四つんばいの熊のぬいぐるみでした。1902年に当時、アメリカの大統領だった セオドア・ルーズベルト(愛称テディ)が狩猟中に追い詰めた熊を撃たなかったところから、 熊のぬいぐるみに「テディベア」と名づけて販売したところ大当たりした為、 熊のぬいぐるみをそう呼ぶようになりました。ドイツでもマルガレーテ・シュタイフ (1847〜1909)によって設立されたフェルトやおもちゃを製造する会社で ジョイント付きのベア人形を開発し、今ではその社名がテディベアの同義語として 用いられるほど有名になっています。 1913年、ドイツのおもちゃ生産高はイギリスの6倍でしたが 第一時世界大戦でドイツ製品が輸入できなくなったため、 イギリス独自のぬいぐるみ産業が発達しました。 1939年からはヒットラーの台頭と戦争の勃発により、 軍需品などの製造が優先され、おもちゃの生産量は激減しましたが、 戦時中たくさんの子供が疎開を経験したりして、精神的な打撃を負っている中で、 テディベアを心のよりどころに携えている子もいました。オーストリアでは、 子供の持っている高価なテディベアが食料と交換で農夫の手に渡った話や、 クロアチアでは、母親が娘のシュタイフ社製ベアに宝石を隠した話など も伝えられています。またイギリス製の子供用ガスマスクのケースには ふっくらしたモヘア製テディの顔とフェルト地の洋服がついていました。 近年ではベア・アートと言う概念がアメリカの人形作家の間で生まれ、 イギリス、オーストラリアやドイツなど他ののヨーロッパ諸国にも広がりました。 ベア・アートには二つの尾もだったスタイルがあります。 ファンタジーの伝達手段としてテディベアを製作するスタイルと、 伝統的なベアを求める声に応じるスタイルです。前者は歴史上の人物や 読み物の登場人物、または別の生き物に扮したものをベアという形で表現し、 後者は年代物の生地やディストレストモヘアを使って伝統的なベアを 再現するというものです。 コンテストなども行われ、ベアアーティストやメーカーにテディベアのデザインの 質を向上させようという機運を盛り上げています。 |
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