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Quotation(海兵隊を語る言葉)

「海兵隊は、この国の"精鋭"軍団だとニューヨークタイムズは呼んでいた、私は世界の"精鋭"軍団であると思っている」
-1949年6月11日、第4海兵師団親睦会でのウィリアム・F・ハルゼー提督の言葉

戦後

 戦後、再び軍縮の波が訪れました。海兵隊には、いつものように廃止したらどうか、という議論が起きました。

 海兵隊嫌いのトルーマン大統領は積極的でしたが、幸い議会の方は大統領が嫌いでしたし、海兵隊が払った犠牲と、つかんだ栄光を大統領とは違って理解していました。

「海兵隊は15,000名から始まり、そしてそれは私が司令官であるときに兵力はどうなったか、私が引退したとき、約400,000名にまでなったが、その後も、その個体の特質を失うことはなかった。それは同じ海兵隊であった。それはいかなる点においても違いはなかった」
-トーマス・ホルコム中将のS.677の上院副委員会審理前の宣言。海兵隊の兵力を定め、海兵隊司令官を統合参謀本部常任スタッフにする要求

「膝を屈する伝統は我が軍団にはない」
”The bended knee is not a tradition of our Corps.”
-第18代司令官A.A.ヴァンデグリフト中将。1946年5月5日、陸軍の海兵隊廃止の提案に関する上院海軍事務委員会での発言

「海兵隊に関して、君は海兵隊員が何であるかを知っている。彼らは、小さく、海軍用語を話して陸軍を混乱させる。我々は、それら海兵隊員を正規軍に組み入れ、それから優秀な兵士を作るつもりでいる」
-フランク・アームストロング陸軍准将。1949年2月5日、"サタデーイブニングポスト"

 議会は、海兵隊の規模を定め、ここに海兵隊はアメリカ軍では唯一、その存在と規模が法文によって定められた軍隊となりました。トルーマン大統領は、結局、海兵隊を廃止することはできず、またこれ以降、海兵隊の解散は事実上、不可能となりました。

「海兵隊は海軍の警察部隊であり、そして私が大統領である限り、それはそのままである。彼らはスターリンのものにほとんど等しい宣伝機関を持っている」
- 1950年8月29日、ハリー・S・トルーマン大統領が、ゴード・L.マクダナー連邦議会委員の、海兵隊を軍の主要な部門として完全に容認するという提案に対する書簡…悔しかったようです

 太平洋の戦いで、VAC司令官、そしてFMFPac司令官として海兵隊を導いたホランド・M・スミス中将は戦後、回想録を記します。そこで海軍の怠慢でMy Marinesの多くが犠牲になったと信じるスミス将軍は、

「ワーテルローの戦いが、イートン校のグランドで決したというなら、太平洋の日本軍基地はカリブ海の浜辺で占領された」

「我々には、将軍でありたかった提督と提督でありたかった将軍がいた。提督として働く将軍は全く良くなかったが、珊瑚の島々で勝利を危険にさらしたのは、将軍でありたかった提督であった」

「私が最初に海兵隊に加わった際、私は私は、戦場と恒常的な攻撃的な戦闘において支持された攻撃性を持っていた。迅速に叩き、激しく叩き、そして正確に叩くことを維持する。敵に、休む間も、奴らの部隊を強化し、反撃する機会も与えてはならない」
-ホランド・スミス中将著「Coral and Brass」

 と述べます。

第2次世界大戦

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