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ここは楽園 T's Island







<小説>
“南からの碧い風” ―The blue southern wind from “Stone Hedge Island”―

  1.バー“ノー・フォーク”
ツカサはファイヤ・フライ・ストリートにあるバー“ノー・フォーク”の重いドアを開けた。
蝶つがいの軋む音がした。
中に入ると左手に木製のカウンター、右にボックス席があり、うす暗かった。
天井は配管がむきだしで奥の両隅にJBLのスピーカーが据え付けてあった。
カウンターの中にはオーナーらしいバーテンダーがいて、まだ若く30前後だと思われた。
カウンター席の左の端に若い女が座っていてウイスキィーをロックで飲んでいた。
ツカサはそのうしろを通り、いちばん右の端に席をとった。
バーテンダーが熱いおしぼりをくれた。
「メニューはありますか?」と聞くと、
「これです」と生真面目そうな表情でカウンターに並べてあるボトルを指差した。
ボトルはスコッチのシングルモルト。わかるのはハイランドパーク、アードベック、ラフロイグ、マッカラン、
ボウモアなどで他に飲んだことの無いのがたくさん並べてあった。
暗いカウンターの奥には空になったスコッチの空き瓶やパッケージが累々と積まれている。
おもしろい店だなと思った。
ツカサは今日の気分で“マッカラン”の12年をロックで注文した。
バーテンダーは左の掌にキューブ形の氷をもちアイス・ピックで球形に削っていく。
球形といってもボール状ではなく宝石の原石を荒くカットしたような状態になる。
それを大きめのグラスに入れてウィスキーをそそぐと浮いて少し廻り、琥珀色を映して薄暗い照明に輝いた。
それは殆どストレートに近いと思われた。
ツカサはゆっくりと飲みながら周りをみわたした。
建築や内装のデザインを見るのが好きだった。
居酒屋で飲んだあとのバーなのでそんなに飲むつもりもなかった。
スローなジャズが流れ落ち着いた。
コルネットのミュートされた演奏で“マイルス・デービス”かなと思った。
今夜の終わりにふさわしい店だ。
左の端で飲んでいた女が席を立ち奥のトイレに入った。
戻ってくるとツカサの隣に一つ席を空けて座った。
少し酔っているらしかった。
長い黒髪が艶やかで肌が白く細身ながらグラマラスな体だと思った。
裾の長い服はシンプルだが清潔でセンスがよかった。
ツカサはそれを見て“アーミッシュ”の風俗を思い起こした。
「おひとりですか?」
前を向いて飲んでいるツカサに女が話しかけてきた。
「そうです、つれはいません。いつも一人ですよ」にこやかに答えた。
「失礼ですけど一杯おごらせてください」
ツカサはあわてて、「とんでもない、僕のほうからおごらせてください」と返した。
彼女は低い声で笑った。
「ありがとうございます。すみません。」
「じゃあ“ポートエレン”の19年を」女はカウンターの中に声をかけた。
バーテンダーは「はいかしこまりました」と言ってつくりはじめた。
やはり大きめのグラスにカットされた氷を浮かべたロックが出てきた。
グラスのデザインが違った。
ツカサもおかわりに“ハイランドパーク”の15年を注文した。
そろったところでお互いにグラスを合わせた。
「カチリ」と鳴ったその音は「聞き覚えがある」とツカサは思った。
「いつもお一人ですか?」
「だいたいそうですね。夜中に女が一人でうろつくのも異常ですけど」女はまた低く笑った。
体つきからか、仕草からか、自然な色気が漂う。
細く引き締まった体に胸と尻が相反するように突出していて、フィジーのクラフト・ショップで見た木彫り人形を思わせた。
「好きなウィスキーは何ですか?」
「アイラモルトのラフロイグですね。ピートの香りが少し入っていて煙くさい、癖になる味ですよ」微笑んで言って前にく
る長い髪を後ろに払った。
「何か不思議な人だなあ」
「ウィスキーを飲む女だから?」
「いえ、昔から知っているような・・・」
「もしかしたら私も・・・」女のくちもとがしずかに広がった。
女は名前を“ユミ”と言った。
「お仕事はどんな?」遠慮がちにユミが聞いた。
「あまり人には言わないことにしているんですが、あなたには特別です」ツカサは微笑みながら言った。
「そうですねえー、写真です。去年からフリーになりましたが思うように仕事がまわってきません」それとなくつぶやいた。
「いいお仕事ですね。わたし写真好きです。海がいいなあ」夢見るような目でつぶやいた。

こういう店では長居はしない。一二杯飲んだら出るのが習慣だ。
ツカサはチェックを頼んだ。
バーテンダーが紙切れをくれた。
<7900yen>
「そうだね」ツカサはひとりごとを言った。
女に手をあげてあいさつし重いドアを開けた。
オーナーが「いってらっしゃいませ」と背中に声をかけた。
外に出ると初冬の風が刺すようで、スーツだけでは少し震えた。
ツカサはファイヤ・フライ・ストリートから程近いコーム・フィールド・タウンのホテルに向かった。
街灯のない道を歩いていると、後ろからコツコツとヒールの音が追いかけてきた。
振り向くとさっきの女で、
「すみません追いかけちゃって。今日が初めてじゃないような気がして。私寒いんです。」
コートをはおっていた。
「家に帰らなくていいの?心配する人はいない?」
「ええ、一人住まいですから」少してれるように言った。
「僕も今日が初めてじゃないような気がしてたんだ。くる?」
「ええ」女が低い声で答えた。
「私酔うと男を誘いたくなるんです」歩きながら明るく笑った。
「それは危険だね。自分を大事にしなきゃ。でも僕は大丈夫」二人大笑いした。
「すぐそこのホテルに部屋をとってある。一度部屋に荷物を置いて出てきたんだ」
「それはかしこい」
二人はホテルの階段をのぼりフロントで鍵をうけとるとエレベーターにのり5階に上がった。
部屋に入り灯りをつけたときにはもうすっかりうちとけた気分だった。

バスタブにお湯がたまるまでの間ビールで飲み直すことにした。
「わたし不倫しているんです」突然ユミはそう言った。
「どうしてそんなことを僕に?」
「わかりません。でも聞いてくれるような気がして」
「うん、いいよ。話して」
「会社にたまに来る関連の人なんですけど、いつか飲んだときに私が誘って、それ以来時々会うようになって」
「奥さんと子供が一人いるんですけど」
「よくある話だね」
「彼は私を好きだと言ってくれるんですけど・・・」
「そう」
「好きだと言ってくれただけでも嬉しいんですけど」
「好きなんだね、彼を」
「あきらめきれないんです。へたに会うと血の涙がにじむ・・・」
「エッ、尋常じゃない」
「冗談ですよ!でも遊び好きの男という評判なんです」くったくなく笑った。
「どうしてそういう男と?」
「私も遊びだから」ユミはビールをいっきにのみほした。
「真面目に相手を探そうと思わないの?」
「そういう関係は好きじゃない。面倒だから。その場限りの関係でいいと思う」
「そう」
「結婚はしないつもりだし」
「それはさみしいねえ」
二人で風呂に入り体を洗いあった。
マスカットのような乳房と深くきれこんだ尻が素敵だった。
先にベッドに入ったユミは背中を向けて眠りについたようだった。
そういえば昨日は徹夜したと言っていた。
ツカサは後ろから肩を抱き、体をくっつけて添い寝した。
薄いパジャマの下には何もつけてなく、体の線がつたわり暖かかった。
ユミを、せつない女だと、そう思った。

2.ライスフィールド・シティ
「今度家に来ないか?(*^▽^*)」ツカサはメールを送った。
「来週の日曜日ならいいですよ(・_・)/」いい返事だった。
二人で行きつけのスーパー・マーケットに行き、若鶏の心臓と中葱それに春菊を買った。
この店のテナントの鶏肉は新鮮で、レバーも刺身用で出されていた。
年明けのライスフィールド・シティは小春日和でなんだかのんびりしていた。
ロード・スターの助手席に乗ったユミはいつになく楽しそうだった。
こんなユミをはじめて見た。ツカサはそう思った。
台所に並んで立つと体温を感じた。
「まず土鍋に水を入れて、昆布で出汁をとりまーす」
「水はどれくらい?」
「てきとー」ツカサが答えると、ユミがまた笑った。
「こんなに明るい子だったんだ」ツカサは思った。
「つぎに鶏の心臓を入れて」
「このままいいの?」
「いいよ。大丈夫」
「てきとー」ユミが真似をした。そしてまた笑った。
「鶏の臭みを消すのと、スープに旨みを出すために、日本酒をたっぷり」ツカサがふざけて言った。
「えー、わたし日本酒よわーいのよ」ユミが泣きそうな顔を作った。
「じょーだーん」ツカサが笑って返した。
「で、うすくち醤油をてきりょうー」
「うわー、おいしー」味見したユミの顔がほころんだ。
「だろー」ツカサも嬉しかった。
台所にはあたたかい鍋の香りが漂った。
こんなひと時が持てるなんて、去年まで想像できなかった。
ツカサは「今、しあわせ」だと思った。
食事も終わり、二階のリビングでスコッチを飲んだ。
BGMにはボサノバを流した。
ツカサは10本ほど買い置きしたスコッチのなかからユミの好きな“ラフロイグ”を選んだ。
ユミのシャンプーが香った。
ツカサはユミの肩をひきよせやわらかいくちびると鼻のあたまにキスをした。
ユミを心から愛しいと思った。
そしてこの夜二人は初めて体をかさねた。

3.訪問者
ユミがオフィスでいつものようにパソコンのキーボードをたたいていると
「ユミー!お客さんよ」同僚の女の子から声をかけられた。
応接室へ行くと知らない女がソファで待っていた。
年のころ30前後で独身の女の格好ではなかった。
「失礼します。どういうご用件でしょうか?」ユミが低い声で尋ねた。
「カワムラをご存知ですね?」
ユミは背中に一瞬寒気が走り、そのあと体が熱くなるのがわかった。
「カワムラの妻です。用件はおわかりですね」
ユミはうなずいた。
「別れてください」腹のそこからふりぼるように震える声がしんとした部屋に響いた。
女の目は赤く濡れていた。
「家庭を壊さないでください。小学生の子供がいるんです」
「夫婦は冷めても子供のために頑張っているんです」
女の声はますます苦しそうに、涙をともなってしぼりだされた。
「家族のためにせっぱつまってここへ来たんだ」ユミはそう思った。
ユミは何も言えなかった。顔が熱かった。色白の顔が紅潮しているにちがいないと思った。
しばらく重苦しい沈黙が流れた。
空気を裂くようにユミがきりだした。
「どうして私のことがわかったんですか?」低い声で尋ねた。
「夫の携帯電話のメールを見たんです・・・。電話帳にも登録してあったし。バカですよね」きえいるような力ない声だった。
「わかりました」ユミはきっぱり言った。

4.ストーン・ヘッジ・アイランド
「ユミー!大丈夫か?無理しちゃだめだよー」台風が近づく船の上で重いダイビングボンベを両手に運ぶユミをヤスハルは気遣った。
「ええ大丈夫です。ありがとう」
海は青くうねりはじめていた。
ユミが会社を辞め、ここストーン・ヘッジ・アイランドに来てもう一年ちかくになる。
ダイビングショップを経営するヤスハルと出会い、店の手伝いをするようになった。
カワムラと別れる前、妊娠していることに気づいたが黙って彼の前から姿を消すことにした。
ツカサとはその後もメールのやり取りをしていたが、アドレスを変えた。
人生に少し疲れ、知らないところへ行きたかった。
たどりついたのが常夏の島ストーン・ヘッジ・アイランドだった。
ユミはもともと潜りが好きで、故郷のフロート・フェザー・シティでは子供のころから山間の渓流に潜ってヤマメを鉾で突き川原
で焼いて食べたりして遊んだものだ。
ユミの顔は開放感に満ちていた。
そして「この子を産むのだ」という目標を得ていた。
あのロングステイ・シティにいたころとは違って生きる方向を見出し、同時に自由も手に入れた気持ちだった。

5.すれちがい
ストーン・ヘッジ・アイランドの空港に着いたのはもう午後の2時だった。
ツカサは重い撮影器材とスーツケースを持ったままストーン・ヘッジ・ポートのバス停でシャトルバスを降り、
近くのレストラン“ハナハナ”に入った。
その店は二階にあり窓に向いた席からは港が見渡せた。
出てゆくフェリー、帰ってくる漁船、「グルルルルルー」というエンジンの音が絶えず、「ファーン」という警笛がときおりひびきわたった。
しかし店の中にはそれらは静かに入りこみ心地よく聞こえた。
BGMに“サザン・バンド”の曲がずっと流れていた。
女がメニューを持ってきた。
カウンターの奥では赤ちゃんが乳母車の中で泣いていた。
ツカサはサングラスをかけたままビールと“島のパスタ”を注文した。
「いい気分だ」海、バラード、ビール、好きなものがそろっている。
この島は4回目だ、と思った。
いつも一人旅だが、前回は子供と来た。
「6年前か」
「楽しかった」
ロード・スターをレンタルして島を一周した。
オープン・エアがここちよかった。
いい旅だった。
彼女も喜びはしゃいでいた。
親子で旅をするのも、あれが最後だったのかもしれない。
“島のパスタ”はうみぶどう、しゃこがい、ゴーヤーなどをつかっていておいしかった。
ビールとのとりあわせがよかった。
今回は雑誌“アバンティ”の取材で、“南の島の風化に耐えた町”というのがテーマだった。
ここ10年ぐらい都会からの移住者が増え、センスのよい新しい店はたいていそうした人たちが経営していた。
何度か訪れ気に入っていたツカサは、原稿の依頼があるとすぐにこの島に行くことを決めた。

店を出てスーツケースを引きながら歩いてホテルへ向かった。
信号待ちをしていると町中からハーバー方向に右折していく白のワゴン車があった。
運転席の女を見て、「ユミ?」ツカサはどきりとした。そして胸の中で何かがキューンと吸い込まれた。
目で追うとすぐに次の交差点を曲がり見えなくなった。
「あれはユミじゃないか?」
「でもこんな島にいるだろうか?」
「わたしジャック・マイヨールみたいな生き方がしたいわ」そうつぶやいたことがあったのを思い出した。
ツカサの前から何も告げずに姿を消してからおよそ3年が経っていた。
メールもアドレスを変えたらしく、最後に送信した時「メールアドレスが不正です」というメッセージが返ってきた。

6.10年後
ツカサはひさしぶりにファイヤ・フライ・ストリートのバー“ノー・フォーク”の重いドアをあけた。
カウンターの奥の席に女がいた。
「ユミ!」
ひと目でわかった。
あの長く艶やかな黒い髪、木彫り人形のような体。

「いつまでもストーン・ヘッジにいるわけにもいかないから、10年できりつけてこっちに帰ってきたの」てれたように言った。
昔の色白のユミではなかった。
小麦色に日焼けし、体も筋肉質になっていた。
ツカサは50代になりところどころ白いものが見えた。
小皺も増え特に額のそれは隠せなかった。
「元気そうでなによりだよ」ツカサは目が潤んでくるのがわかった。
「この店にきたら会えるような気がして。ごめんなさい、突然消えたりして。どうしたの?泣いてるみたい」ユミが低い声で言った。
「うん。いいや」それでも涙が頬をつたった。
「奥さんいるんでしょ。もう子供もおおきくなってて・・・・」ユミが茶化すように言った。
「いや、君の気が変わったときに相手できないとわるいと思って」
「えっ!じゃああれから10年もひとりでいたの?」ユミの声が震えた。
「うん。まあそういうことだ」
ユミは胸の中が熱くなるのを覚えた。
バカな男にうつつをぬかし、子供までつくって行方をくらましていたのに。
待っていてくれた。
ただ、ひっそりと待っていてくれた。
いつ帰ってくるかもわからないのに。
帰ってこないかもしれないのに。
ユミはツカサの腕を抱きしめ、あたまをすりつけて嗚咽した。
「大丈夫だよ」ユミのあたまを撫でながらツカサは微笑んだ。
ユミの目から次々と涙があふれてきてとまらなかった。
「10年も私なんかを・・・待ってて・・・くれたの?」声にならない言葉をユミは吐いた。
嗚咽が静かなジャズのメロディにとけていった。
「わたしバカみたい!」顔をくしゃくしゃにしていた。素直な女の顔だった。
「わたしどうしたらいいの?バカな男の子供までいるのよ!」
「いいんだよそのままで。ありのままのユミが大好きなんだ」
ツカサはユミのあたまを抱きしめた。

7.チヒロ
「チヒロー!」
「ここをめがけて投げるんだ」ツカサはグラブを胸に構えた。
「うまくなげれないよー」とんでもない方角にボールが行った。
ひとえまぶたの賢そうな男の子だ。
後ろで見ていたユミがそのボールをひろってツカサに投げ返した。
「あー、ごめーん」ユミのボールもそれ、ツカサの頭上をこえてチヒロのところまでころがった。
「なーにやってんだよー」
三人は笑い転げ、草の上にすわりこんだ。
すこし汗ばむ陽気で冷たい風がここちよかった。
「チヒロー!筋がいいぞ」ツカサが褒めた。
「スジっておでんの?」
また大笑いになった。
ユミは苦しそうに腹をおさえ涙を流して笑った。

長かった冬が終わり、イースト・リバーの川原にもようやく春が訪れていた。

終わり

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