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名誉勲章受章者-T-

氏名
受賞時階級
受賞年
戦地
ラルフ・タルボット
少尉
1918
フランス
カール・G・テイラー Sr.
二等軍曹
1968
ベトナム
ハーバート・J・トーマス
軍曹
1943
ブーゲンビル
クライド・A・トーマソン
軍曹
1967
ベトナム
ヘンリー・A・トムソン
1865
フィッシャー砦
グラント・F・ティマーマン
軍曹
1944
サイパン
アンドリュー・J・トムリン
伍長
1865
フィッシャー砦
ドナルド・L・トゥルーズデル
伍長
1932
ニカラグア
受賞者S-3

ラルフ・タルボット少尉

ラルフ・タルボット少尉

1918年:フランス

C航空隊

1897年1月6日 マサチューセッツ州サウスウェイモスで生まれる
1918年4月8日 海軍航空隊少尉
1918年5月26日 海兵隊少尉
1918年10月14日 海兵隊パイロット初の名誉勲章
1918年10月25日 事故死

感状:

 フランスにおいて第1海兵航空部隊C航空隊に所属した際の際立った職務と驚くべき英雄的行為による。

 彼は敵領内への数多くの爆撃に参加し、そして1918年10月8日、他方、このような襲撃で彼は敵航空機を撃墜した後に続く戦いで敵偵察機9機によって攻撃された。

 同様に、1918年10月14日、ベルギー、ピットマン上空の襲撃中にタルボット中尉ともう一機の航空機はエンジントラブルのために編隊から離れ、そして12機の敵偵察機によって攻撃された。

 続く容赦ない戦いの間に、彼の航空機は敵偵察機一機を撃墜した。

 彼の観測者は肘を撃ち抜かれ、そして彼の銃は装弾不良を起こしていた。

 タルボットが時間を稼ぐための機動を取る間に、彼は片手で装弾不良を排除し、そして彼らの戦いへ戻った。

 観測者は胸と、もう一つは尻と、二回撃たれるまで戦った

 彼が倒れたとき、タルボット中尉は彼の前面機銃で最も近い敵偵察機を攻撃し、そしてそれを撃墜した。

 彼の観測者が意識を失い、そして彼のモーターの欠陥で彼は敵の残りから逃れるために急降下し、ドイツ軍塹壕の15フィート上空を横切って一番近い病院へ着陸し、そして彼の観測者を残し、そして彼の飛行場へ帰還した。

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カール・G・テイラー Sr.二等軍曹

カール・G・タイラー Sr.二等軍曹

1968年:ベトナム

第3海兵師団第26海兵連隊第3海兵連隊I中隊

1939年7月14日 メリーランド州ラーロで生まれる
1959年1月15日 海兵隊入隊
1968年12月8日 戦死

感状:

 1968年12月8日の夜、ベトナム共和国におけるミード・リバー作戦中、中隊付軍曹として従事中、義務の要求を遙かに超えて彼の生命の危険を冒す際立った勇気と大胆さによる。

 敵の銃撃の激しい弾幕によって彼の部隊が釘付けにされたとき、斥候小隊の指揮官が致命傷を負ったと言うことを知らされたテイラー二等軍曹はもう一人の海兵隊員と協力して、敵軍の銃撃の歓迎を通り抜けて包囲された部隊まで這って前進し、部下へ激励と指示を叫び、そして遮蔽物へ彼らを配置した。

 彼の仲間とともに、彼は、そのとき、自分自身では動くことのできない銃傷を負った海兵隊員たちを助けるために空き地の向こう側へ繰り返し動いた。

 敵の機関銃陣地に謹選した別の空き地に横たわる動けないもう一人の重傷者がいることを知るや、テイラー二等軍曹は4人の戦友に同行し、海兵隊員を救おうとする試みで掃射を受けている地域を横切って前進する彼の部下を導いた。

 彼のグループが壊滅的な銃撃によって停止させられたとき、彼は彼の仲間に中隊司令部へ戻るように指示し、その上で彼は彼のグレネードランチャーをつかみ、そして敵の面前において彼は走り、彼の武器を発砲し、機関銃陣地へ向かって開けた水田の向こうへと突進した。

 数度、負傷したにもかかわらず、彼は彼が致命傷を負う直前に機関銃壕に到着し、そしてその区域からの銃撃を沈黙させることに成功した。

 彼の仲間の海兵隊員の何人かの命を救う直接尽力し、テイラー二等軍曹は、彼の不屈の勇気、鼓舞するリーダーシップ、そして無私の献身によって海兵隊と合衆国海軍職務の崇高な伝統を支えた。

リチャード・M・ニクソン

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ハーバート・J・トーマス軍曹

ハーバート・J・トーマス軍曹

1943年:ブーゲンビル

第3海兵師団第3海兵連隊

1918年2月9日 オハイオ州コロンバスで生まれる
1942年3月3日 海兵隊入隊
1943年11月7日 戦死

感状:

 1943年11月7日、ソロモン諸島ブーゲンビル島コロモキナ河の戦いの敵日本軍部隊に対する戦闘において第3海兵師団第3海兵連隊とともに従事中、義務の要求を遙かに超えて彼の生命の危険を冒す際立った勇気と大胆さによる。

 厳しい敵軍の機関銃の銃撃に直面し、密集したジャングルの下生えを抜けて彼の分隊を導いていたとき、彼は彼の部下の数人が敵の銃弾によって打撃を受けたにもかかわらず、トーマス軍曹と彼のグループは大胆に日本軍陣地の正面へと前進して押し寄せ、そして正確なライフルの銃撃と手榴弾で二つの機関銃の要員を滅ぼした。

 接近がより困難な三つ目の銃を発見し、彼は彼らが後に突進するはずであった戦略的拠点へ慎重に彼の部下を彼の周囲に密接して配置し、彼は手榴弾を銃座の中へ投げ込んだ。

 手榴弾が蔓に跳ね返り、そしてグループの真ん中に落ちたとき、トーマス軍曹は勇敢に彼の戦友のために彼の生命を捧げ、爆発を覆うために彼自身をその上へ故意に投げ出した。

 彼の無私の行為によって鼓舞された彼の部下は猛烈な決意で敵へ躊躇うことなく敵の機関銃へ突進し、要員と近くにいた他の数名の防御者を殺した。

 彼の運命を完全に尻ながら、彼の迅速な決意を実行することにおいて、トーマス軍曹の素晴らしい自発性と極端な英雄的行為は彼自身と合衆国海軍職務に偉大な名誉をもたらした。

 彼は、彼の祖国に彼の生命を勇敢に捧げた。

フランクリン・D・ルーズベルト

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クライド・A・トーマソン軍曹

クライド・A・トーマソン軍曹

1942年:マキン

第2強襲大隊

1914年5月23日 ジョージア州アトランタで生まれる
1934年12月 海兵隊入隊
1939年 海兵隊予備役
1942年 第2強襲大隊志願
1943年4月 駆逐艦USSトーマソン
1957年 ジョージア州海兵隊補給基地の建物にトーマソンと命名

感状:

 1942年8月17日-18日、マキンの島を確保する日本軍に対する戦闘において第2海兵強襲大隊の一員として義務の要求を遙かに超えて彼の生命の危険を冒す際立った勇気と大胆さによる。

 突撃梯形の前進分隊の上陸で、トーマソン軍曹は鋭い判断力と識別力、そして彼の模範的なリーダーシップと偉大な個人的勇気によって彼の部下を配置し、大胆な努力を望むと彼らを鼓舞した。

 あるとき、彼は敵日本軍狙撃兵の隠れた建物へ怯むことなく歩み寄り、ドアをこじ開け、そして彼は抵抗される前に相手を撃った。

 戦闘の後に、敵陣地に対する突撃を先導する間に彼は彼の祖国の職務において彼の生命を勇敢に捧げた。

 重大な危機に直面しての彼の勇気と義務への忠実な献身は合衆国海軍職務の素晴らしい職務を維持した。

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ヘンリー・A・トムソン兵

1865年:フィッシャー砦

USSナッシュビル海軍分遣隊59号

1841年 イギリスで生まれる
1863年7月21日 海兵隊入隊
1865年6月22日 名誉勲章
1867年7月12日 名誉除隊
1889年2月16日 死去

感状:

 1865年1月15日、フィッシャー砦の襲撃においてUSSミネソタに乗船していた。

 彼の船からの襲撃班とともに海岸に上陸し、トムソン兵は多数の将校と人を殺害或いは負傷させた敵の銃撃にもかかわらず彼の船からの他の者よりも要塞へ接近し、絶壁の突破口を抜けて部分的に前進した。

 三分の二以上の兵員がパニックに捕らわれ、そして走って撤退したとき、彼はその負傷者、その武器、そして軍旗をもたらし、離れて安全がきたとき、暗くなるまで部隊とともに止まった。

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グラント・F・ティマーマン軍曹

グラント・F・ティマーマン軍曹

1944年:サイパン

第2海兵師団第2戦車大隊

1919年2月19日 カンザス州アメリカスで生まれる
1937年10月28日 海兵隊入隊
1938年5月5日 第4海兵連隊
1938年 現地のアメリカ海軍司令官の妻を暴徒から救出
1941年10月27日 退役
1942年2月 再志願
1942年7月 第2海兵師団第2戦車大隊
1943年11月22日 タラワ環礁ベティオ島上陸
1944年6月15日 サイパン上陸
1944年7月8日 戦死
1946年1月 駆逐艦USSティマーマン

感状:

 1944年7月8日、マーシャル諸島サイパンの敵日本軍部隊に対する戦闘の間、第2海兵師団第6海兵連隊第2大隊とともに従事した戦車長として義務の要求を遙かに超えて彼の生命の危険を冒す際立った勇気と大胆さによる。

 敵陣地への激しい攻撃の支援において歩兵部隊より数ヤード先に彼の戦車を前進させたティマーマン軍曹は一連の敵の塹壕と掩蔽壕によって前進を阻まれるまで彼の対空銃座機関銃からの安定した銃撃を維持した。

 好機の対象を観察し、彼はただちに戦車を停止させる命令をし、そして彼は75mmの発砲準備で砲炎からの危険に注意し、むき出しの砲塔に大胆に立ち上がり、そして戦闘準備をするよう歩兵部隊に命じた。

 日本兵によって投げられた手榴弾が開かれた砲塔のハッチの中に落ちようとしたとき、迅速に行動し、ティマーマン軍曹は躊躇うことなく手榴弾を彼の胸に抱え込み、そして爆発の矛先を受け止め、彼の身体で開口部を防いだ。

 彼自身の生命を犠牲にして彼の部下を守ったことにおいて、彼の並外れた勇気と忠誠はティマーマン軍曹と合衆国海軍職務に最高の名誉をもたらした。

 彼は、祖国の職務に彼の生命を勇敢に捧げた。

ハリー・S・トルーマン

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アンドリュー・J・トムリン伍長

1865年:フィッシャー砦

USSワバッシュ海軍分遣隊59号

1845年3月15日 ニュージャージー州ゴーセンで生まれる
1863年7月21日 海兵隊入隊
1865年6月22日 名誉勲章
年不明 退役
1905年11月1日 死去

感状:

 1865年1月15日、フィッシャー砦の襲撃の間、守衛伍長としてUSSワバッシュに乗船していた。

 その要塞の背後で突撃する地上部隊三分の二以上がパニックによって撤退した後の部隊が敵の攻撃の驚異に塹壕を掘って確保した前線へ集結した200人の海兵隊員の一人として、トムリン伍長は前線における拠点を得て、要塞から救援部隊が到着する朝まで止まった。

 彼の戦友の一人が敵の銃撃によって撃ち倒されたとき、彼は躊躇うことなく安全な位置から負傷者を支援するため、要塞に接近した開けた平野の中をマスケットの壊滅的な銃撃の下、前進した。

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ドナルド・L・トゥルーズデル伍長

ウィリアム・E・シャック Jr.二等軍曹

1932年:ニカラグア

グアルディア・ナシオナル・パトロール

1906年8月26日 サウスカロライナ州ラグオフで生まれる
1924年11月 海兵隊入隊
1932年4月24日 名誉勲章
1946年5月 准尉にて退役
1993年9月21日 死去

感状:

 北ニカラグア、ジノテガ県近郊のココ河、コンスタシア周辺において活動する武装した山賊部隊に対する野外での活発な作戦において、そのとき、交戦した1932年4月24日にグアルディア・ナシオナル・パトロールの副司令官として彼の生命の危険を冒し、義務の要求を遙かに超えて彼の職業の限界における並外れた英雄的行為による。

 山賊集団を求めて捜索する山道上で隊形を組んでパトロールする間に、ちょうどそれ以前に騙されて、接触するとともに起爆装置に点火されて岩が命中したパトロール隊の隊員を運ぶ、その運搬車の列にライフル擲弾を落とされた。

 パトロール隊の数名が、その時、擲弾の接近した近場にいた。

 トゥルーズデル伍長は、その時、数ヤード離れていて、容易に彼自身の支援と安全を求めることができたが、その代わりに擲弾が2、3秒以内に爆発するだろうことを十分正しく知りながら、そして彼自身の個人的安全を完全に無視するとともに、そして彼自身の生命の危険を冒して擲弾へ突進し、彼の右手でそれをつかみ、その爆発前にパトロール隊からそれを遠ざけようと投げることを試みた。

 彼の手の中で擲弾は爆発して、それを吹き飛ばし、そして彼の身体のあちこちに多数の深刻な傷を与えた。

 トゥルーズデル伍長の彼の行為により、彼自身に擲弾の爆発の完全な衝撃を受け、それによって兵器における彼の戦友たちの生命の、或いは大怪我から救った。

 彼の行為は武器の専門家の崇高な伝統に相応しかった。

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