東人の出戻り浜生活
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諸国点描
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奈良
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奈良(2)
薬師寺
近鉄橿原線に「西の京」という駅があり、薬師寺が見えた。
奈良まで出張した時に、少し早く移動して「西の京」から薬師寺に出かけた。
薬師寺を訪問するのは、中学の修学旅行以来であった。
当時の記憶と大分違っていた。
昔は薬師寺といえば東塔のみが建っていたと記憶しているが、西塔ができていた。
薬師如来像も、もっと小さな建物に入っていた記憶があるが、立派な金堂に安置されている。
昭和51年に(1976)金堂、昭和56年(1981)には西塔、そして平成15年(2003)には大講堂が復興されていた。
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歴史の道
薬師寺を出て「歴史の道」という案内板を見ると唐招提寺も近くにあるようなので行ってみた。
修学旅行の頃はバスで色々な寺を回ったが、その位置関係などは意識していなかった。
薬師寺と唐招提寺がこんな近かったとは知らなかった。
唐招提寺までの道の脇には古い土壁の残る風情のある道であった。
唐招提寺に到着したが、時間が遅く拝観時間は終わっていた。
入り口だけ見て、「歴史の道」の案内板を頼りに先に歩いていった。
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垂仁天皇陵
「歴史の道」をさらに進むと、前方後円墳が見えてきた。
この古墳は近鉄橿原線の車窓からも見えて気になっていたものであったが、近づいて見ても大きく感じた。
これが垂仁天皇陵で、全長 227 m の大きさとのこと。
最大の古墳である仁徳天皇陵は 486 m ということで、古墳の大きさとしては垂仁天皇陵は21番目にあたるものらしい。
堀の中の小島は田道間守の墓と伝えられているとのこと。
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天神堀
住宅地の中に池があり、「菅原天満宮遺跡天神堀」という立て札が立っていた。
菅原天満宮遺跡天神堀
この池は菅原院の一部にして相伝菅神の遺跡であり、古くから菅原道真公の産湯の池と伝えられております。
島の中にある碑には、星霜年を経て古くなり、神の盛なるを託し、その祖先を敬うことにより徳を裁き、荒れた岸に石垣を積もうとしたところ、その趣旨は四方に伝わり瞬く間に完成した。
神徳は、月日が下界を照らすようなもので敬わない人はいないだろう。神をたたえ、碑を立て記念する
慶応3年11月
平成8年6月改修
この辺りから、「歴史の道」の案内標識を見失ってしまった。
西大寺方面に向かって歩いていった。
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西大寺
西大寺に辿り着いた。
やや地味なお寺という印象を受けた。
当初は110もの堂宇が立ち並んでいたという。
現在は周囲を市街地で囲まれている。かつての境内も市街化したのだろう。
近鉄の電車は西大寺駅から東に分岐して近鉄奈良駅につながるが、その途中に広大な平城京跡が見える。
近鉄奈良駅は、奈良公園の近くにあり、東大寺なども近い。
平城京を中心として東に東大寺、西に西大寺という配置になっている。
現在の西大寺は、何度か火災で焼失した後に江戸時代に再建されたものとのこと。
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