名誉勲章受章者-U-
氏名 |
受賞時階級 |
受賞年 |
戦地 |
オスカー・J・アップハム |
兵 |
1901 |
中国 |
ウィリアム・P・アプシュー |
大尉 |
1915 |
ハイチ |
オスカー・J・アップハム兵
1901年:中国(北京)
海軍分遣隊55号
1871年1月14日 | オハイオ州トレドで生まれる |
感状:
1900年7月21日-8月17日、中国北京の戦いの最中敵を前にして、敵の激しい砲火の下にもかかわらず、アップハムはバリケード建設を支援した。
ウィリアム・P・アプシュー大尉
1915年:ハイチ
第2連隊第15中隊
1881年10月28日 | バージニア州リッチモンドで生まれる |
1904年2月1日 | 海兵隊入隊(少尉任官) |
1915年10月24日 | 名誉勲章 |
1918年9月 | 第13連隊長(-1919/8)としてフランス戦線 |
1919年10月 | ボルドーアメリカ軍刑務所長 |
1922年-1924年 | 第1海兵旅団 |
1942年 | 太平洋分遣隊司令(少将) |
1943年8月18日 | アラスカ視察中の航空機事故で死亡 |
感状:
六日間の偵察のため、アプシュー大尉は、全ての機動力のある海兵隊員の第15中隊の隊員たちとともにハイチのリバート要塞に残った。
1915年10月24日の夜暗くなってから、深い峡谷内の川を渡っていた時、要塞から約100ヤードの灌木に隠れ潜んだ約400名のカコにより、三方向から分遣隊は突然銃撃を受けた。
海兵隊分遣隊は、カコたちからの連続した射撃に制圧されていたにもかかわらず、夜の間続く、その良好な地点まで向かう道で戦った。
夜明けにアプシュー大尉は、三つの分隊により、三つの別々の方向に進ませて、四方のカコを驚かせ、散乱させ。そしてディピシー要塞の確保を支援した。