東人の出戻り浜生活諸国点描鹿児島鹿児島(1)

弥五郎どん

   
 鹿児島県曽於市大隅町に「おおすみ弥五郎伝説の里」という道の駅があり、高台の上に大きな銅像が建っている。
 
 大隅町の中では、これより小さい弥五郎どんの人形や弥五郎どんをデザインした街灯も見かけた。

弥五郎どんって何者?

 
 一説には、300歳の長寿を誇り、6代の天皇に仕えた竹内宿弥か、隼人族の首領ではないかと言われています。
 
 この銅像は、地域おこしのシンボルとして弥五郎どんを永く後世に伝え、祭りと弥五郎どんの伝説を多くの人々に広く知ってもらおうと建立いたしました
 
    銅像は、高さ15m 重さ39t
         太刀9m、 小刀7m  です。
 
1996年2月 建立
     
 

 「弥五郎どんスペイン遠征」という碑文があったが、この像は1996年の建立であり、1992年にスペインの巨人博にどのような「弥五郎どん」が参加したのかはわからない。


碑文
 
弥五郎どんスペイン遠征

 (史実)
 弥五郎どんは1992年7月、スペインのマタデペラで行われた「AMICS DELS GEGANTS(巨人博)」に出展を果たした。
 しかし、商工会青年部がこの事業を実現するにあたって、資金の目処がつかず、一時断念をせざる得なかった。
 だが、地元メディアに取り上げられた事により、県内外からの多数の人々に多額の支援金を受け、出展することができた。
 この記念碑は、その県内外多数の人々からいただいた浄財を財源とし、皆さんの「心」を「形」として、また、郷土の誇りである弥五郎どんが海を渡った事実を広く後世に伝えるために、ここ「弥五郎伝説の里」に建立するものである。
 
1996年(平成8年)11月吉日
大隅町商工会青年部
 大理石施工 西村石材店
 
→戻る
  

桜島の溶岩原

 
 桜島は大隅半島と陸続きになっているが、これは大正3年の噴火時に大量の溶岩が流出して陸までつながったものとのこと。
 道路の周囲はゴツゴツとした溶岩で形成されていた。
 
 これだけの量の溶岩が海まで流れ込んだ時の光景は凄まじいものであったろう。
 

桜島

 桜島は、周囲52km、面積80km2、高さ1,117mの活火山で、その面積の約85%は、霧島屋久国立公園に指定されています。また、この島は、鹿児島市と桜島町の一市一町からなり、現在、約7,000人の人々が住んでいます。
 桜島は、現在も活動を続けている世界有数の複合成層火山であり、日本の四大活火山(三原山・浅間山・阿蘇山・桜島)の中でも、そのエネルギーは最大であろうといわれています。
 ことに、文明(1476年)、安永(1779年)、大正(1914年)、昭和(1946年)の大爆発は記録的なもので、その時に流出した溶岩原が各地で見られます。
 特に、大正3年(1914年)の噴火では、30億トンもの溶岩を1カ月以上にもわたり流出し、8つの部落を埋めたうえ、東側では幅約400メートル、深さ約70メートルの海峡を埋めて大隅半島と陸続きにしましたが、ここら一帯の溶岩原はそのときにできたものです。
 
 
 ここで、「鹿児島市と桜島町の一市一町からなり」と記されているが、桜島町は2004年11月1日に鹿児島市に編入されている。
 
→戻る
  

桜島国際火山砂防センター

   
 桜島の中に「桜島国際火山砂防センター」という立派な施設が設けられていた。
 土石流や砂防について学べる展示館で、3Dで土石流の驚異を体感する「桜島土石流シミュレータ」などがあり、九州南部のシラス台地を造った火山の大爆発のことなどが説明されていた。。
 
 入場無料で、各種の立派なパンフレットも自由に持っていける。
 
 入場者は少なく、贅沢な施設のようにも感じるが、災害時には避難所としても機能するように造られているとのこと。

→戻る
  

桜島フェリー

   
 桜島と鹿児島市の間はフェリーが交通手段である。
 桜島からフェリーに乗ったが、このフェリーの入口は、高速道路の料金所のようになっていて、料金を払うとそのまま乗船できる。
 
 これまで、四国のフェリーを幾つか利用したが、乗船場で並んで駐車して、その間にチケットを購入していた。
 
 桜島フェリーは10〜15分間隔で出ているようで、待つこともなく乗船できる。

→戻る