「残念石」
両横に鎮座している
この石は元和6年(1620年)から始まる大阪城修復の時 天領小豆島(香川県)で割られたまま、用材石としての念願かなわず、いまなお数多く残されていることから「残念石」と呼ばれいる。
この大きな石は、筑前黒田長政の石切丁場でみつかり、小さな石は豊前細川忠興の手になるものである。
これらの石を、小豆島青年会議所が創立十周年記念事業として、「島は一つ」の社会活動の実践に、大阪青年会議所は商都大阪の復権を願い、「なにわの知恵」の再考にと、両会議所が共同事業として当時を再現し、小豆島頼子の地に運び据えたものである。
昭和56年7月19日
(社)大阪青年会議所
(社)小豆島青年会議所
|
|
|