぜんぶ
   きみにはどこかの
   【おとぎばなしのやかた】の
   みやげばなしみたいにひびくだろうな
   奇数の歯を持つ嬰児
   きみのくちびるをめくると
   上に四本、下に三本
   計七本の歯しかない
   本棚のかげから顔をだして
   いない、いない、ばあの
   パフォーマンスをみせてくれる
   奇数の歯を持つ嬰児
   いない、いないがいえないから
   ばあ、ばあを繰り返す
   奇数の歯を持つ嬰児
   自分の掌で顔をつつむときは
   たたくようにしておおいこむ
   奇数の歯を持つ嬰児
   ひぐまのあしあとのような蒙古斑のある
   奇数の歯を持つ嬰児
   きみが風邪で鼻がつまったとき
   すすってあげたのは
   きみの母親の方だったよ
   ぼくには結局できなかったな
   そんなことが
   ぼくがきみについて知っているほとんどかな
   ほら、その母親がやってきたよ
   間違って別のケーキ屋にむかってたと
   弁解しながら走ってきたよ