Fahrenheit   










        「飽きたな…」
        そう言って銀さんは空になったチョコレートの箱をローテーブルの上に放り投げた。







         **********



        2月14日。
       俺にとってはただの今日。バレンタインを意識するにはいろいろな面で 『まとも』 から離れ過ぎて
       しまっていて、いつものように一仕事が終わらせた後、向かった店の女達に小箱を手渡されて
       やっと 「ああ…」 と気が付いた。


        商売とは言え、彼女たちも大変だなと思う。
       普通のOLですら義理チョコには相当な額を使っているのだろうが、銀座の一流店のホステスとも
       なれば そこらの輸入雑貨屋の安いチョコでお茶を濁すなど許されるわけもなく、そっと押し付けら
       れた甘い香りの箱は俺が見ても分かる程 有名なブランドショップのものばかりだった。


        銀さんだけでなく 安っさんにしても巽さんにしてもあまりチョコには興味がないようで、さも嬉し
       そうに礼を言って受け取りはするものの、すぐにそれらは俺の目の前に積み上げられる。
       おかげで俺は自分のグラスを置くスペースすらなくなり 途方に暮れて目の前のチョコの山を見つ
       めていたら、その山の向こうからそんな俺の様子を楽しげに眺めている銀さんと目が合った。
       一言文句を言おうと口を開いたとたん、銀さんは綺麗な笑顔のまま すっと俺を無視する。
       まぁいつもの事ではあるのだけれど…
       悔しいから俺に付いてくれた新人の子に 少々大袈裟なぐらい優しくしてやった。
  

       時間が経ち 彼女がいい感じに勘違いして語尾がとろけ、俺の耳元で 「…この後予定あるん
       ですか…?」 と囁き始めるのを見計らったように 銀さんが腰を上げた。


       「さて 今日はこの辺にしよう。  …森田 頂いたものは全部大事にもってこいよ… 」

       刺すように真っ直ぐな視線。 有無を言わさぬ口調。 
       薄く笑った口元が無言の内に俺の行動を制限する。

  


       でも俺には分かってる。     …アンタ 嫉妬してんだろ? 
       鎖付けでも 今 俺を部屋に連れて帰りたいと思ってんだろ?
  


       俺はバカだ。 いつも冷静なアンタが そんな風に俺への想いを仮面の隙間から少しだけ
       零す度に  血が沸き立つぐらい興奮してる…。






        結局 安っさんも巽さんも 『 いらね 』 と言うので、女の子達から貰ったチョコは全て俺の物に
       なった。
       銀さんは 『そんなもの適当に放っておけ』 と言ったけれど、根が貧乏性なのか、これまであまり
       バレンタインというものに縁がなかったせいか、俺としてはとりあえず全て口に入れてみたいという
       馬鹿げた衝動が抑えきれず、部屋に戻ったとたん片っ端から箱を開けテーブルの上に並べ、露骨
       に嫌な顔をされながらも ちょっとづつつまみ食いを始めた。


       「 お前 そんなに 甘い物好きだったか…? 」
       トリュフをポイポイと口に放り込む俺の姿を眺めながら 苦笑いの銀さんは慣れた手付きでシャン
       パンを開ける。


       チョコをつまみにシャンパンを飲むなんてふざけた取り合わせを俺に教えたのは銀さんだし、
       その組み合わせが秘め事の前奏曲だということを身をもって教えてくれたのも 他の誰でもない
       銀さんその人だった。 


       金の泡を飲み干そうと反らした喉が コクリコクリと動く様は 欲を誘うには十分で、俺はいつも
       酒に酔う前に この人の佇まいに酔わされてしまう。






  

        **********



        「 飽きた… 」
       もう一度小さく呟いて こちらを見遣った彼の目の中に 何かがちろりと揺らめいたのを見たような
       気がした。


       「 森田…  ゲームしようぜ…」
       「 … はぁ? …ゲーム ですか? 」
       「 お前もう大分食って満足したろ? …だから遊ぼうぜ…」
  
       向かいのソファに座っていた銀さんが すうっと腰を浮かせ俺の襟元に手を伸ばす。
  
       「 …な 何するんですか…?!」

       薄い微笑を頬に貼り付けたまま彼は答えず、慣れた仕草で襟とネクタイの間に指を差し入れると
       グイ と一気に俺のネクタイを引き抜いた。

       「 当てっこだよ。 これから俺がお前に喰わせるチョコを当ててみろ。
       全部当てられたら いいもの やるから…」

       そう言うなり 俺の返事も待たず 銀さんはネクタイをぐるりと俺の顔に巻き付けた。
       目蓋の上に軽く圧が掛かり視界が急に遮断される。抗議する暇も与えず、痛くない程度にしっ
       かりと後頭部でネクタイを固定すると、すっと彼の気配が遠ざかった。
  














      **********












          
猫のような柔らかな足音が近付いてきて俺の膝を跨ぐとローテーブルの上に腰を下ろした。
       ほんの少し家具の軋む音がして気配がすうっと足元に溶ける。聴覚が突出している今の状態で
       なければわからない 普段は見過ごしてしまうような彼の一挙手一投足に耳を峙てる。




   
         
「  口 開けな… 」
       言われるままに唇を開くと 早速ひとつめのチョコが口の中に押し込まれた。
       「 なぁーんだ…? 」

       子どものような口調で銀さんが尋ねる。少し酔っているのか 跳ね上がった語尾に合わせるように
       俺の頬を指先でくるくるとなぞって喉を震わせて笑う。

       「 …これさっき食べました。 良くも悪くも合格点って味ですよね。 ゴディバだ たぶん…」
       「 へぇー…  当たったよ  …何だ  おもしろくねぇな お前… 」
       見えないけれど 口を尖らせて肩をすくめる彼の姿が見えるような声色に思わず頬が緩む。

   
       「 じゃ 次…」
       唇に押し付けられた塊に 慌てて口を開く。
       「 …分かりました。 ノイハウスです。」
       「何故?」
       「ここのチョコ 粒でかいから。」 
       「なんだ 味じゃねぇのか… 」
       呆れたように銀さんが呟く。
       まぁね 美味しいけど 喰えば喰う程味の差なんてどんどん曖昧になってく。
       人間の舌なんてそんなもんでしょ?


       「3つめ!」
       「小さくてエッジのあるハート。ミルクのこく。ヘフティ。」
       「 …なんか 腹立ってきたんだが… 」

        
 「俺が貧乏舌だからって バカにしちゃあいけませんよ」
       余裕こいて口の端で笑ってみせたら 頬をつねられた。
       「 …てめぇ 生意気だ… 」


        紙箱を弄る乾いた音。遊びとはいえ銀さんは自分が負けるのは大嫌いだから、なんとか俺を
       凹まそうと躍起になってるのが可愛いなぁと思う。
       ガリリとチョコを囓る音がして思わず顔を音のした方に向けたそのとたん、強い力で鼻を摘まみ
       上げられ 情けなく口が半開きになる。
       「なにふるんですかぁ… !」
       抗議の声を上げた唇に押し込まれたのはチョコではなく もっと甘く柔らかな塊で…


       『 …銀さん…?』
       歯列を割り入り込んできた舌が口の中に甘ったるいチョコを塗りたくりながら暴れ回る。
       呆気にとられて けれど体はすぐに反応して、その舌を捕らえようと飲み込むように自らの唇を
       深く押し付けた。水音をたて強く吸い上げれば チョコの味に混じってタバコと酒と彼の味が立ち
       のぼり、一瞬で頭の中が白くなる。
       抱きしめた体とは裏腹に熔けるように熱いその舌は俺の理性を焼き尽くすに十分で、銀色の髪を
       両手で梳きながら呼吸の暇もない程に舌を絡めた。
       息苦しさに口の中でくぐもった喘ぎを吐きながら逃げようとする彼の背中に腕を回し 無理矢理
       膝の上に縫い止めさらに強く抱きしめると、観念したのか銀さんは躰の力を抜いて静かになった。
       口角を変え派手に音を立てキスを繰り返す。合わせた胸から聞こえる鼓動に確かな物を感じ
       ながらそれでも見えない不安に駆られ 髪を背中を何度も何度も撫でてみる。


 
        そうしていると まだ少し肩で息をしていた銀さんの唇がふっと離れ 俺に尋ねた。
       「…それで  分かったのか…?」

         
「… はぁ?…」
       「バーカ チョコだよ チョコ! 」







       「…しまったぁ!キスに気を取られて チョコの事なんか忘れてたぁっ…!!  
         …なんて言うと思ってたんですか?」
       「 えっ…… 」
       身動きを止めた腕の中の彼をぎゅっと抱きしめて耳元に囁く。
       「銀さ〜ん… 俺 そこまでお子ちゃまじゃないですよ…」
       「…てめぇ ハッタリかましてねぇで 早く答えろ!」
       腕の中の彼はあくまで強気で 少し苛ついてるそんなところまでが可愛らしい。

       「う〜 だからね、銀さんチョコ囓ったでしょ。あれでわかっちゃったんです。 分かりやすい形を
        誤魔化した。それに銀さんの舌にまだ粒が残ってた。今ここにあるチョコの中でそんな条件を
        クリアするのは テオブロマのじゃり だけです。 どう?当たってるでしょ?」










 
      「…つまんねぇ やめた!」
       するりと立ち上がって逃げようとした片手を捕まえて引き戻す。
       「 こら 離せよ!」
       「ダメ。 全部当たったらいいものくれるって言ったじゃない。 俺全部当てたよ?」
       「 …チッ…     …うるせぇな… 」
       俺に言い負かされたのが思いの外 腹立たしかったのか、もう考えるのも面倒だ と言わんばかり
       の投げやりな口調で 銀さんが尋ねる。
       「  …で?  何が欲しいんだ…? 」
 
       妙に無防備なその物言いは 一気に俺の
嗜虐心に火を付けた。


       「そうだなぁ… 俺 今、口の中が甘ったるくってベタベタなんだよね。 何か美味い物飲ましてよ。
        …出来れば甘くなくって …でも濃厚で熱くって    アンダの匂いのプンプンする奴を…。」







         
一呼吸おいた後 掴んでいた俺の手を振り払って銀さんが呟いた。
       「 …この変態野郎め… 」















           
微かな金属音と衣擦れの音。自分の鼓動だけが耳の奥にこだまして不安が増幅されていく。
        暗闇の中静かに待っていると 一番最初と同じように銀さんは俺に向かって言葉を吐いた。




        「 森田   …口を  開けな… 」


   
   
   
   

        暗闇の中  彼の匂いが俺の鼻をくすぐって

        近付いてくる体温に    堪えきれずに 大きく  口を  開いた。





















                                                            Date 2008 ・02 ・14  



                                         inspired    ToTo / Fahrenheit 
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                                         ファーレンハイトというのは 華氏温度という意味なんですが、
                               これ 『水が氷と共存する温度と 健康な男性の体温を固定点として定められ
                                                             標準温度』 なんだそうです。

                                                                    ????…!

                          前半は理解できるんですが、 後半の健康な男性の体温って いったい…

                                    …ありがとうございます。  もの凄く 腰にキました。 (やっほ〜!)
                                 



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