▲見どころ、読みどころ▼

   (これまでのあらすじ)新年を迎えるにあたって、子供に対して関心をもたなかったことを反省した父親わたしは、ついに生後8ケ
   月の息子とふたりきりで外出することを決心した。いざ嵐渦巻く世界への冒険! と、心にはちまきをかたくしめた父親と新しい
   おしめをしめなおした息子はいよいよ魑魅魍魎の跳梁する松の内の俗世間へと船出していくのであった。いよおっ。
   さても普通の詩であるならここで終わるはずなのです。決意の美しさ、祈りの崇高さへと期せずして盛り上がったところで、エン
   ディングのアフォリズムがまたもや期せずして飛び出してきて、おおっ、なんということだ、これでまた地上にひとつ新しい詩が
   誕生してしまったぞと拍手喝采なのです。幕なのです。沈黙なのです。沈黙の深さを測るような拍手なのです。感動なのです。で
   すが、この詩はまだ続いてしまうわけなのです。やぼなのです。
   ここ中編ではいよいよ家を出発したふたりが、周囲の人々にどのような眼で見られ、昼寝からさめた子供がどのような反応を父親
   にもったかなどということが描かれています。まさに決意と現実処理の亀裂、地上に生きることの身体性の悲しみというものが深
   く読者の胸をうってやみません。さあさあ、みなさん、奇数の歯を持つ嬰児(中)の始まりだよぉ。では、どうぞ。


 



「奇数の歯を持つ嬰児(中)」



   紙おむつの交換分を一枚ごわごわ音をたてていれて
   哺乳瓶にはたっぷりのミルクをいれて冷めないように二重にくるむ
   カンガルーに変身するためのキャリーバッグをぼくの腹に装備して
   そうなのか、カンガルーは母性の代名詞だったのか
   「カンガルー日和」はじつは身ごもりたい彼女の
   無意識な心のフットワークを描いたものだったのか、
   春樹、春樹!
   そのなかにきみを繭ごもりさせるようにつっこんで
   肩からななめにカバンを掛けて道具類の準備はオーケー
   どこかおかしいところある、ない。
   ちょっとおかしく見えるかな、だいじょうぶよ、かっこいいわよ。
   ほんとだろうな、ほんとだってば、そんなに笑いながらいうなよ。
   これから長い長い旅にでるんだぞ、
   ああ、もうおれ、もどってこれないかもしれない、
   あなたはいいけど子供は連れて帰って来てね、
   わかった、やっぱりそんな女だ、いつから女になっちまったんだ、
   女性って結婚すると女になって、子供を産むと母になる
   いつまでも恋人のままで、愛し合うけだものどうしでいたかった
   あら、あなたが結婚してくれっていったんじゃなかったかしら、
   ふうん、なんかそんな気もする、
   たしかあなたが子供を産んでくれって頼んだんじゃなかったかしら、
   妙だな、へんにリアリティのある記憶のような気がする、
   ようしわかった、百歩譲ろう、かりにそんなことがあったとしても、
   だからなんだというのだ、
   あなたはそのままママになっちゃえ
   そうよ、ママよ、ねえけんしょうちゃん、
   きみを粗暴な父親から守るためにふだんははかせない靴下をはかせ
   ぼくのダウンジャケットのすそをひっぱる
   昭和六十一年一月二日、この日
   ぼくらはこれから出発するのだ、わが子よ
   なぜならぼくらは実の親子じゃないみたいだからだ
   ぼくらは冒険に向かうべき時を迎えたのだ
   いざ、この試練を神のお加護と感謝してこの室内を離れよう
   家の中に家族でいては親子の感じってでにくいもの
   母を置いて街に出よう、ぼくらはふたりで孤立しよう
   そうしてはじめてぼくらは親子を確立できるだろう
   家にいちゃだめなんだよ
   きみは母親の庇護の下、健康で衛生的な生活をしてる
   でもそれだけじゃだめなんだ
   もっとオープンハートを体得しなくちゃ
   困難をもっと喜ばなくちゃ

   ぼくがきみを初めて自分の子供なんだと感じたのは
   きみが母親と一緒に病院から退院してきてしばらく
   目と鼻の先にあるコンビニエンス・ストアまで
   二階から飛んだ方が早くいけそうなその店まで
   きみを抱いて連れていったその時だった
   空き地につながれて子犬は吠え
   陽はかたむいてすでにちからなく
   風がきみの髪を面白半分になでちらかしていく
   なんだか地上に住むだれもかれもが疲れきってて
   もうこの世をよくしてくれといいつのる元気さえないために
   ぼくらを見逃してあげてもいいといっているような夕方だった
   そのときなんだよな
   一緒に元気だしていこうぜベイビィって
   ぼくがキヨシローみたいにきみにささやいて
   きみのまだ短かった腕を大きく上にあげたのは
   わずかに道路を一本横切っただけで
   ぼくときみの間にも親子の帆柱が高々と掲げられたのだ
   なんという劇的で、なんという安易な親子愛なのだろうか
   なんという急変で、なんというポテンヒットの親子愛なにのだろうか
   愛は愛、あの素晴らしい愛をもう一度だよ
   あれからなにがどうなってぼくらはこんな仲になってしまったのか
   と悩むまでもなくそれはぼくの無関心のせいなのだ、ごめん
   ぼくはぜえええんぶ知っている

   きみを風呂にいれていたのは最初はぼくだった
   しかしぼくはだんだん飽きてきてしまったんだね
   他人事みたいでわるいけどさ、
   なんで飽きちゃったんだろうな、
   きっと思っていたほどきみがフラジャイルじゃないから
   拍子抜けしちゃったんじゃないかな
   で、
   ぼくはきみの母親であるぼくの妻に育児を一任した
   彼女はじつに頑張った
   ぼくの非協力的な態度に立腹しながらもよく頑張った
   この点できみの母親の功績はひじょうに大きい
   買い物も、
   洗濯も、
   炊事も、
   ぼくは一切手をつけなかった
   期待をすっかり裏切った
   なぜなら人間にとって出産が一大難事であるというのは
   文化的な概念であると思っていたからなのだ
   きみが知るか知らないかはぼくは知らないが
   彼女はひじょうに強い人である
   強いというのは文化的な概念から身体をほどいてやれるからだろう
   ぼくはそのように理解していたわけだ
   であるからには
   出産一大難事であるはずがない
   であるからには
   とうぜん翌日からでも通常業務をこなしていけるに違いない
   であるからには
   ぼくが面倒をみることもない
   であるからには
   きみは母親によって育てられても構わない
   であるからには
   ぼくは自分の関心事であるぼくのことにかまけよう
   このような論理のいきつくところに
   現在のぼくときみがいるのだから
   なにも悩むことはないんだよね、ぜーんぜん
   当然の結果なんだから
   これで実の親子であってたまるかってもんだよね
   だがもう実の親子になるべき時は来たのだ
   時は来たりぬ、いざなりめやも

   さて、どこへ行こうかと考えて
   最初の目的地は西武池袋百貨店で開催中の「イブ・クライン展」
   だが待てよ
   地下鉄東西線を葛西から飯田橋まで直通で行って
   乗り換えてさらにそこから有楽町線で池袋までいくのに
   きみがいちども泣かず
   きみがいちども目覚めず
   ぼくの顔を見て安心してまた眠りにおち
   うとうとと目覚めかけては
   地下鉄からみえる外の景色に魅せられて黙り込む
   麗しきかな、勇猛果敢なる父と従順する子なんて
   そんな美談がありうることかね
   いくらぼくが楽天的なその場主義だとはいえ無理です
   神さまが各駅ごとに見守ってくれると口約束してくれてもいやです
   枕木ごとに天使がねそべって
   緊急体勢をひいてくれなければできません
   だいいち地下鉄の窓からなにが見える
   あたりは真っ暗なんだもの
   なにも見えやしない
   せいぜいガラスに映った自分の表情くらいのものだろう
   それが赤ん坊にとってはたして心奪われるほど
   すてきなものだろうか
   そうだ、顕彰!
   そういえば千葉にむかえばあたりも見えるし
   船橋にも西武はある
   彫刻展を開催中だよ、顕彰
   よしそうだ、ぼくらは船橋へ行くべきなのだ
   そうときめたら
   出不精の母親をこのハイツアキの二階に見捨てて
   ぼくらはあるべきぼくらの関係を樹立しにいこう
   と、
   家を出てふたつめの交差点でもうきみは眠っていた
   幸先のいいスタートだとぼくはひそかに喜んだ
   切符を買って、電車に乗ってふと視線に感づくと
   ぼくらを包む思いもよらぬ乗客の理解
   人々がぼくらを慈しんでくれているじゃないか
   なにかかれらは間違っている
   見ろよ
   老母連れの男のひそやかに誇らしげな表情を
   あれはなにの表象なのか
   謎がとけたのは
   ぼくのまえに座った三人組の女の子のおかげだよ
   ぼくらはね、顕彰
   妻/母を亡くした親子だと解釈されているんだ
   うわあ、なんちゅうことじゃ
   正月早々、男が赤子をかついで電車に乗っているから
   かわいそうな赤ちゃん、かわいそうなだんなさん
   ママもいなくて、奥さんもなくて
   これからああしてふたりああして励ましあって生きていくのね
   てめえらぁ、勝手に誤解すんじゃねぇ
   きっとぼくらが座ってもたれている
   電車の窓枠を黒いリボンでかざっているんだぜ
   困ったことには
   ついついぼくもそういう気になって
   なんだか悲壮な感情でいっぱいになりそうなそのとき
   きみは突然目を覚ました
   目を覚ましてみるとそこにぼくがいたというわけなのだな
   つまり、通常ならばきみは
   天井や見慣れた毛布の柄や母親のセーターを見いだすはずが
   @密粗のまばらな黒々とした繁殖で覆われた突起物
   Aその上の赤味がかって開閉する膨らみ
   Bさらにそのうえの左右不均衡の隆起物
   C不吉なことに乳白色の背景を浮沈する放射状に色の薄まる球体
   つまり
   ぼくの顎から遡行して眼球にいたるまでを発見したんだな
   このとききみは異なる環境下で目覚め
   頼りとする母親からは隔離され
   なじみの薄い同居人の腹の上にくくりつけられているという
   三重苦にあえぐことになったのだな
   いまとなっては同情できるが、顕彰
   ぼくは使命感に燃えていたんだ
   もちろん自分の都合で見つけてきた崇高な使命なのだが
   きみの不機嫌がつけいる隙などはないんだ
   もう気持ちは組合団交なんだ
   電車がさっさとぼくらを西船橋でぼくらを下車させてしまうと
   ぼくは国電の乗り換えホームへとすみやかに移動したが
   きみはすでに恐怖と望郷の念に駆られている
   (いかん、体操だ、ここは体操でかわすしかない)
   ベンチをともかく確保しておいて
   はい、おいちに、おいちに
   けんしょうくぅん、でんしゃですよっ
   はい、おいちに、おいちに
   にっしふぅなですよ、けんしょうくん
   (背伸びをさせながら)よかったですねぇ
   ぱたっ、びぃぃぃい
   どうしたの、けんしょうくんっ
   けんしょっ、けんしょっと
   本数のすくねえ国電だなあ、なかなか来やしねえよ
   馬鹿野郎、じろじろ見んなよ
   子守歌の代わりなんだよ
   あとひとえっき、あっとひっとえっきでしゅうてんでぇす
   なぁ、けぇんしょっ
   がぁんばろなっ
   動きをやめると同時にきみは泣き出すので
   ぼくはホームをぶらつき始める
   すでに心は後悔の嵐が丘、なのであります
   途方に暮れる白露の、
   果てるともない難波津を、
   いずれをあやめのかきつばた、
   かこちがほなるわがなみだかな、
   葛西笠差し浦安を、
   跨いで南は行徳の、
   親の孝行せぬ孝行、
   いまさら悔やむもおこがまし、
   中庸知らずの行徳欠かし、
   見ればたんぼにからすやすずめ、
   原木へしおり中山越えて、
   牛でもつなげ西船橋、
   袖ふりあえぬ国電の、
   ヂャンクションにて船橋めざし、
   もしやもしやのもしかして、
   これは暴挙にあらざりしや、
   たばかり試練と申せども
   あまりになじみがなさすぎじゃんせ、
   だれが漕ぐのか助け船、
   だれが漕ぐのか帆掛け船、
   あとの祭りが待ちどおし、