ushigome monogatari 牛込物語 |
黄色の電車を降りて改札への長い通路を抜けると、目を閉じて、深く息を吸った。 橋の下を、次の電車が音をたてて通り過ぎていく。 ここは、 かつて人知れず存在し、泡沫のように消え去っていったフォークデュオ『Lawyers 』の町だ。 外堀の水面をかすめて吹いてくる風の匂いが、戻ってきたのだという実感をあおり立ててゆく。 私はしばらくの間、立ち尽くしたままどうすることも出来ずにいた。 RAMRAの佇まいも昔と変わらず、なつかしさに胸が熱くなる。 というわけで、ここはひとつ小腹が空いたので寿司でもつまむことにする。 昔は寿司屋になど行けるはずもなく、オレもいつからそんなにエラくなったのだろうと思うが、 現在、彼奴はどこで、何をしているのだろう。 あの頃のまま、今もここにいるのではないか。そんなわずかな期待を胸に暖簾をくぐったのだが、 その起伏に乏しく青白い、シ○ブ中のような顔を見つけることは出来なかった。 |
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神楽坂下交差点 | 石立は今何処に… |
RAMRAを出て、駅前の坂を下っていくと、30秒も歩かないうちに外堀通りとの交差点に出る。 ここから北西に向かって伸びているのが神楽坂である。 区画上は早稲田通りの一部になっているのだが、そんな田舎臭い道のイメージとは一線を画した、由緒正しい、雅な趣を感じさせる坂だ。 かつて、この坂の入り口には石立鉄男の貸衣装屋があった。しかし、現在では不動産屋とモスバーガーに姿を変えており、往時の面影を残してはいない。 東京の他の街と同様、この坂も変遷は激しい。色街としてその名を天下に響かせた頃の名残を探すのは容易ではない。 今は学生の街である。そして、学生気質の変化とともにその姿を変えていく。 昔、 感傷気分で坂を上っていく。 坂の途中に新しい本屋やファミレスが出来ている。確かな時の流れが、戻ることの出来ない青春の日々を容赦なく塗り潰してゆく。 急勾配を上りきるとそこには、かつて花沢徳衛が神主をしていた神社がある。 花沢も、その友人で獣医を営んでいた中条静夫も、今は鬼籍に入った。 森川正太はどうしているだろう。秋野太作はごくたまに見ることもあるが…などと、さまざまな思いが胸をよぎってゆく。 |
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春の終わりの風が通り過ぎていく | 森川正太ももういない |
休日の神楽坂は人通りも少なく、たそがれ時はもの悲しい。 と、ゆっくり感傷に浸る間もなく、大久保通りとの交差点に出る。 大久保通りはかつて都電が走っていた道だが、最近下を都営地下鉄が通るようになり、 この交差点を左に折れると牛込神楽坂という駅が出来ている。 以前は新宿駅西口〜秋葉原駅間を都バスが結んでいて、歌舞伎町で飲んだくれる時も水道橋でオケラになるときもこのバスに乗った。 ここに暮らす人たちの生活も変わったことだろう。 |
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神楽坂上・大久保通り交差点 | ずっと坂を上っていく |
大久保通りを横切ると、スーパーや雑貨店が増えてくる。 あまりのなつかしさに足取りが緩くなる。 ゆるいアップダウンを繰り返しながら続く道を行けば、左手によく来ていたスーパーが現れる。 そこからさらに上っていくと東西線神楽坂駅の入口に辿り着く。ここがちょうど、坂の頂上になる。 駅のすぐ手前を右に曲がると赤城神社に出る。門前にはかつて、『ミュージックショップあかぎ』があったのだが、 時の流れはこの小さなレコード屋を残しておいてはくれなかった。 『あかぎ』のスタンプを貯めたカードが今も引き出しの奥に眠っていて、いつか使いたいと思っているうちに、 永遠にその機会を逸してしまったと思うと、さみしいような損したような、何とも悲しい気分になった。 |
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よくきたスーパー | かつて「あかぎ」があった |
夕闇が迫ってくる。 地下鉄の入り口を過ぎると急に店が減り、人通りもまばらになる。 行きつけのレンタルビデオ屋があったのだが、なんかよくわからん店になっていた。 いきなり現れる消防署を横目に、早稲田に向かってなだらかに下ってゆく。 いつも立ち読みをしていた本屋がある。その横には、見慣れないマクドが出来ていた。 しかし、何かもの悲しいような、さびれた風情は昔と変わらない。 牛込中央通りとの三叉路を左に折れる。新潮社の古く大きな建物が現れる。しかし他には何もない。 この虚無感が確かに青春そのものだったと、今さらながらに思い知らされる。 |
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レンタルビデオ屋跡 | 夕闇が迫ってくる |
立ち読み本屋 | 牛込中央通り |
タクシーばかりが頻繁に通る何もない道の、狭い歩道を外堀に向かって下っていく。 再び大久保通りが見えてくる。牛込北町の交差点である。 周囲にはモスバーガー、旺文社など、インディー系の有名会社が点在している。 ここが この角には、昔から変わらないままセブンイレブンがある。 酒、インスタントラーメン、東京スポーツ、避○用品…、全てをここで調達していた時代があった。 なつかしい限りだが、セブンイレブンはどこでも大して変わらないので、立ち寄らず先を急ぐ。 |
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新潮社付近。何もない | 牛込北町交差点を望む |
牛込北町。Lawyers の町 | セブン・イレブン |
余談だが、牛込とはその名の通り、江戸時代にこの周辺で牛を飼っていたことに由来するという。 ということで、大田区の馬込では昔、馬を飼っていたと思われる。 馬込は同じ大田区内の大井競馬場にその名残を辛うじてとどめているが、牛込は焼肉屋が多いわけでもなく、 往時の面影は全くない。 |
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大久保通りを西へ行く | 角の酒屋はローソンに |
弁当屋は当時のまま | Backstreets of Tokyo |
大久保通りを西に向かって歩いていく。 NTTの巨大な残骸を過ぎ、ひとつめの信号を左に折れる。 この角にある弁当屋の、オレンジの看板は昔から変わらない。 細い路地を歩いていく。八百屋がある。日曜日で店を開けていないが、今なお生き残っていることを嬉しく思う。 このままいつまでも残っていてほしいと願いつつ、歩を進める。 次の角を右に曲がると床屋がある。 ここまで来ると すぐ左に折れると高級洋食店『キッチンレンガ』がある。ここで、どれだけの時間を過ごしたことだろう。 揚げ物の多いこの洋食屋のスポーツ新聞はいつもベタベタしていたことをなつかしく思い出す。 |
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江戸の残り香漂う八百屋 | 江戸の残り香漂う床屋 |
Lawyers の道が続く | 食の殿堂・キッチンレンガ |
そしてこの路地の先に、かつての 昔からボコボコだったが、現在でも辛うじてその姿をとどめており、当時の部屋にも誰かが居住しているようであった。 地震でも来たらひとたまりもないであろうこのビルの住人に、幸多からん事をと祈る。 近くに中学校があり、その壁沿いに3年間ずっとVTZを路駐していた。 まだ平和な時代だった。 |
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Lawyers Office | VTZも今は無い |
陽が沈んでしまう。 昼の汗ばむような陽気が嘘のように涼しくなる。 湯気が噴き出すラーメンどんぶりのセコいオブジェがあった中華屋の前を通る。 看板は健在だったが店休日で、電気が入っていなかった。 再び牛込中央通りに出て、薄紫のたそがれの中を外堀方面へと歩いていく。 クリーニング屋、怪しい和菓子屋、ガソリンスタンド…。昔のままの風景が続く。 せまい歩道の歩きにくさになつかしさを感じる。が、歩きにくいものは歩きにくいのであまり楽しくない。 薄闇の中、幽霊ビルのような法政大学62年館の前の道を左に曲がる。 せまい石段の道を曲がりくねって外堀通りに出る。 この角には昔『ルノアール』があって、よく群れたが今はない。 熱病に冒されていたような、幻想のような日々の思い出が駆け巡っていく。 切ない。 |
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納戸町の佇まい | 牛込中央通りを行くさえない男(出演・イジリー坂本) |
法政大学62年館 | 思い出の坂道を下りてゆく |
夜の新見附 | ルノアールがあった |
どっぷりと日は暮れてしまったが、中村雅俊と田中健が「俺たちの旅」第1話で語り合った 新見附の橋を一口坂方面に向かって上っていく。 外堀公園の公衆便所は改築されてしまい、往時の不潔感溢れる面影をとどめていなかった。 野蛮さと下賎さが売りだったプロレタリアートたちの学窓・法政も巨大なビルになってしまい、 実に嘆かわしい限りである。 下を行く電車の音が昔日の熱い心を呼び起こすかのように、つかの間の静寂を破っていく。 梅雨時には毛虫が降り注ぐ桜並木の下を、とぼとぼと歩いていく。 と、再び飯田橋の駅に戻ってきて、あっけなく牛込の旅は終わりを迎えるのである。 ここからは再び神楽坂に戻るもよし、 Lawyers に縁の深い四谷のしんみち通りや巣鴨駅前でひっかけるもよし、小遣い次第では歌舞伎町にあそぶもよし…と、思い思いの方法で疲れを癒していただければそれに越したことはありません。 この拙文が、皆様が牛込を訪問される際に何らかのご参考になれば幸甚の至りです。 |
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