うちの家族は3人メンバーなので、守備位置も打順も固定化 して過程が閉鎖的になってしまうのではないかと危ぶんだわた しは、できるだけ息子を下界の風に慣らすようにしました。息子は乗り物好きな年頃であり、用事もないのにバスで駅まで出かけて用事もないのに電車に乗り、用事がないので適当な駅で降り、用事がないのでバスに乗って帰ってくるということを休日のたびにやっておりました。しかも途中で買い食いもするので、なにも用事を果たしていないのに、バス代320円、電車代240円、シュクリーム代200円、と合計760円もかかってしまっていたのです。
 しかしいま考えてみると、下界の風に慣らすよりも人間関係の切り開き方を練習させておいたほうがよかったのでしょう。でももう遅い。でもそれはしかたがない。わたしが悪いのではない。はっきりいっておくけれどもね、あなた(息子のことです)はもとからそういう性格でした。この性格はよくないと思うようになったら、自分で直しなさいね。育ててもらった恩を忘れておれを恨むなよ。おれはおまえの(急に呼び方が変わる)養育費を全部レシートにして保管しておこうかと思ったが、あまりにもそれは狭量だとやめたほど心が狭いのだからな。ここで一句。せまい心、そんなに恨んでなにになる。それでも親かって。余計なお世話だ。では、どうぞ。

バスに乗って

さまざまな場所へでかけていくんだよ 
きみは見知らぬものを見るんだよ 
きみは自分の知らないものが 
たくさん作り出されていることを知るんだよ 
ぼくの休日はぼくらの遠出に充てられるんだよ 
ぼくらは 
《バスに乗って、電車に乗って 
きみが歩き疲れるとぼくは肩車してぼくの肩にきみを乗せるんだよ 
きみが肩車をせがんだときに 
ぼくが肩車していいのかなと聞き返すときみは 
《いいよう、いいよう 
と答えて
ぼくに背中を見せるんだよ 
肩車をすると 
きみがなにかを歌っているのがはっきりと聞こえるんだよ 
きみはいつも背中にリュックを背負っていて 
そのなかには紙オムツが幾折りか入っていて 
もしものときのお尻拭きも添えられているんだよ 
濡れティッシュみたいに封を切って使うんだよ 
階段を降りるときにきみは 
《パパとお手々をつなぐ 
というんだよ
ふたりで手をつないで階段を降りるんだよ 
きみはときどきぼくのことを
《ケンパパ 
と呼ぶので 
おれもこいつにはパパなんだよなと感じるんだよ 
さんざん自転車に乗せて回ってもやっぱりきみは 
《バスに乗って、電車に乗って 
と予定を変更しないんだよ 
ぼくは自転車をひとまずアパートの駐車場に置いて 
それからぼくらは出発するんだよ 
きみは大人がするようにしたいんだよ 
後払いのバス料金を払うために 
硬貨を握りしめたまま揺られているんだよ 
二人掛けのシートから移動して 
整理券発行のすぐうしろの独立シートに座りたがるんだよ 
バスに飽きると停留所に着くたびに 
《降りる、降りる と主張するんだよ 
ぼくらはいつも終点の駅まで行くんだよ 
きみが料金を払っても邪魔にならないように 
座席に座ったままで 
乗客の全員が降りてしまうまで待っているんだよ 
きみを抱きかかえて 
ぼくはきみを料金箱の上に運ぶんだよ 
きみはわずかに開いたその隙間に 
無事に落とさずにいたその硬貨を 
ぽとぽとっと種を蒔くときのようにていねいにこぼすんだよ 
バスから降りてぼくは 
今日も晴れていて気持ちいいですねと言うんだよ 
きみはそのうちのいくぶんかを反復するんだよ 
《今日もいい気持ちですね 
とか 
《今日も晴れてますね 
とかいうんだよ 
きみは切符を買うために昇る駅の階段を 
一歩ごとに利き足を上げる方法を採らずに 
もう交互に上げて速やかに通過しようとするんだよ 
のぼりきってから切符を買うまでのあいだに 
どこへ行くかをきめるんだよ 
きみを切符の自動販売機の上に乗せて 
ここを押せよとボタンを教えるんだよ 
押したあとで 
きみは振り向かないままでまず切符をぼくに渡し 
それからお釣りの硬貨をひとつずつてのひらに捕獲するんだよ 
硬貨を落とすと 
次回から自分の出番が略されてしまうので 
きみは失敗しないようにとてのひらを固くさせながら 
硬貨を拾い上げていくんだよ 
世界が割れそうなくらいに真剣なんだよ 
ぼくはきみがそうしているのを待っているんだよ 
ぼくはきみがそうしているのを 
きみの脇を抱えながら待っているんだよ 
ぼくはきみから手を離してもいいのだけれども 
支えていてほしいのできみは
《パパ、持つ 
とぼくに命令するんだよ 
ぼくは従うだけなんだよ 
きみはお釣りをぼくに渡すんだよ 
ぼくは切符をきみに渡すんだよ 
ぼくらは改札へと向かうんだよ 
大きな声でお願いしますと言えよとぼくが言うので 
きみは 
《お願いしまあす 
と切符を差し出しながら言うんだよ 
ぼくはその後ろからついていくんだよ 
ぼくらはもうこんなふうに何度も外出するんだよ 
あるときは美術館に行き 
きみはオブジェの一部の 
招き猫の頭を撫でてやるんだよ 
警備員の眼を盗みながら 
ぼくはこっそりそれを手伝うんだよ 
BGMに流れていた現代音楽を聴き止めて 
きみは 
《なんて言っているの 
とぼくに尋ねるんだよ 
ぼくはああ辛いね辛いねと言っているんだよと答えるんだよ 
きみが 
《お家、帰る 
とすぐに言い出すので 
ぼくらはほとんど駆け足で場内を一周してしまうんだよ 
ぼくらは 
《バスに乗って、電車に乗って 
帰宅するんだよ 
きみはケンママになにをしてきたのかと質問されても 
《バスに乗って、それから電車に乗って 
《顕彰が切符を買った 
といつもながらの定型の報告をするんだよ 
良かったねえとケンママも定型の相槌を打つんだよ 
ケンパパはそれからしばらく昼寝をするんだよ 
きみを寝かせつけようとして 
きみよりすばやく眠ってしまうんだよ 
ふと気付くときみの腹を枕にしていて 
あわてて妻から起こされることもあるんだよ 
きみの柔らかなおなかのうえで夢見てたりするんだよ 
ぼくはこんなふうにぼくの休日を過ごすんだよ 
ぼくらはこんなふうにぼくらの休日を過ごすんだよ 
今度の休日もこんなふうに過ごすんだよ 
《バスに乗って、電車に乗って 
《バスに乗って、電車に乗って




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