710(和銅3)年、飛鳥に近い藤原京から、奈良盆地北部のこの地に都が移された。
大路小路が碁盤目状に通る平城京の人口は、10万人とも20万人ともいわれている。 平城京の中央北端に位置する平城宮は南北約1km、東西約1.3kmの大きさで、天皇の住まいである内裏、政治や儀式をとりおこなう宮殿、さまざまな役所、宴会の場となる庭園などが設けられていた。
しかし、都は784(延暦3)年に長岡京へ、さらにその10年後には平安京へと移り、平城京も宮もしだいに土の中に埋もれていった。
現在、平城宮跡は国の特別史跡として大切に保存され、奈良国立文化財研究所が発掘調査を続けている。
これまでの調査の結果、平城宮は四角形ではなく東側に張出し部をともなっていたことや、政治の中心施設である大極殿と朝堂院の区画が東西2ヶ所あったことなどが明らかになっている。
こうした成果にもとづき、遺跡の復原・表示をおこなっている。
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