スペインの赤い電車

 6時45分にホテルを出発して10分でアトーチャ駅に着き、すぐに窓口でセゴビア行きの切符を購入した。往復乗車券は101`で割引き1400ペセタ(約1260円)今年からはユーロ表示もなされている。丁度JRの三分の一の運賃でる。アトーチャ駅近郊は自動改札器が設置してある為に、窓口係員は自動通過のチケットを一緒に発行して改札機を通るように指示してくれた。
 広い地下駅のホームはこの時間帯は結構通勤客で混雑していた。8時丁度にホームに入って来たセゴビア行きは「スペインの赤と白」に塗装された新型二階建電車の6両編成だった。大勢の乗客と一緒に乗り込んだが席は確保できた。近郊列車だがJR新幹線の車両よりも大きく車内は広い。
 マドリッド市街の地下を15分走って三つ目のチャマルチン駅で地上に出る。出発して線路は北と西に別れ電車は西に向った。私は1階から見晴らしの良い2階に席を移した。幾つかの駅を軽快に飛ばして40分後にラ・マタス駅を出ると電車が右側から左側通行になった。ヨーロッパの鉄道では時々この様な事があって、大丈夫かなとびっくりする。車掌が検札にやって来てパンチを入れていったが、この頃には乗客も半分になっていた。
1階の座席 2階の座席
 9時に到着した駅はヴィラルバ・デ・グァダラマという風情のある町で、ここから電車は複線を離れて支線に入り単線の線路で北に向う。4・5分毎に停車して行くが、どの駅も古風な石造りで煤けている。昔の石炭や給水の設備が残った駅があった為に、以前は蒸気機関車が走っていた鉄道に違いなかった。それはやがて30分過ぎに証明されたのだった。タバラド駅の手前でホームの無い所で一旦停車した電車は、ゆっくりとバックをして勾配を登って行く。再び前進で坂を上って駅に到着した。スイッチ・バックといって山道をジグザグで登る方法である。ここで殆どの乗客が降りて行った。
 電車は高地を走っていて、車窓からの木々の間からは遠くに眼下が開けていた。迫った山はだの古風なゲートに入ると長いトンネルで、抜けると積雪の山間だった。私は川端康成の小説「雪国」を思い出した。" 国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。" いつの間にか高地に来ていた。セゴビアは高原の町だった事を思い出した。やがて電車はゆっくりと下って終点の中世カスティリャ王国の地に到着した。10時05分だった。
近郊電車セルカニアス スペインの赤い電車
 駅前から広い登り坂の通りが延びていて近代的な商店が並んでいた。しかし数百メートル進んだ処は起伏の激しい城塞都市だった。海抜1000メートルの高原にあるセゴビアで一番高い丘の上に16世紀に建てられたゴシック建築の大聖堂が聳えていて、その回わりと谷間には紅い瓦屋根の住宅が密集しているのだが、人影はほとんど見なかった。右手の丘を越えると突然目の前に石造りの水道橋が現われた。ローマ人が築いた長さ83メートル、高さ28メートルの見事なニ階建ての橋で、現在も使用されていると云うから驚きである。手で触れてみると石の表面は柔らかく暖かく感じたのは、それが余りにも正確に刻まれた石材の表面が滑らかだったからだ。
アサゲホ広場の水道橋 ローマ人の建築
丘陵の町セゴビア セゴビアから見た冠雪のグァダラマ山脈
 橋の谷間から登って行くと、やがて4階建てのビルに囲まれた市民広場に到着した。正面は市庁舎でビルの1階は市民の憩いの場所である。その時丁度、カテドラル(大聖堂)の尖塔から正午の鐘が鳴り響き出した。するとあちこちからシャッターを閉めるガラガラという音がして商店が閉まっていく。シマッタ、ここはスペイン、シエスタの国だ、皆さんは昼の休息の時間だ。私は昼食を摂り損なってしまったのだ。仕方無しに更に谷間を渡って街の象徴でもあるアルカサルに向った。途中で出会ったのは郵便配達の若者だけで、日本と同じ様にこまめに各家の郵便受けに投函していて、違っていたのはバイクが黄色だった事だ。次の丘に立つと谷の向うに中世の美しい城が現われた。それは13世紀の建築物でカスティリァ王の住居、イサベラ女王の即位が行われたアルカサル(セゴビア城)で、有名なグリム童話「白雪姫」に登場する城のモデルとなったと云われている。
ゴシック建築の大聖堂 アルカサル
 駅まで歩いて戻るのは下り坂で楽だった。しかし、お腹が空いているが途中の商店は閉ったままです。セゴビア駅に辿り着くと、道路の筋向いに一軒のコンビニらしき店が開いていた。中に入ると食料品は豊富にあった。間口は狭いが奥行きがあって、突き当りで柔らかいパンを焼いている。大き目の菓子パンを選んで値段を尋ねると、店員が「はかり」に乗せてからペンで126と書いて渡してくれた。コインで支払おうとするとレジは出口でと指差す。オレンジ・ジュースのパックと一緒に持ってレジに向かうと沢山買物をした主婦達数人が先に並んでいる。これは時間が掛かりそうだなと電車の出発を気にしていると、最後部のおばちゃんが私の買物を見て「ニッコリ」して先頭に回してくれたのには感激した。ヨーロッパでは一人物の旅人には大変親切だ。グラティアス。
繁栄時を偲ぶセゴビア駅舎 タバラド駅の交換風景
 すぐに駅のホームに出て出発する電車に間に合った。再び積雪の高原と長いトンネルを抜けると今度は青い空が開けていた。スイッチ・バックのタバラド駅で停車していると、セゴビア行の電車が登って来た。ここは単線の交換駅にもなっていたのだ。126ペセタ(110円)の大きなパンと濃くて美味しい500ccのオレンジ・ジュースを69ペセタ(60円)、そして明るいスペインの景色で満腹になりながら私はマドリッドに向った。
1999年2月18日

 RENFE(スペイン国鉄)は広軌1668ミリで、他のヨーロッパ諸国や日本の新幹線で採用されている標準軌1435ミリよりもゲージが広い。このレール幅の広さには愕くが、鉄道発祥の大英帝国に対抗して克って帝国を誇ったスペイン(含むポルトガル)のみが採用した。現在、マドリッド・アトーチァ駅の地上ホームから出発しているAVE新幹線は1435ミリを採用してフランスへの乗入れを目指している。スペインの大都市では線路を地下に走らせて街の景観を保存している事は、他のヨーロッパ諸国よりも積極的である。地下に国鉄の主要な駅が在るのはバルセロナやセビリアも同じだが、しかし、メトロ(地下鉄)は標準軌1435ミリや1000ミリを採用している。



左は駅の出札口で購入したマドリッド・アトーチャ⇔セゴビア往復乗車券

BGM:ファリャ作曲の「スペイン舞曲第一番」はさんのMIDI作品です