もう時間は10時50分を過ぎていた。ロンドン出発が迫っている。改札口でのチェックインは20分前までだ。6人はウォータールー駅に入ると構内を急いだ。自分はロンドンに着いて、いまだにBRを撮影していない。コンコースで一枚シャッターを切った、途端に5人を見失った。とうとう逸れてしまったのか、時間が迫っている。とっさに捜すのを諦めてコンコースの案内員らしい人物を見付けてユーロスターのキップを見せながら「Where is this」、すると彼は先方を指差して「Escalator」。「Thank you」と20メートル進むと床だけがなんと落差になっていて、そこにはエスカレータがあった。急に皆が消えた訳だ。高い天井はそのままで明るい。皆に追い付くともうチェックインが始まっていた。目の前に黄色のユーロスターが止まっている。撮影をする間も無く乗車することになった。
 11号車44番座席であるが車内は閑散、結局自由に席を陣取った。乗客は我々のほかにドイツ系らしい観光客。静かに動いた感じに窓の外を見ると発車している。なるほど、JRとはまるで異なる。しかし、定時の11時23分であった。駅舎を出ても列車はゆっくりと走っている。隣の線路には黄色の顔面で青い窓に朱と白のストライプの郊外電車が並行してきた。しかし何かが変だ。支柱や架線がまったく無いのだ。レールがもう一本並んでいて3線軌道だ。それも国内で見かけるガードのある大げさな第3軌条ではない。英国の鉄道がすっきりと見えるのは、道床とレールだけのロケーションで車両が浮かんで撮影できる。もうたまらない。取り付かれた様になって車窓を眺めていた。
 やがて英語とフランス語で案内放送が流れた。滑らかな短いアナウンスで耳に心地よい。車窓も昨日見たような牧場の景色になっていった。乗車口で向かえてくれた女性のアテンダントがワゴンサービスにやって来た。白ワインを貰う。ユーロスターの一等車は食事が付く。メニューが配られ自分はタラゴン・ソースのターキーを選んだ。彼女は座席の肩に目印シールを貼っていったのだ。牧歌的な風景を眺めての食事の後に車窓の外は広がってきた。海峡が近づいて来たようだ。ヤードの有る駅を過ぎると急にスピードが上がった。トンネルだ。12時35分、ついにユーロトンネルに突入し車内放送も簡単に案内した。10分程静かに走った時アナウンスが「ただ今、国境を越えフランスに入りました」と伝えた。今度はフランス語が先になっていた。英国から27`、フランス迄20`の地点である。12時55分、そのままのスピードで海底を抜けると周りの明るさが違う。黄土色のグラン・ノールの色だ。丘がない。緑がない。平らな大地が広がり、なだらかな地平線が一本、真横に走っている。これが始めて見るコンチネンタルの風景だった。
 列車はどんどんスピードを上げるが何故か静かだ。そうだ、これは電車ではなかったのだ。前後2両の電気機関車の間に18両の客車を挟んでの走行である。高速新幹線と云えども「乗客は動力の上には乗せない」という。POLICEの腕章をした税関がパスポートの検査に回ってきた。おもむろに赤いパスポートを差し出すと一目しただけで笑顔で返してくれる。あれー、入国スタンプはどうなっているの?と「スタンプがないとフランスに来た証明が残らない」と小声でぼやくと、通り過ぎていたさっきの「POLICE」君が聞きつけ、「おお、スタンプ」と笑いながら、右手をポケットに突っ込みながら取り出したゴム印をパスポートに「ぽん」!。やれやれ密入国にならずに済んだ。「国際警察パリ北駅0023フランス」と簡単な印判。しかし、最近はほとんどがこの様に依頼しないとノースタンプで、他の4人はスタンプ無しの密入国者になってしまったのだ。
 単調なフランス北部の風景の中を約1時間、高速で走ったユーロスターは又も短いアナウンスで滑るようにしてパリ北駅に定時14時17分到着した。4番プラットホームに降り立った処はもう花の都パリ。ここも終着駅で旅の終わりはやはりこの方が風情が有る。降りてから進行方向に進めば出口である。車止めに我々を牽引していた電車と間違うような機関車がヘッドライトを点灯したまま静止している。3231の車号の前で記念撮影、黒い頭に黄色い顔面、白い髭は滑らかな光沢から昆虫を連想する。ロンドン〜パリ間、3時間の国境越えの旅は静かに終わったのだった。
1995年10月2日



パリ北部郊外を英国に向かうユーロスター パリ北駅に到着した9018号列車