流氷の下の世界(The World Under The Ice)
HIDEKI,KATO UNDER WATER WORLD


プロフィール
1970年斜里町に生まれる。
幼少期から 海で働く祖父と父親の姿を見て ごく自然に海に魅せられていく。
88年父親のダイビングの師匠でもある海洋生物写真家の益田一氏に師事、 海洋生物の世界へと足を踏み入れ、
ダイビングと水中撮影の技術を学ぶ。 90年父親の後を継ぎ漁業に従事、
作業ダイビングと形を変え海に潜る。 97年流氷の世界を一人でも多くの人達に伝えようと(アクアサービス流氷)を設立 その後、新聞・テレビ番組各社の依頼で水中撮影・一般レジャーダイバーのガイド サポートを主な冬の仕事として現在に至る。


注意・・画面サイズは小、最小でご覧下さい。

伊豆海洋公園の海・思い出のファーストカット
1(水中撮影との出会い)

初めて体験する水中撮影はダイビングを始めてからわずか数ヶ月後に突然訪れた。
私がダイバーとなった伊豆海洋公園ダイビングセンター所長の益田先生が手渡してくれた物が初めて見た水中カメラニコノスであった。
こんなもので、本当に水中であの素晴らしい映像が撮影できるのかと思ったほどのコンパクトなカメラであったが しかし、その後このカメラの奥の深さを思い知らされる事になろうとは当時まだ知る由も無い私であった。
生まれて初めて撮影した映像を今でも見る事があるが、何とも無様なものだとつくづく感じる。私の始まりはこの伊豆海洋公園での1カットから始まったのは事実である。 昭和63年、NO1Film伊豆海洋公園、2の根、28ミリ、60分の1、F8.5、ニコノスV型
2(流氷との初対面)

私は北海道知床半島の付け根である斜里町で生まれ、極自然にこの海を眺めながら育った 祖父からこの地で鮭漁を中心とした漁師の家に生まれたのだ。 この頃、既に私の家には水中写真家である益田一氏、中村宏治氏、友竹進一氏と水中シーンを両手でかき分けながら進んできたダイバーが父の元に頻繁に訪れ、海の話に花が咲いていた。
子供の頃、よく父に冬は海へ行ってはならないと毎日のように言われていた。 好奇心から頻繁に冬の海を眺めに行ったものである。
子供ながらに、自然の大きさをこの流氷から感じ取っていたのは事実だ 今は流氷観光が全盛だが当時私はそのスケールの大きさに恐怖さえ覚えた事を今でもはっきりと思い出す。

自然が織り成す白と黒の独創世界
3(漁業者として)

漁業者としての私は流氷ダイビングがスムーズに出来る環境を整えてくれた。
他の海と一線を画した気象状況・潮流・低水温・と様々な環境をこの知床の海は作り出し そこに、我々漁業者は戦いを挑むのだから、ある意味刺激的で楽しくないわけはありません。
海の持つ強い再生能力・人の力は小さいと実感させられる巨大な波、すべてが常識外の海で
我々漁業者は生きる力を補給し又生活させていただいていると強く感じています。
この独特なまでの環境を作り出す源は流氷であると確信した時から、流氷の下を潜ってみたいと言う衝動に駆られ、今となってはその壮大なる大自然のアートに魅了された一人でもあるのです。

親が子を守る愛情溢れる水中世界
4(センスが無いと感じた空白)

北海道に帰ってから一時期、最初のフィルムがあのよう形になったので全くカメラを持たない時期が2年ほど続いた。
しかしながら、作業ダイビングを通じてダイビング技術は飛躍的知らず知らずに進歩してきたのだった、これもすべては過酷な環境での作業ダイビングがそうさせたのであろう。
その時、一人の海洋公園の先輩ダイバーとコンタクトを持つようになる。
私に闘争心を持たせ、尻を叩いてくれた
水中写真家 瓜生氏である。 色々と水中撮影のノウハウを1から学びなおしそれに今までの思い描いていた風景をマッチさせる事ができたのだ。
丁度この時期に1枚の劇的ショットが撮影できたのである。
これは後の私の生態写真に大きな影響を与えるカットになろうとは当時思いもしなかった

5(運の良さ)

現在であっても、北海道の水中写真は中々眼にすることが無いのだから能力のない私が 悪戦苦闘したのも無理が無いと自分でもつくづく思う。
しかし、これを逆手に取り北海道の水中写真は比べられることが少ないと気が付く。
暖かい海の写真は数多く、そのほとんどが世に出回っている今日において、流氷の世界に目を付けた、これか面白いように当り 回りからチヤホヤされ自信がつき次々と納得いく撮影が出来たのである。
  これもすべては、運の良さで仮に私が沖縄の海で水中写真撮影を撮っていたら10年も前に挫折していたと、今考えただけでゾッとするほどだ。私は強運の星の下に生まれた事を感謝しているのは恥ずかしいが素直な気持なのだ。


グアムの海

6(新しい感覚を求めて)

私もダイバーとして色々な海を潜ってみたいとの願望が一時期あり。
正反対の暖かい海へダイビングに出かけた時期がある。
そこには多くの現地ガイドがおり 私が知床の海を愛するように彼らもまたその地の海に愛情を持ったダイビングをしている事に気が付くこととなる。
レジャーダイバーと同様にカメラを持ち手当たり次第にシャッターを切ったものである。
だが、ホテルに戻り我に返るといつも不思議な気持ちになったのだ、何かが違うただそれしか解らず、メジャーな海であるハワイ・グアム・サイパン・沖縄とダイビングを続けた これには最近気が付いたのだが、自分の思い入れやインパクト・緊迫感が足りない事に気が付く。流氷と言う環境が知らずうちに感性を変えていたのだ。


極寒の海に小さな花

7(貴重な時間)

流氷ダイビングは非常に短い時間の中でのダイビングだ。
我々もゲスト同様もう少し長い時間この世界を見ていたいのは事実だか、この過酷な環境の中では限界時間がある。
多くのゲストダイバーをガイドしていて一番歯がゆいと感じる瞬間でもある。
しかし、どんなに素晴らしい撮影が出来ても生きて帰らなければ自分で見る事が出来ない。
1ダイブのMAXは20分前後、この貴重な時間の中で氷の世界を表現し人に伝える事は 今でも非常に難しいと感じている。
多分この先も感じ続けるであろう。 この感覚がある以上は常に新しい感覚の流氷を多くの
人々に伝えられるのだと自分でも納得している のが正直なところである。

8(写真家と呼ばれる人々)

世界には写真家と呼ばれる人が多く存在する
一枚の平面のフィルムに多くの情報を詰め込み更には多くの光と影を作り出し1枚の写真となる。
私の周りにも多くの水中写真家が居て、情報交換を絶えず行っているのだが、コンタクトを持つほとんどが水中写真家と呼ばれる人々なのである。
陸上の写真家とは今までコンタクトすら持てずにいた私ではあるが、最近大阪で自分の心を大きく動かされた1人の写真家と出会があった。
水中とは違った形の撮影方法・撮影機材はもちろんだが、その後今までには感じた事が無い、ゆっくりとした時間の流れを感じる事となる。
知床も世界遺産となり今後多くの写真家達がこの地へ足を運ぶこの時期に私にとって新たな感覚を持たせてくれた。
今はただ不思議な気持ちだけで確定的な思いは見つからないが 水中写真だけを見続けた私にとって今後大きな変革が起こるであろうとの感触を受けたのは確かである。


緑の流氷世界

9(楽しさの伝え方)

我々は流氷ダイビングにおけるガイドをこの知床の海でシーズン中毎日ゲストダイバーに伝えている。いまだに手策リ状態である事は確かだ。
いつも自然体で自分たちが楽しめる海の見せ方が今のところは正しいと思っている程度なのである。
しかしながら先の文章のように何処の海のガイドも本人たちが楽しんでいるという事が、ゲストにも伝わるものだと信じている。
我々はガイドダイバーである前に漁業者である。
流氷ダイビングを通じて海の楽しさ・過酷さ・自然の雄大さを今後も伝える為に私達は自分達が楽しいと思えるダイビングを続けていく事に新しい答えが見えてくると信じている。

終わりに

最後までご観覧いただきありがとうございました。
ダイバーとして私なりに感じた事をストレートに文章にしてみました。
自分が持つ直感を強く信じるほどの一種、唯我独尊的な
文章になりました事について不快と思われる方も多かったのではと感じていますがご勘弁ください。

自分がダイバーとなった時から綴ってきたノートを元に編集をしてみたものです。
いわば、私のダイビングのログブック的な文章となっています。
尚、掲載写真はイメージですので文とはあまり関係はありません。

PS//写真撮影依頼・写真販売受け付けております。