黄昏のブシャワール駅のホームには先行の寝台列車が止まっていた。禁煙の出札場を出て長い列車の先頭に行くと大きな電気機関車が付いている。世界最大のレール幅1676mmのインドでは流石に車両はどでかい。寝台車内に入ってみると通路を挟んで向い合せ3段ベッドと進行方向に2段ベッドが並んでいて満員だった。エヤコンも仕切りのカーテンも無い三等寝台車だ。開放された窓は無賃乗車を防止する鉄柵が全てに設置してあって、この事が昨年6月に発生した寝台列車火災で早朝に3両50人以上もの多数の死傷者を出す原因となった可能性があります。 列車は定刻の18時00分丁度に出発して行ったが、17両もの長い客車がホームを離れるまではゆっくりと進んで行きます。その間6分、そして最後部の車掌が緑の旗をかざして前方確認していた後には大きな黄色の蛍光×印とオレンジの尾灯が光っていた。 |
普通客車の陽気なインド青年たち | ブシャワール駅を出る寝台列車の最後尾 |
私の乗車するシェシュカンド寝台特急(SACHKAND SUP EXP)は10分後に同じ線にこれものんびり徐行しながら入ってきた。矢張り悠々のインドだ、時間の流れる感覚も異なっていた。指定車両はエヤコン付2段ベッド車(A.C.TWO TIER)である。通路を挟んで対面の2段ベット4人がカーテンで仕切られ、進行方向に2段が個々にカーテンを持つベッドが有る。一両に46人も乗車出来るのにはこれ又驚愕の数字であった。私は5番座席で専用カーテン付の下段でした。 |
特急の入線?? | 5番ベッド兼座席 | 左4番ベッド、右2番ベッド |
出発前のホーム | 通路 | 左3番ベッド兼座席、右1番ベッドの変な乗客 |
寝台特急は15分遅れの18時50分にソロリソロリとホームを出発した。隣の車両はエヤコン付3段ベッド車(A.C.THREE TIER)でインドの乗客で満員、その次の厨房車では夕食の調理と配達の準備がされていた。しかしこの3両以外への通路は閉じられていて移動出来ない。インド国鉄では防犯上の理由から車両間の通行を禁止しているのだ。 |
厨房車の調理場 | チャパティを包む食事係と配膳係 | 車内販売 |
カーソルをのせると包装を解いた食事に |
車内販売はインド鉄道提供サービス会社が行なっているが、料金は次の通りです。ベジタリアンミール30ルピー・朝食17ルピー・ティー4ルピー・カフェ5ルピー・水1Lボトル10ルピーです。(1ルピー=2.5円) 写真の夕食は75円で全粒粉の小麦粉で作られたチャパティがとても美味しかった。後で聞いて御代わり自由だったのが断念でした。もっと食べたかった。左がインディカ米の白い御飯、中央がカレー、右のミールを包んで食べる。左下に食後のヨーグルトとバター1個、美味しいチァパティは3枚だった。 |
しゃがみ式トイレ | 洗面設備 | ベッドは自分でセットする | 真夜中の通路 |
発車した列車は1時間後に初めてブルハンプール駅に2分停車、次に1時間後に信号ストップしてから21時00分にカンドワ駅で8分停車した。先行列車が走っている為に速度はゆっくりであったが、その間に夕食が配られ丁度満腹になったところでベッドの支度を済ました。他の乗客たちもカーテンを引いた為に通路は暗くなり、インドの寝台車で眠る事にした。進行方向を頭にしての夜は初めてだったが横揺れも少なく快適で結構寝心地が良い。 23時30分イタラシ駅、5分手前から徐行して入ったホームは明るい大きな駅だった。女性の声で丁寧な構内アナウンスが続き、車窓からはターバン姿の男性が見える。と大きな黒い牛がホームを歩いているのに唖然とした。20分後に反対側のホームに列車が到着すると大勢の乗客が乗り換えた。暫らくして再び5分間の徐行で走り出したが今度は今までになくスピードを上げて走る。そして日本では節分が終わって立春になっていた。アラビア海に流れる大河ナルマダ川に差し掛かると速度を落としてトラスト鉄橋を渡った列車は、線路を別けてビンジア山脈の山岳地帯に入っていった。堀割りの線路に時々短いトンネルが現われる。どんどん高地に登って行く電気機関車の牽く寝台特急はとても快適な速度で走った。 午前1時35分ボパール駅に到着した時にはホームに霞が掛かっていた。車内から見るとベンチに大きな塊が坐っている。なんと列車待ちの乗客たちが布を頭から被って達磨状態になっていたのだが、ホームのあちこちにも人々が列車待ちをしていたのだ。矢張りインドの高地は予想していたよりも寒そうだ。5分の停車で出て行く郊外の空に十三夜の月が煌々と照っていた。 |
寒そうな深夜のホーム | 達磨状態の客達 | 駅名表示盤 |
5時25分ジャーンシ駅に到着した時も女性アナの案内とその後にジャジャーンとメロディが入る馴染みになった放送が耳に入った。列車スタッフもホームに降りては寒そうな様子、喫煙通路でインドのたばこを勧めてくれた車掌が再びNAVY CUTを差し出した。ホームでは赤服のポーターが客の荷物を頭に載せて運んでいる。また荷車での値段交渉もしていた。反対ホームに停車しているのは待機の空車だと思っていたが、よく見ると中に人影が見えて乗客で一杯だった。なんとインドでは夜間の列車には車内灯が点燈していない。勿論、眠っているから必要が無いといえば合理的だが安全面で心配するのは日本人の性だろうか。 |
列車スタッフ達 | 赤い服のポーター | 後方は無灯火の夜行列車 |
7時に眼が覚めるとグワリオル駅に着いていて夜が明けていた。ホームの客達は毛糸の防寒帽を冠り温かい茶をすすっていた。列車は直ぐに発車して行くとそこには大きな車両基地で貨車や客車が待機していた。郊外に出て左手に遠く城塞都市が朝焼けに浮かんで見えた。豊かな田園の中にも町が表れ出して、底冷えの大気に東の空から太陽が昇って行った。 |
7時50分、列車はガンジス川の支流チャンバル川に架かる長大な鉄橋を渡った。北上する列車の右手には朝日が燦々と輝いて対向するトラスト鉄橋を映していた。16両編成の寝台特急は左にそして右にカーブしながら目的地アグラカント駅に向かってゆっくりと進んで行った。 |
カ |
列車は定時の8時40分にアグラカント駅に到着した。天気はインド晴れと言っては可笑しいですかね。兎に角、雲一つ無くて快晴です。白い大理石のタージマハール廟が綺麗に見ることが出来るでしょう。ホームに溢れる乗客たちや出迎えの人々で混雑していたのはインドの鉄道風景、それに物売や荷物の運び屋さん達が輪を掛けていた。しかし慌ただしさが無いのがインド流と言うか、これが世界の常識なのかも知れない。 |
聖者? | アグラカント駅の喧騒と弁当屋 | お馴染みの赤服のポーター |
陸橋を渡って駅前広場に向かう途中、私の乗って来た列車は発車せずに止まっていた。インドは世界第二位を誇る鉄道王国だけあって超特急と名の付く列車がこの様でも運行時刻は予想以上に正確で、線路の状態は特別に好くなっていると感じた。広場に出ると往事を偲ぶ蒸気機関車が丁寧に保存展示してあったのも感心したものでした。 2004年2月4日 |