太宰治の植えた夾竹桃
この夾竹桃は、太宰治(明治42年〜昭和23年)が、昭和10年夏から昭和11年秋にかけて、千葉県東葛飾郡船橋町五日市本宿1,928番地(船橋市宮本1丁目12番9号)に借地住まいをしていた時に、その敷地内に植えられたものですが、昭和57年12月、その敷地が整備されることになり、改めてこの地に移植された。
太宰治は、当時、「めくら草紙」の中でこの夾竹桃を植えた時の様子を書いておりますが、戦後の作品「十五年間」では、次のように、この夾竹桃に対する自分の愛着ぶりを書き残しました。
私は千葉船橋町の家が最も愛着が深かった。
私はそこで「ダス・ゲマイネ」といふのや、また「虚構の春などといふ作品を書いた。
どうしてもその家から引き上げなければならなくなった日に、私は、たのむ! もう一晩この家に寝かせて下さい。
玄関の夾竹桃も僕が植えたのだ。庭の青桐も僕が植えたのだ、と或る人にたのんで手放しで泣いてしまったのを忘れていない。
昭和58年3月
船橋市教育委員会
船橋中央ライオンズクラブ 寄贈
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