Hypnotize  <3>





 翌朝 森田は死にそうな気持ちを抱えて平井の前に座っていた。
いつも通り自分のために作られた朝食はテーブルの上に並んでいたものの、とても箸を付ける様な気分にはなれなかった。
辺りを威圧する静かな怒気を放ちつつ、ソファでコーヒーを飲む平井の表情はいつもの様に穏やかで、
それが逆に森田の背筋に冷たいものを流し込む。

「…お前な もう少し程度ってもんを考えろよな…」

怒りを通り越して呆れ果てたと言わんばかりの平井の口ぶりに 全身の血が逆流する。恐くて目が上げられない。
先程 「おはようございます」と平井に声をかけた時 目に焼き付いた物が、フラッシュバックして自己嫌悪に拍車をかける。


 昨晩花弁の様な痕を見せていた平井の喉元は 赤黒く腫れ上がり見るも無惨な傷を晒していた。
いつもと違い一番上のボタンまできっちりと留められたシャツに隠された胸元にも同じ様な傷が並んでいることは容易に
想像が付いた。





 「…すいません…」
消え入りそうな声で繰り返す森田を前に 殴り倒す気にもならなければ罵る気も起きない自分は、つくづくこの男に甘いな 
と平井は額に手を当てて大袈裟に溜息を吐いてみせる。
「…もういい 顔上げろ。 いくら謝ったって消えるもんじゃねぇんだし」
床に同化しそうな位身を伏せた森田の後ろ頭を踵でグリグリと踏んでやると 涙目の森田はのろのろと身を起こして 
また謝る。
「本当にごめんなさい 何て俺馬鹿なんだろ…」
「まぁ 今に始まったことでもねぇしな」
「銀さん 殴っていいよ」
「…じゃ こっちこい」

手招きすると吸い寄せられる様に床を這って森田が身体をすり寄せてくる。
本気で怒れないのは平井の側にも後ろめたさがあるせいか それともそれ程森田に惚れているせいなのか…
膝に額を押しつけてくる森田の尻尾を掴んで顎を上げさせる。気圧された森田が赤面して視線をそらす姿に嗜虐心は
擽られたが、あまり虐め過ぎるのも良くないかと考え、今は軽く釘を刺しておくだけにした。

「今回だけは許してやる。 が、次羽目を外し過ぎたら 窓から捨てるからな」

目を閉じたまま 森田はコクコクと肯いた。







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 三日後  安田の張っていた政治資金絡みのネタに食いついてきたしゃぶり甲斐のありそうな人物との面通しのため、
平井と森田は紀尾井町の某ホテルに出向いていた。
傷を隠す様に喉に巻かれた包帯の白さが目に痛い。
森田は出来るだけそれを視界に入れない様にあたりを見回しながら平井の一歩後ろを歩いていく。
ロビーで落ち合う手筈になっている安田の姿を探していると、奥のラウンジから平井の名を呼ぶ声がして一人の男が
近付いてきた。
「平井さん この度はどうも…」
おや という顔で振り向いた平井は仕事仕様の笑顔で男に会釈を返す。
何処かで見た顔だな と森田は考え ああ と思い出した。
最近よく雑誌でも見かける総合レジャー産業Rの元締め 何某という奴だ…。

「…どうか なさいましたか?」
目で平井の首筋を指し示して男が尋ねてくる。
「いえ ちょっと…   犬に噛まれましてね」
冗談を言う口調で平井は答え、相手は曖昧な笑顔で受け流す。二人の会話を耳にしながら森田は一人赤面して目を伏せた。


確かに自分のやらかしたことは 頭の悪い犬並みだ。恥ずかしさに言葉もない。


 「…いやー しかし嬉しいですよ。貴方に頼んで良かった。あの方は居所さえなかなか掴めないというのに 
本当に手合わせを願えることになるとは!…長年の夢が今日叶いますよ。」
「今日?」
平井の目がすっと細まる。
「ええ もうそろそろ到着すると先程連絡がありましてね。 …あ、噂をすれば!」
男はエントランスに向かって会釈を送ると 二人に頭を下げてその場を去った。




 「何なの? 銀さん?」
詳しいことは分からぬまま、平井の肩が少し強ばったのを見て取って森田は尋ねる。
「ん… ちょっとな…」
言葉を濁し そのまま奥へ向かおうとする平井の様子はやはりおかしくて 訝しそうに森田は首を傾げ、
エントランスの方向に目をやった。

小走りに入り口に向かう先程の男の向こうから、明らかに素人とは見えぬ何人かの男に付き添われた客人らしき男が
こちらに向かって歩いてくる。
その姿に目を奪われ 思わず森田は平井の袖を引き声を漏らす。
「銀さん… あの人…」

眉をひそめて振り向いた平井は 森田の肩越しにその姿を認め、そして相手もまた平井の存在に気が付いて立ち止まった。






 「あらら…」
奥歯でタバコを噛みつぶしたまま すぅっと片方の口角が持ち上がり、男は平井に向かって微笑みかける。
感情を押し殺し 社交辞令の笑顔で平井も小さく頭を下げると 男は猫の様な足取りで近付いてきた。
輝く様な白い髪。派手なゼブラ柄のシャツ。否応にも目を引くその姿に周囲の客も視線を送る。

「誰?」
小さな声で森田が問いかける。
「赤木しげる… 伝説の代打ちだ…」
視線を外さずに平井が答えた。



 間近までやって来た赤木は平井の首筋の包帯に目をやり、ちょっと首を傾げて森田に一瞥をくれると、意地の悪い
笑顔を浮かべて平井に話しかけた。
「ふ〜ん… 何 やっぱ 番犬に噛まれちゃった?」


平井の薄い唇がほんの少し歪んだ。赤木の榛色の瞳がこちらの動きを探る様に光ったとたん、森田はそれを理解する。
パチンと音を立て自分の中で何かのスイッチが入った気がした。
(お前か… お前なんだな…?)
ぶわりと熱をはらんで森田の体が揺れる。至近距離で獲物にロックオンした目つきは凶悪と言っていい程のものだったが 
赤木はへらりと笑ってその視線を受け止めた。
(…そうだとしたら どうする…?)
怒りにまかせ拳を固め 前に踏み出そうとする男の肩を、平井は背中で押さえて言葉を返した。


「ご心配には及びませんよ 赤木さん。 ほんの甘噛みですから」
「おやおや… 平井さん きちんと躾とかないと 寝首を掻かれるぜ」
「残念ながら      私は信じておりますので…」






面白そうに森田の様子を見やっていた赤木は 平井に視線を戻すとちょっと肩をすくめて
そしてもう一度森田に視線を向けた。さらりと揺れた髪の下で細まった目元に優しい皺が浮かぶ。

「…お前 愛されてんだ…」

その言葉は森田に投げかけられたものだったのか、平井に向けられたものだったのか定かではなかったけれど、先程
までの底意地の悪さがウソの様な赤木の零れる笑顔に、掴みかからんばかりに身構えていた森田の体から力が抜けた。
(…何者なんだ… この男…)




「おかげさまで…」

双眸を細めた平井の受け答えを耳にして 赤面のあまり森田はたまらず顔を伏せる。
それを見計らったかの様に、赤木は平井の耳元に顔を寄せた。

「次はバレないようにしなくちゃな」
「次?  次などありませんよ」
「どうかな…?」
平井の肩をぽんと一つ叩き、独り言の様に呟いて赤木はその場を離れていった。


小声の会話を聞き逃した悔しさか、遠ざかるその背を睨みつける様にして目で追っていた森田の姿に 
苦笑いで平井は声をかける。
「行くぞ」
のんびりとエントランスに近付いてくる安田の姿が目に入った。



「銀さん…」
「ん?」
「…いや …どうせ教えてくれないよね」
「じゃ 聞くな」

歩き出した平井の後を追いながら 口惜しそうに森田はもう一度ロビーを振り返る。
けれどもうそこに 赤木の姿を見つけることは出来なかったけれど。

                                         
                 

                      

                                            ( 
To be continued The next situation!)

                                     

                                                    Date 2006 ・ 12 ・21  




                                             
inspired  『Hypnotize』 system of a down
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