▲見どころ、読みどころ▼

    これは長い、実に長い、本当に長い詩です。あんまり長いので、前・中・後の三部作
   にしたくらいですから、とほうもなく長いのです。宮沢賢治もびっくり、吉増剛造もお
   やおやというくらいでしょうね。なぜこんなに長くなったかというのを説明しようとす
   れば、それがまた長い・・・・ということはなくて、長くなってしまった理由というの
   はこの詩を読んでもらえばはっきりするでしょうが、久しぶりに自分の子供と対決した
   という興奮状態にはいってしまったようですね、どうも。
    けんしょうシリーズを集めてみても、生まれて直後は数編書かれていたのがぱったり
   止まっていますものね。やはり興味を失ったというのが実状らしいのです。ではそのこ
   ろの興味はなんだったのでしょうか。でもこれが思い出せないのですから、やっぱりた
   いしたことを考えていたわけではないのです。たいしたことでもないものをたいしたこ
   とではないと知りながらも熱中せずにはいられない、悲しい寂しい人間の性というもの
   が・・・・ありはしません、そんなもの。そういう深いものがあれば、もっと人々の感
   動に迫るような名作が出来てくるんでしょうが、ま、ほとんどギャグの世界ですからね、
   ここは。初出は一部きりの自家製本詩集「ワゴンセール」、ワープロ本コンクールに出
   品した経歴を誇っております。ははは。では、どうぞ。


 



奇数の歯を持つ嬰児(前)





   人間は進化する動物で進化した動物ではないのだということを
   きみがまだ聞いたことがないのならぼくがはじめて教えてあげよう
   そのことをぼくはほかならぬきみのあとをおいかけているうちに
   ははあ、なるほどと教えてもらったのだから
   まずひとは神から派遣された調査員として生まれてくる
   おそらくぼくのこういった主張を
   常識を知ってしまったきみはうまく信じることができないだろう
   だからぼくは世間に先駆けてきみの耳に到着しなければならない
   きみの耳が
   嘘で
   でたらめで
   初めて聞いてもおもしろいところがすっかりなくて
   すれっからしのパンのみみみたいにかたくなで
   技巧に欠けていて
   誠実な志が見受けられなくて
   安くて丈夫で長持ちするから批判する根拠もないような
   そんな立派な常識に拍手してしまうまえに

   

   その証拠を陳述します

   

   「赤ん坊は泣きます
   ところがその泣きかたなのですが
   表情に着目しながら観察すべきなのです
   だから当然、赤ん坊の泣き声そのものには無頓着になります
   ひとによってはそれが人間的な配慮に欠けるという
   まとはずれな評価をする者もいますが考えてもみてください
   わたしたちがいま対象としているのは神の調査員なのです
   人間的な感情にわたしたちが埋没するのを赤ん坊はじっと待っているのです
   泣くのがわななんですから
   ですから泣いても泣いても知らん顔して
   赤ん坊がその瞳をぐるっと回すまで
   わたしたちも待たねばならないのです」

   

   (ひといきにコップ一杯の水)

   

   「ゆび、極端に根本だけがふくらんでいて急激に細まりながら
   すぐに爪によって完了されているゆびはたしかに赤ん坊のものです
   ほお、びっしりと繊毛がこびりついているために
   かぶりつくのがためらわれる桃のほおはたしかに赤ん坊のものです
   しかし瞳はちがいます
   世界を睥睨するようにゆるやかに移動させるあの眼球運動は
   わたしたち人間が行くことのできない高所の意識物のものです
   はじめてその運動を見てしまったときぼくは思わずひれ伏しました
   へへへぇい、そのような高貴なお方とはつゆ知らず
   餓鬼扱いの客扱い、泣けば泣け泣け、途方にくれろ
   どうせぼくらは親子じゃないかとたかをくくって失礼いたしました
   あなたのお生まれになったこの家の現状を手短に申し上げますと
   わたしが夫-父親の二役を担当しております川畑克行です
   あなたをいま腕のなかに抱いて懸命にあやしておるのが妻-母親の
   川畑美智子でございます
   わたしなどは、そのまあ、いまのところは発揮されておりませんが
   多少の信仰心はもちあわせておりますしなにか危急の用の際には
   ひとことお声をかけていただければそれはもう、はい、
   ただこれのほうはなにぶん愚妻でございまして
   論理が住処なものですから
   気のきかないところ、行き届かないところが
   キリマンジャロの根雪のようにあるとおもいますが
   そこはそれ、宗派がちがっていたらお許しください、
   摂取不捨の弥陀の心意気とやらの
   ありがたものでよきはからいを、と
   いまのところ月々のきまった収入もございまして
   貧困のあまりあなたを売って糊口をしのぐこともございません
   住宅はご覧の通り安普請ですが新築です
   あなたの泣き声がどれほどの大音響であろうとかまわないように
   二階の角部屋をえらんでおきました・・・・」

   

   (ふうっ)

   

   「そこまで報告して顔をあげてみると
   すでに赤ん坊は眠っており
   母親はそそくさと彼女の乳房を
   下着のなかへとしまいこんでいました
   幸福な親子関係というものが
   身体的な訪れをしたとでもいいだけな表情で
   ぼくを除くふたりの家庭生活者は現象していたのです
   おい、ちがうぞ、この赤ん坊はな、とぼくは
   いいかけた言葉をのみこみ
   赤ん坊の方を静かにうかがいました

   

   て・とわ、て・とわ、

   

   そうか黙っているべきなのだな
   そうしてぼくはともかく失礼のないように振る舞わなければ、な
   人間界のモニターとして観察されていることに
   意識過剰にならないように
   ぞんざいに扱って短気な神託を掘り起こしてしまわないように」

   

   神の調査員として赤ん坊は生まれてくるのだが
   しかしきみもしだいに人間じみてきてしまう
   その証拠としてふたたびぼくは泣き声における変化をあげよう
   最初きみは泣く器官として機能しているにすぎない
   あるいはまったくの眠る動物だ
   ぜんたい
   ぼくらが二十四時間の約三分の一を
   集中的に睡眠時間にするのに対し
   きみがあんなにも頻繁に眠り、また授乳されては眠り
   ぼくらの安定した生活方法を脅かすというのは
   きみの一日とぼくらの一日が
   まったくことなった期間であることを示す
   カレールーのような固形物だったのがぼくらの作用をうけて
   とろとろに溶かされてのばされて散文の気安さに染まってくる
   素焼きの笛のようなきみの泣き方には
   しゃくりあげるフェルマータや力みの節回しが加えられ
   人為的なアクセントの増加とともに
   ぼくらの仲間の嫌なそぶりがついてくる
   不機嫌と不満と不安のそれぞれがきみを泣かせ
   自分の身体不能性へのいらだちがふたたびきみを泣かせる
   これが授乳によって生命を維持しているころの爬虫類時代のことなのだ
   なにしろきみは口腔的存在とはまだ程遠く
   口唇という限定的な場所の狭隘さにも耐えなければならなかった
   中央を残して両端を上部に丸める舌のかたちは
   乳首をそのまま受け入れるのに適しており
   乳首をさがしもとめるときの舌の動きは
   ぼくが戯れとしてしばしば彼女にしかける熱心さとはちがって
   生存を賭けた揺るがしようのない運動だったのだ
   ぺろぺろ、ちろちろ
   とのぞく舌の赤さはもしきみの舌先がふたつにわかれているならば
   とうてい人間のものとはいいがたいものだった
   この時期がきみの爬虫類時代前期だとすれば
   後頭部とかかととで体重を支えて背をそらし、
   なんのかんしゃくをおこしているのかといぶかるぼくらをしりめに
   それが寝返りの前兆であったことをかるがると立証し、
   最初は左側に回転しては仰向けになり
   天井をみてはまた寝返りをしていたのが
   つぎには左右自在に寝返ることが可能となり、
   腹ばいになり、
   しかし腹ばいになったからといって
   そこから移動することができないために
   前腕と後ろ足でその場に身を起こし
   昼寝かに覚めたときなどはその姿勢で泣くものだから
   ぼくには膝をついて泣くその理由が
   屈辱にあるのではないかとさえ思われた
   前方への移動は四段階を経てはいはいへと達した
   まずは前進への意志を持ちながら
   寝返りを連続することでそれは行われた
   二段階目では両手を前に伸ばしたまま腹ばいになり
   バタ足を乱打することで視線と進行方向の一致は得られた
   三段階目では両肘を交互に繰り出すことで
   ほぼ前進の姿勢は獲得された
   あしうらのふくらみの部分を畳と摩擦させてはいはいを完成した
   この時期を爬虫類後期と呼ぶことができる

   

   今でもそうかもしれないけど
   この時期にぼくのきみへの関心は薄まり
   還俗した坊主をみるような忌々しさをもっていたのは本当のことだ
   せいぜい人間らしくなっていけばいいじゃあないですか
   きみはきみで生きていくしかないのだし
   ぼくときたら
   どうして自分の人生を隠遁することができようか
   自分の子供に期待するより確実なのは
   自分に賭けることのほかにはない
   さてさて問題なのは自分のどこに賭けるかということなのだが
   腕組みで思案をめぐらし
   横目できみのはいはいを見物していたわけなのだ
   だからやっぱりそうだよな
   ときどきぼくがきみをだいたりしたときにきみは
   緊張のあまり困った顔で笑顔をつくろうとしながらも
   それが自分で持続できないとわかると
   泣いて母親を求めたのだからな
   気まぐれな父親というものは処置に困るというのは
   ただ母親の主観的な意見ではなかったということなのだよ
   なぜそうなのだろうか、顕彰
   なぜぼくときみとは
   父親と愛息という言葉の最大許容量まで関係できないのだろうか
   きみはぼくにたいして人見知りをして遠ざけ
   ぼくはきみにたいして存在の固有性で武装する
   さすがにぼくもこれではいけないと決意した
   昭和六十一年一月二日なのだ
   和解が妥協の戦略であるかぎりぼくらは親しくなりそこなうだろう
   むしろぼくらは共通の困難を保持することで
   擬装した同胞感情を帯びよう
   ぼくらは母親抜きでおつきあいできなければならない
   変換式で示すならば
   父/夫---妻/母---赤ん坊
   この式から夫の部分を取り除いて
   父-------------赤ん坊
   このように直結されなければならないと感じたのだ、顕彰よ
   そういう訳だったのだ、ぼくらがふたりきりで外出するに至ったのは


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