Hypnotize  <1>





 帰りを待つつもりがいつの間にか眠ってしまっていたらしい。
寝室のドアが閉まる微かな音に ベッドの上で森田は目を覚ました。
カーテンを透かして空が仄白く見える夜明け少し前。暫くすると静かな空気を震わせて遠くからシャワーの
水音が聞こえてきた。
「いつ帰ってきたんだろ… ちょっと前?…」
少しすれば自分の横にその身を滑り込ませて来るであろうその人のことを思いながら森田は再度目を閉じる。
今日は特に予定もない。疲れた彼が目覚めるまで一緒にシーツの中に沈んでいよう。
そう思うと知らず知らずのうちに頬が緩む。
気が付けば水音は止んでいて、森田の意識はまたゆっくりと眠りの中に落ちていった。

 

ぽっかりと意識が浮上して、壁の時計に目をやると先程からはもう小一時間程が過ぎていた。
なのに傍らに彼の姿はない。
森田は鼻先に皺を寄せて首を傾げる。「…どうしたんだろ?」
何とはなしに不安になって、布団をはねるとリビングに向かった。



 あまりに静かな室内に、ドアノブを回す僅かな音さえ気を遣う。
訝しみながら見回すと、バスタオルをすっぽり被った平井の後ろ姿が目に入った。
ソファの上、足を投げシャツだけを羽織って背中を丸めたその姿は、およそ今まで見たこともない彼の姿で 
声をかけてもよいものかと 一瞬森田は躊躇する。
「…銀さん…?」
呼びかけにも返事はなく 歩み寄っても身じろぎもせぬその背はまるで魂が抜けた様。
足元にしゃがみ込んだ森田は恐る恐るその肩に手をかけてもう一度その名を呼んだ。
「銀さん?」

 とたん 電流が走った様に身体は撥ねて、そのはずみで被っていたバスタオルがずるりと肩に落ち
平井の顔が露わになった。
全身から発せられる拒絶の空気に思わず森田は手を離す。
濡れすぼった野良猫の様な 異様な瞳の色で振り向いた平井は、森田の姿を認めると
再度タオルを頭から被って背を丸めた。


「…ぎ 銀さん…どうかしたの? 何かあったの?」
問いかけにもタオルが静かに横に揺れるばかり。膝を抱え込んだその姿は無言のうちに「放っておいてくれ」
と雄弁に語っていて とりつく島もない森田は溜息を付くとのろのろと身を起こしリビングを後にした。




 傍らから森田の気配が消えたのを感じ、平井の肩から力が抜ける。
今だけは彼に側にいて欲しくなかった。
これは仕事だと、取り引きなのだからと 割り切っていたはずなのに、あの男の声と指先を思い出すだけで身体が疼く。
弱味を知り尽くしたかの様な赤木の囁き。森田の名を出され、自分の気持ちを言い当てられただけで
彼の前に跪いてしまった自分が情けなかった。
その上投げ出した身体はそんな自虐的な思いとは裏腹に男の愛撫に翻弄され快楽を貪り尽くしたことを憶えている。


…森田の顔が まともに見られない…


腐りきった悪党の自分がこんな自責の念で身動きが取れなくなるなど今まで考えたこともなかった。
いつもなら素知らぬ顔で過ごした事が 今回ばかりはどうしていいかわからない。
ささくれだった心では取り繕うことさえ難しかった。
だから今何も知らない森田がいつもの様に自分に触れてきたら…バランスを失った自分は壊れるかもしれない…。

ソファで一人寒さに痺れる身体は自分への罰だ。暖かなベッドなど、優しい男の胸など 
今の自分が入り込めるものではなかった。
謝罪の言葉など口に出来るはずもない。ただ勘のいい男だ 先程の自分の反応で感づいてしまったかもしれない。
そう思うとまたカードを切り損ねた自分に嫌気がさした。




 白い息を吐く鼻先に その時ふわりと暖かな感触がまとわりついた。
顔を上げ タオルの隙間から覗いてみると、壊れ物に触れる様にそっと自分の身体に毛布を巻き付ける
森田の手の動きが見えた。
「コーヒー入れますから ちょっと待っててくださいね…」
優しく言い置いて またキッチンに消えていく足音。

「…くっ……っ…」
込み上げてくるものに逆らいながら身をかがめてもなお 暖かく胸に爪を立てられる様な痛みに耐えかねて、
声をかみ殺しながら平井は自分自身を抱きしめた。


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                                   Date 2006 ・ 12 ・13  


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